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2013年12月10日 (火)

堺に眠る家康のミステリー

 映画「利休にたずねよ」が公開中だ。これに合わせて、利休が生まれた大阪府堺市では、来年3月30日まで市内の利休ゆかりの場所を巡る「利休バス」を運行している。以前、取材でお世話になった堺観光コンベンション協会のお誘いで参加してみた。利休といえば、まず思い浮かべるのは、秀吉との確執の原因と切腹のナゾ。生誕の地を巡りながらそんなミステリーが解き明かされるか興味津々だったが、もうひとつのミステリーがあった。

 利休バスは南海堺東駅前の堺市役所から出発する。ちなみに同市役所21階の展望ロビーで、映画の撮影に使われた茶室「待庵」が再現されている。内部には自由に入ることができるので、利休の茶道のひとつの構成要素と言える「空間」を体験できる。

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 その後、向かったのが千利休屋敷跡だ。利休は堺の豪商「ととや」に生まれた。その屋敷跡とされる場所だが、豪商の屋敷跡にしては狭いと思ったら、同行してくれた観光ボランティアガイドさんによると、利休の生家の敷地は古い地図を見ると1000坪あったという。ここはその一部で、当時から残っているのは井戸だけ。
 しかし、狭い敷地でも整備された庭園の趣で、わびを感じる風情だ。そこでガイドさんが「この同じ空間を、かつては与四郎くん(利休の幼名)が走り回っていた」と言うと、何となく利休を身近に感じるから不思議だ。

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 さて次の目的地は南宗寺。臨済宗の古刹だが、ここは利休が禅の修業をした場所で、さまざまな利休ゆかりの文化財が残されている。特に国指定の名勝「枯山水の庭」は、一滴の水も使わずに石と砂で山河を表現している。この日は紅葉がまだ残っていて、ゾクッとするほど美しかった。
 ところでこのお寺は徳川家康ともゆかりが深い。深いどころか、その墓がある。家康の墓は日光東照宮ではないのか。ここからがミステリーだ。
 ガイドさんによると、このお寺には、こんな伝説が残るという。家康は大坂夏の陣の翌年(1616年)に静岡の駿府城で亡くなったことになっているが、実は大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ、カゴで逃げる途中、後藤又兵衛にヤリで突かれて戦死したという。

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 そこで遺体をこの南宗寺の開山堂の下に隠し、影武者を仕立てて戦に勝利した後、改葬したというのだ。正直、びっくり仰天。万城目学さんのベストセラーで映画化された「プリンセス・トヨトミ」を思い出させる奇想天外な説だ。ところが、ガイドさんが少しずつ論証を始める。
 まず、お寺で最古の建築物の内部には、徳川2代将軍・秀忠と3代将軍・家光がここを訪れたことを記した板額がかかっているという。なぜなのか。そして、太平洋戦争中の空襲で焼失した開山堂の床下にあった卵形の無名碑が、実は家康の仮埋葬碑の伝説があるという。

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 そして、もっとリアリティーを感じる証拠があるのだが、これ以上書くと、利休バスの楽しみが半減するので自重。写真の瓦の模様もヒント。もちろん、利休のナゾについても、興味深い話がたくさんあるはず。この続きは、バスに乗ってからだ。
 ちなみに、利休バスは金・土・日・祝日の午前コース(9時30分、堺市役所前集合)と午後コース(同1時30分)で、ともに約3時間。料金は中学生以上1800円(拝観料、抹茶、菓子代を含む)。ただし年末の24日から年始の9日までは運休。問い合わせは06-6535-8426(近畿日本ツーリスト トラベルセンター西日本)へ。(文と写真・鬼塚 静信)

コメント

この情報も興味津津。 これぐらい大胆な仮説に則った‘お寺’は有った方がイイ!
ただ、後藤又兵衛は慶長20年5月6日「道明寺の戦い」で討死。
翌日、茶臼山から真田幸村が家康めがけて突撃を敢行しているので、この仮説は辻褄が合いません。 私としては、家康は幸村から「這う這うの体で逃げ出した」の言うのが正しいと思っていますので、「又兵衛」ではなく「幸村」でないと『実は殺されていた』仮説の信憑性が薄れるのでは・・・と感じる次第です。

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