ブログ報知

 スポーツ報知 |  ブログ一覧

« ナデシコが咲く「万葉のみち」 | メイン| 高杉晋作が歩いた道 »

2014年10月10日 (金)

吉田松陰のユーモア

  来年のNHK大河ドラマが、吉田松陰の妹・文さん(杉文、後に楫取美和子)の物語に決まったおかげで、ついに山口県萩市へ取材に行くことが出来た。これまで下関市、そして幕末に長州の藩庁が移った山口市は訪れたが、何といっても吉田松陰や高杉晋作が生まれ育った萩の町は見てみたかった。念願かなってついに足を踏み入れた明治維新の聖地で、松陰先生の意外な素顔に触れた。

_1_3

  明治維新の原動力となった長州藩の藩庁が置かれていたというのに、萩市への鉄道アクセスは不便だ。取材スケジュールを作っていて初めて、それに気づいた。大阪から鉄道だけで行こうと思っていたが、とてつもなく時間がかかる。最短の交通手段は、新幹線の新山口からバス。それも1時間40分かかる。しかし東萩駅前でバスを降りて一歩踏み出すと、やはり感慨深い。やっと維新の聖地へ来たと思うと疲れも感じない。

_2_1_2



  今回の取材のアテンドは萩市観光協会の女性ガイドさん。まず驚いたのは、彼女は必ず「松陰先生」と呼ぶこと。こちらも気を使って、いつの間にか「松陰先生」と呼ぶようになっていた。考えてみれば歴史上の偉人、しかも近代日本の救世主とも呼べる思想家なのだから、呼び捨てしていたら、歴史に無知と侮られるかも知れない。ということで、このブログも「先生」を付ける。

_1_4



  その松陰先生が祀られている松陰神社へ参拝に行ったら、参道の手前にある最初の鳥居の前に「平成27年 NHK大河ドラマ 花燃ゆ 決定」という大きなのぼりが立っていた。大河ドラマの経済効果に早くも期待を寄せているのが分かる。

_1_1_2



  境内に入ると、松下村塾や松陰先生と妹の文さんが生まれた杉家旧宅などの文化財の先に御本殿があるが、その手前の鳥居に下げられたちょうちんに「五瓜に卍(ごかにまんじ)」の紋があった。松陰先生が5歳で杉家から養子となった吉田家の紋という。
  さて、松陰神社から少し上る。萩の旧城下町の東側。かつて萩城(指月城)があった指月山(標高143メートル)を含む市内を一望できる高台に生誕の地があり、すぐ近くには墓所があって、高さ8メートルの銅像も建っている。銅像は弟子の金子重輔を従えて下田沖のペリー艦隊を見ているところという。その密航未遂事件で松陰先生は国禁を犯したとして捕まえられるのだが、このとき名乗った偽名が「瓜中萬二(かのうちまんじ)」。吉田家の家紋をもじったのは明らか。これ、もちろんガイドさんに教えてもらったこと。
  墓所を訪ねてみた。墓石には「二十一回猛士」と刻まれている。何のことかと思ったら、ガイドさんが「杉の字を十と八と三に分解して足すと21になります」。もうひとつ「吉田の字を十と一と口、田の字を十と口に分解して数字だけ足しても21です」。なるほど。偽名も号も家紋や名字のしゃれで作っていたとは。そのセンスとユーモア精神にも感服。

P1040507_1



  ところで「松下村塾」の名前の由来について、ちょっと驚く解釈を聞いた。これまで観光パンフなどでは「松本村にあったので松下村塾」と説明されているが、そもそも「松下村」と書いて「まつもとむら」と読んでいたというのがガイドさんの説明。「下」を「もと」と読む例はある。納得。やはり現地を訪ねると楽しい。(文と写真・鬼塚 静信)

コメント

松陰神社へわ50年前に行きました。なつかしいです。近いうちに仙碕へいきます。その時に寄ります

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © The Hochi Shimbun.