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2017年3月24日 (金)

宇和島の「伊達政宗」物語

 愛媛県宇和島市は江戸時代、伊達十万石の城下町。「伊達」といえば仙台と思われがちだが、宇和島伊達藩の藩祖は伊達正宗の長男・秀宗。その「伊達」の名前が付いたブランド魚「だてまぐろ」も養殖されていて超美味。そして宇和海を望む三浦半島では絶景からおいしい焼酎が生まれる?

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 今回の取材の目的は「だてまぐろ」(クロマグロ)。漁船に乗って日振島周辺の養殖いけすまで足を延ばし、70キロもあるクロマグロが釣り上げられ、あっという間に内臓を取り出して血を抜き、冷凍される現場も目撃した。そして市内の海鮮居酒屋「がいや」で、ランチタイム限定の「だてまぐろ贅沢(ぜいたく)丼」も試食。脂が乗りきって濃厚な味に感動した。その合間に訪ねたのが、かつて伊達家の大名庭園だった「天赦園(てんしゃえん)」(国指定の名勝)。そこに宇和島伊達家の物語があった。

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 宇和島伊達藩の藩祖は伊達政宗の長男・秀宗。戦国時代、秀吉、家康の人質として差し出されていたため、家督は8歳下の弟・忠宗が継いだ。父・正宗は秀宗のために別家を興すことを考えていたが、秀宗は大坂の陣の軍功で、2代将軍秀忠から宇和島十万石を与えられた。市内には宇和島城をはじめ伊達藩の名残が多いが、「天赦園」もそのひとつ。何といっても「天に赦(ゆる)された」という名前の由来が気になった。

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 この庭園は2代藩主の宗利が1672年に造成した浜御殿の一部を、1866年に7代藩主・宗紀が隠居の場所として大改造。命名の由来は、藩祖の父・正宗が隠居した後、家臣たちに示した詩という。原文は漢詩だが読む下すと
 馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
 残躯は天の赦す所 楽しまずんば是を如何せん
 少年の頃から馬で駆け回ったが、戦国の世も治まって今は平和。もう年で白髪がいっぱいだ。残った人生は天に許されたのだから、楽しまずにどうすんねん。最後は大阪弁になってしまったが、大体こんな心境だろう。正宗を敬愛していた7代藩主も同じ心境で「天赦園」と名付けたのだろうが、時代背景はかなり違った。激動の明治維新はすぐそこだったのだから。庭園は回遊式で、最も有名なのが藤棚のある太鼓橋。残念ながらこの季節、花は見られなかったが、5月になって花が咲けばさぞ美しいだろう。

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 さて、宇和島を代表する景観は「遊子水荷浦の段畑(ゆす・みずがうらのだんばた)」。リアス式海岸に面した急斜面に石垣を造り、幅の狭い畑が頂上まで続く。下から見るとその全貌は分からない。そこで農道を車で上った。上から見ると、宇和島湾に浮かぶ真珠の養殖いかだや、外海の宇和海の島々や島影が絶景を演出している。

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 訪ねた日、畑は青々とした葉っぱで覆われていてきれいだった。栽培されているのはジャガイモ。「天赦園」の藤と違って、段畑の方は収穫前で見頃だった。ここで栽培されるジャガイモから造られるのがジャガイモ焼酎「段酌(だんしゃく)」。この日の夜、市内の居酒屋で、お湯割りで飲んでみた。臭みが全くなくてフルーティー。特産品直売所で売っているが、現地へ行けなくても手に入りそうだ。詳しくはここへアクセス。http://www.danbata.jp/tokusan.html
(2017年3月23日、文と写真・鬼塚 静信)

コメント

学生時代を仙台で過ごした50代のおっさんですが、宇和島伊達藩も、とても身近に感じます。

秀宗公は漁業を振興させる事で、藩財政を向上させ、結果として年貢米を引き下げる事が出来たのではなかったでしょうか?現代なら、大規模所得税減税ですよね。名君と呼んでもおかしくな、と私は思っています。

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