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2015年1月 8日 (木)

慶大競走部・松田雅之監督の思い出

慶應義塾は94年以来、箱根駅伝に出ていない。その年、僕は日吉に通う1年生だった。大会には、かなり注目していた。体育の授業で選択したジョギングの指導教官が、競走部の松田雅之監督だったからだ。

今ほど世間のジョギング熱は高くなくて、受講者は少なかった。しかも出席率は悪く、授業に出るのが僕一人という日もあった。そんな日は松田監督と二人きりで日吉の蝮谷(まむしだに)を走ったりした。

起伏に富んだコースを走破しながら、いろいろと世間話をした。お子さんが幼稚舎に通っていること、充実した上京ライフを送るためには、信頼できる定食屋を見つけるのが大事であること。ある時期から、僕は絶対に授業を休めなくなった。僕が休むと、受講者がゼロになってしまうかもしれない。松田監督に恥をかかせることなんて、できない。

迎えた第70回箱根駅伝。記念大会のため、参加校は20校に増えていた。僕は水戸の実家のテレビの前で、手に汗を握って戦況を見つめた。我が義塾は苦戦した。往路は20チーム中、19位。復路は筑波大との壮絶な最下位争いとなった。それでもレース中、日テレのアナウンサーが伝えてくれる松田監督の談話は、強気だった。

「ウチの見せ場は、ここからです!」

総合成績は、20位に8秒差の19位。自分の通う学校を応援するのは、楽しかった。

結局、日吉に通学した2年間、僕は松田監督の授業を受講し続けた。根っからの文化系だったが、大学時代にフルマラソンは2度、完走できた。自己最速タイムは3時間45分ジャスト。監督の指導の賜物だった。

1月2日。箱根駅伝を見ていたら、急に松田監督のことが懐かしくなった。ちょうど今、還暦を迎えたころだろうか。久しぶりに日吉に会いに行ってみようかな。スポーツ記者になったと言ったら、驚くだろうか。いや、さすがに覚えていないよな。グーグルに監督のフルネームを入れて検索してみた。直後、言葉を失った。

松田監督は2010年11月13日、56歳の若さで急逝されていた。お昼頃に日吉の体育研究所で倒れ、午後には搬送先の病院で息を引き取られたという。

わずか2年間、週に1度ジョギングをご一緒させていただいただけだが、松田監督との想い出は鮮やかに残る。その日の夕方、日吉での青春時代を回想しながら、15キロの「走り初め」を行った。

いつか我が母校が、また箱根路を走ってくれるときが来るといいな。そしたらどんなに劣勢になっても、僕はこう声援を送りたいと思うんだ。

「ウチの見せ場は、ここからです!」

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