初の“合同チーム”校歌にも注目
第88回全国高校サッカー選手権(12月30日開幕)の組み合わせ抽選会が24日、日本テレビで行われた。今回は代表の関係もあり、10都府県が決まらないままの抽選となった。その中に珍しい校名を見つけた。中津工・中津東(大分)だ。
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第88回全国高校サッカー選手権(12月30日開幕)の組み合わせ抽選会が24日、日本テレビで行われた。今回は代表の関係もあり、10都府県が決まらないままの抽選となった。その中に珍しい校名を見つけた。中津工・中津東(大分)だ。
途中出場で、試合の流れを変える選手。ドラマで「助演クラス」の役割を果たす出演者だ。記者がサッカーで、最初に「スーパーサブ」という言葉を聞いたのは92年アジア杯、93年のアメリカW杯アジア最終予選のころ。日本代表FW中山雅史(現・磐田)が後半から投入され、スピードを武器に貴重な得点を量産。とっておきの“切り札”が脚光を浴びた。
晩秋。あれから2年が過ぎた。
2007年11月16日未明、日本代表監督を務めていたイビチャ・オシムさん(68)が脳梗塞(こうそく)のため、千葉県内の自宅で倒れた。一時、意識不明となりながら回復した。しかし、心身ともにハードな監督業を続けることは難しく、後任として岡田武史監督(53)が就任した。
天皇杯取材を通じて、J1以外のチームとの対戦での勝敗以外の楽しさを感じた。10月31日の天皇杯3回戦の大宮―J2仙台戦。個人的には約8年ぶりの仙台戦取材となったが、サポーターの変わらぬ熱気に感動した。
鹿島が8日の山形戦で相手のシュートを0本に抑える“完全試合”を達成した。野球で言う完全試合は、9回で許した走者がゼロ。サッカーでその表現が適し ているかは別にして、相手に得点機を与えなかったこと、リーグ創設17年目で初めて刻まれた記録という実現性を考慮しても、完ぺきな守備だったと言ってい いのではないか。
不用意でした。
3日、F東京は5年ぶり2度目のナビスコ杯制覇を果たした。前回は、DF椋原健太(20)が04年にF東京がナビスコ杯初優勝を果たしていたときに何をしていたかを書いたが、今回は同じ下部組織出身のGK権田修一(20)の思い出を書いてみたいと思う。
ビーチサッカーW杯アジア予選(7~11日・ドバイ)の日本代表の選手とラモス瑠偉監督(52)らが2日、成田空港から決戦地へ出発した。
普段、座っている記者席から見渡すピッチは、まるで違って見えた。違和感があった。
10月31日、東京・国立競技場で行われたラグビーの「ブレディスローカップ」ニュージーランド代表―オーストラリア代表戦を取材した。日本代表・岡田武史監督(53)が観戦したため、サッカー担当記者の私も「岡田番」として、普段は決して見ることがないラグビー(それも世界トップレベル)を見る機会に恵まれた。
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