ずしりと重かったW杯優勝メダル
W杯の“優勝メダル”に触れた。
南アフリカW杯で4試合を担当した西村雄一主審(38)、相楽亨副審(34)の報告会見が16日、東京・文京区本郷のJFAハウスで行われた。両氏は、決勝のスペイン―オランダ戦(11日)で、それぞれ第4審判、予備副審を務め、表彰式では優勝チームに与えられるものと同じ金色のメダルを贈られた。
W杯の“優勝メダル”に触れた。
南アフリカW杯で4試合を担当した西村雄一主審(38)、相楽亨副審(34)の報告会見が16日、東京・文京区本郷のJFAハウスで行われた。両氏は、決勝のスペイン―オランダ戦(11日)で、それぞれ第4審判、予備副審を務め、表彰式では優勝チームに与えられるものと同じ金色のメダルを贈られた。
3月末に退職されたDスポーツのベテラン記者Aさんの送別会が20日、東京・文京区本郷のJFAハウス近隣のホテルで盛大に行われた。同業者のほかにも、日本サッカー協会とJリーグの幹部、スタッフの皆さんも多く出席された。
今日(4月1日)、日本サッカー協会関係者から、すごい情報を聞いた。
スペインリーグ2部の小さなクラブで、日本人FWが大活躍しており、日本代表・岡田武史監督(53)が南アフリカW杯(6月11日開幕)に向けて秘密兵器として招集を検討しているという。
その名も、釜中原知行(かまなかはら・かずゆき)というらしい。
2010年。年明け早々、日本サッカー協会の犬飼基昭会長(67)、田嶋幸三専務理事(52)をはじめ、多くの方に祝福の言葉をかけてもらった。
ちょうど1か月前の11月1日、後輩記者が亡くなった。
第88回全国高校サッカー選手権(12月30日開幕)の組み合わせ抽選会が24日、日本テレビで行われた。今回は代表の関係もあり、10都府県が決まらないままの抽選となった。その中に珍しい校名を見つけた。中津工・中津東(大分)だ。
天皇杯取材を通じて、J1以外のチームとの対戦での勝敗以外の楽しさを感じた。10月31日の天皇杯3回戦の大宮―J2仙台戦。個人的には約8年ぶりの仙台戦取材となったが、サポーターの変わらぬ熱気に感動した。
ビーチサッカーW杯アジア予選(7~11日・ドバイ)の日本代表の選手とラモス瑠偉監督(52)らが2日、成田空港から決戦地へ出発した。
普段、座っている記者席から見渡すピッチは、まるで違って見えた。違和感があった。
10月31日、東京・国立競技場で行われたラグビーの「ブレディスローカップ」ニュージーランド代表―オーストラリア代表戦を取材した。日本代表・岡田武史監督(53)が観戦したため、サッカー担当記者の私も「岡田番」として、普段は決して見ることがないラグビー(それも世界トップレベル)を見る機会に恵まれた。
10月24日午後8時43分、韓国から1通のメールが届いた。
芝生のグラウンドは、気持ちいい。
8日にアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準々決勝(対川崎戦23日国立、30日瑞穂)に関する記者会見が、愛知・豊田市のトヨタスポーツセンター内で行われた。担当記者として出席したが、これまで知りえなかったACLの背景(ピッチ外の話)について、学ぶことが多かった。
先日、東京Vのクラブハウスに行くと、中国遠征(20~25日)から帰国したビーチサッカー日本代表のラモス瑠偉監督(52)の姿があった。成果を聞くと成績は3戦全勝。まずまずの成績を残したが、ラモス監督はある苦悩を明かした。なかなか集まって練習する時間がないという。
「勝負は残酷だ」。当たり前のことだが、第33回全日本少年サッカー大会の取材で改めて思い知った。決勝トーナメント1回戦の大宮アルディージャ(埼玉1)―兵庫FC(兵庫)の一戦。大宮アルディージャはゲームを終始しながらも無得点に終わり、大会ルールにより20分ハーフの前後半を終えた後、即PK戦に突入。1人失敗した大宮アルディージャが、涙をのんだ。
8、9日と北海道・夕張郡栗山町のコカ・コーラ環境ハウスで、元日本代表MF中田英寿氏(32)を取材した。彼の負けず嫌いの性格が非常に強く印象に残った。
自分の子供と同じ年齢のサッカー選手に、スポーツの素晴らしさを改めて教えてもらった。
1日から8日に渡って行われた第33回全日本少年サッカー大会の取材にいってきた。大会は名古屋グランパスの初優勝で幕を閉じた。そのエースFW杉森考起(6年)の活躍は衝撃的だった。
1・5列目、あるいは2列目から相手ゴール前へ、積極果敢に、そして、鋭い動きで飛び出し、ゴールを狙う―いわゆる、アタッカータイプの攻撃的MFで、日本サッカー史上NO1の選手は「森島寛晃」と個人的には思っている。
日本サッカー協会・犬飼基昭会長(66)が、本を記した。タイトルは「今日、有効な戦術が明日、通じるとは限らない」(宝島社新書)。担当記者として、ヨイショするわけではないが、タイトル自体が含蓄のある言葉と感じた。第1章は、以下のような書き出しで始まっている。
7日、日本サッカー協会が運営する「JFAアカデミー熊本宇城」の開校式を取材した。
米女子プロリーグ(WPS)に移籍したなでしこジャパンのMF沢穂希選手(30)が12日、チームに合流するため成田空港から渡米した。
17日、米女子プロリーグ(WPS)のベイエリアに移籍する、なでしこジャパンのFW荒川恵理子選手(29)が、東京・稲城市の東京Vクラブハウスで移籍会見を行った。
昨年末から、高校サッカー担当として、全国高校サッカー選手権の取材に走り回っている。残すはあと準決勝と決勝だけ。まだ大会は終わっていないが、現時点で最も印象的だったのは、国学院久我山(東京B)だ。
今月、前日本代表監督のイビチャ・オシム氏(67)を試合会場でお見かけしたことが2度あった。2日の天皇杯4回戦・東京V―広島(西が丘)と、15日の5回戦・大宮―名古屋(NACK)だ。そこで驚いたこと。それはオシム氏の大人気ぶりだ。西が丘サッカー場では、メーンスタンドへの通路には関係者専用のものが無く、サポーターが触れ合うことができる。スタンドに向かうときも、帰るときもサポーターに大人気だった。疲れた表情も見せず、ひとりひとりに握手やサインをしていた。
昨日、9月10日は日本サッカー協会の創立記念日だった。1921年。87年前のこの日、前身の大日本蹴球協会が創設された。
現在、第32回全日本少年サッカーの取材に来ている。今回の取材で、あるチームのイタリア人お父さんとお話する機会があった。「イタリアは少年サッカーはこんなに盛んじゃない。少年では、日本は世界でも本当に強いと思うよ」という言葉が印象的だった。
そのお父さんはイタリア・ミラノ出身。小学生から高校1年生まで、地元のクラブチームでプレーしていたという。サッカーの本場でサッカーやってきた方が言うのだから、本当にレベルが高いのだろう。
デットマール・クラマーさん(83)。「日本サッカーの父」と呼ばれる、名伯楽だ。1960年10月、4年後の東京五輪に備えて強化した日本代表のコーチとして来日。東京五輪ではベスト8。チームが成熟した68年メキシコ五輪では銅メダルを獲得した。
月日の流れを実感する出来事があった。
4月6日、桜が三分咲きの福島・楢葉町のJヴィレッジで、JFAアカデミー3期生の入校式が行われた。男子15人、女子6人の新中学1年生が式典に臨んだ。
我が社が、新聞を発行しない日は、1年でたった1日、1月2日付けだけだ。つまり、1月1日は記事を書くべき新聞がないので、ほとんどの記者は、元日だけは正月気分を味わえる。だが、しかし。そうはいかない者もいる。
ジャイアントキリングはその瞬間に消えた。明大のPK2人目。ゆっくりと助走。狙ったのは左上。だが、無惨にもボールはバーを叩いてゴールならず。明大の「背番号10」、MF橋本は頭を抱えた。
我々サッカー担当の記者は日頃の紙面で「プロのサッカー選手がいかにすごいか」という事を伝えている訳だが、果たして読者の皆さんにうまく伝わっているのだろうか? と思うことは少なくない。先日、やはり彼らは「すごい」のだという事を、身をもって実感した。
ジェフ千葉が月に数回使用する練習場、市原スポレクパークにはユース年代の日本代表チームのサイン色紙が飾ってある。今夏、カナダで行われたU―20W杯で躍進したU―20(20歳以下)日本代表チームが強化合宿を行うたびに施設に寄贈したものだが、これが3枚、U―18代表、U―19代表、U―20代表とある。つまり同じチームの選手たちが2005年の立ち上げから2年の間、18歳、19歳、20歳のときに寄せ書きしたものだ。
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