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2016年7月28日 (木)

野球殿堂記者投票への考察=第33回(1990年度)「喝!」の張本勲4年目で殿堂入り。そして、島岡が候補に

57971676tg2 1990年の競技者表彰投票では真田重蔵が184票、張本勲が169票を得て殿堂入りした。真田は東京、阪急、近鉄で投手コーチを務めていたことで時間がかかったが、前年から56票伸ばした。和歌山・海草中(現向陽高)では1939年が三塁手、40年はエースとして夏の甲子園連覇。41年は文部省通達で大会中止。文部省主催の大会となった42年は年齢制限で出場できなかったが、当時秋に強豪校を集めて行われた神宮大会では4連覇を果たした。翌年、朝日軍に入団し13勝。戦争で2年間のブランクがありながら、1950年松竹ロビンス時代の39勝を挙げて2リーグ制初年度に優勝をもたらすなど通算178勝。また、1963年には大阪・明星高の監督として夏の甲子園優勝に導くなどプロアマ両方で華々しい経歴。3学年上ながら、阪急、近鉄では旧制中学時代のライバル和歌山中(現桐蔭高)の西本幸雄に誘われて若手投手陣を指導して優勝も経験した。「私は本当に運の強い男。これも三塁から投手に転向させてくれた長谷川信義さんのおかげ。左膝の開くのを直すのにプレートの左前方に良く研いだクワを埋めてピッチング練習をやらされました」と往時を述懐していた。

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2016年7月17日 (日)

戦後プロ野球の星となった大下弘…球宴「東西対抗」戦後編

4 球宴はプロ野球がセ・パ両リーグに分立して2年目の1951年からスタートしたが、そのルーツは職業野球と呼ばれていた戦前の1リーグ時代の「東西対抗」だ。そんな時代にタイムスリップして、当時の選手たちが意地とプライドを懸けた東西対抗を戦前編、戦後編の2回に分けて振り返ってみたい。

 戦争で大きく傷ついた日本。そんな焦土の街にプロ野球の球音が響いたのは、終戦からわずか3か月後。1945年11月23日だった。

 戦前に最後までチームを保持していた6球団に、新生のセネタースを加えた7球団の首脳が11月6、7日の2日間、日本野球連盟の理事会で討議。この場で東西対抗開催が決まった。

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野球殿堂記者投票への考察=第32回(1989年度)月見草・野村克也、鉄腕・野口二郎ら殿堂入り

11 平成と元号が変わった直後の1月20日、競技者表彰投票が開票された。当選には164票が必要だったが、候補4年目の野村克也と名審判・島秀之助が188票。投手コーチが多くて、候補に上がるのが遅かった通算237勝の野口二郎が174票で殿堂入りした。4位以下10位までは(4)真田重蔵128票、(5)長谷川良平116票、(6)張本勲114票、(7)筒井修111票、(8)小山正明99票、(9)牧野茂、(10)坪内道則78票だった。

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2016年7月16日 (土)

水原茂、徴兵されるまで球宴フル出場の“ミスター東西対抗”…球宴「東西対抗」戦前編

3 球宴はプロ野球がセ・パ両リーグに分立して2年目の1951年からスタートしたが、そのルーツは職業野球と呼ばれていた戦前の1リーグ時代の「東西対抗」だ。そんな時代にタイムスリップして、当時の選手たちが意地とプライドを懸けた東西対抗を戦前編、戦後編の2回に分けて振り返ってみたい。

 51年に始まった球宴は、コミッショナー制度が確立した日本野球機構の主催だったが、東西対抗は夏の甲子園大会として知られる大阪朝日新聞社の企画だった。

 同紙は37年10月7日付で「職業野球オールスター東西対抗試合」の開催を伝えている。東軍は巨人、セネタース、ライオン、イーグルス。西軍は阪急、タイガース、名古屋、金鯱と8球団を2つに分けて編成。2勝先勝制度だったが、主催者側の本拠地ということで全て甲子園で行われた。

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2016年7月 5日 (火)

野球殿堂記者投票への考察=第31回(1988年度の2)最後の大物オーナー・永田雅一もやっと殿堂入り

1 長嶋茂雄ら4人の競技者表彰が発表された4日後、特別表彰委員の石崎龍が死去した。71歳だった。戦前からの野球記者で「阪神タイガース50年史」の大半を執筆した。「巨人軍50年史」が球団の意向が多く見られるのに対し、タイガース史は冷静な野球歴史書としても充実。それは同氏の功績が大きい。2月4日、特別表彰委員会がホテルグランドパレスで開催された。この時は13人の委員(委任状2人)が、それぞれ候補者を推薦。3人以内の連記で投票を行った結果、大映、大毎、東京、ロッテなどのオーナーを歴任した永田雅一、東京セネタース初代監督、後のパ・リーグ審判部長の横沢三郎、元近鉄バファローズの球団社長の芥田武夫が選出された。

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2016年7月 4日 (月)

メジャーでも記録にない!先発・大谷の「プレーボール弾」

5778d8c4tg2◆ソフトバンク0―2日本ハム(3日・ヤフオクドーム) 日本ハム・大谷がソフトバンク戦に「1番・投手」の仰天オーダーで登場。初回の初球を強振し、先制のプレーボール弾を放った。2年ぶりの2ケタとなる自己最多タイの10号ソロで流れを呼び込むと、投げては8回無失点の熱投。自身7連勝で8勝目を挙げてチームを10連勝に導き、今季初の2位へと押し上げた。「1番・投手」での先発はプロ野球3人目、本塁打は史上初の快挙となった。

 6月30日、海の向こうではジャイアンツのM・バムガーナー投手が、DHが使えるアスレチックス戦で「9番・投手」に入り、二塁打を放って話題となった。だが、今回の大谷のようにDH制を使わず、「1番・投手」で出場してのプレーボールアーチは、メジャー関係者も“びっくりぽん”の出来事だろう。

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2016年6月30日 (木)

地下鉄サリン事件に出動した元プロ野球選手完全版(後編)東京消防庁編(第839回の2)

2 夫人と子供2人を抱えての退団だったが、親戚から「警察か消防なら紹介してやる」と言われ、東京消防学校で猛勉強して半年後に採用試験に合格した。最初は江戸川消防署に配属され、当初は消防だったが、すぐに救急隊に配属。給料は大幅に減ったが持ち前の負けん気と頑丈な体で、夜勤などをこなして奮闘。都内を走り回り「仏(死体)さんも何体見たか、数えきれません」と当時を思い出す。そして、1992年には、勤務の間を縫って病院実習などをこなして勉強を積み救急救命士試験に合格。それまでは患者の搬送だけだった仕事が、救急車の中で一定の処置も行う責任の重さを受け止めながら、救急隊長にも上りつめた。

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2016年6月29日 (水)

地下鉄サリン事件に出動した元プロ野球選手完全版(前編)習志野高→阪急ブレーブス時代(第839回の1)

1 日本プロ野球機構(NPB)は近年、退団した日本人選手の進路調査を行っているが、OBの中には救急救命士になって東京消防庁で活躍、あの地下鉄サリン事件に出動した経験のある人もいる。元阪急の斎藤喜さん(68)だ。習志野高時代は、中日で首位打者2度、通算2062安打を放った谷沢健一さん(野球評論家)と3、4番を組んだ強打者だった。そんな斎藤さんに、セカンドキャリアについて自らの経験を踏まえて語ってもらった。

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2016年6月23日 (木)

「ヒルマニア」2016年版イチロー特集(第838回)

 5月下旬からイチロー関連のヒルマニアを続けて書いた。
 私のネガティブな予想を見事覆した51番に敬意を表して、この1か月分のヒルマニアを一挙掲載する。

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2016年6月21日 (火)

イチロー「名誉キャプテン」で6年ぶり球宴ある!?

 イチローの6年ぶりオールスター出場待望論が米メディアで盛り上がっている。メジャーのオールスター戦はネット投票のみだが、4月時点でレギュラーに入っていないイチローはノミネート枠から外れている。

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蛭間 豊章

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