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2016年8月21日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第35回(1992年度)豊田泰光のライバル、名遊撃手2人が殿堂入り

57b588bftg1 現役時代は西鉄ライオンズの3連覇に貢献した勝負強いバッティング、野球評論家として辛口ながら選手目線で優しさのある、そして野球界の将来を考えた背広組への手厳しいコメントで、硬派 野球ファンの人気を集めていた豊田泰光が8月14日に81歳で亡くなった。ほとんどのスポーツ紙に掲載されていたのが、現役時代の遊撃の守備ぶりを伝えた野球評論家・小西得郎が1950年代半ばに、巨人・広岡達朗、阪神・吉田義男、豊田という当時の球界を代表する3人の遊撃手を評した「吉田は絹糸、広岡は麻糸、豊田は木綿糸」というコメント。打球を素早く処理する華麗さの吉田、爽やかなプレーの広岡、武骨なまでに泥臭い豊田というわけだ。ただ、打撃成績では豊田、吉田、広岡の順だった、そんなライバル広岡と吉田が先に野球殿堂入りした(豊田は2006年)。1月22日に発表された競技者投票部門、当選必要数は162票だったが、(1)広岡達朗174票、(2)坪内道則172票、(3)吉田義男166票。1948年にプロ野球初の1000試合出場と1000安打を達成した坪内とともに選出された。

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2016年8月11日 (木)

イチローへの、もう一つの期待(第840回)

57ab4341tg4 マリナーズのイチローが通算3000安打を達成したデンバーでのデーゲームの気温は28度。振り返ってみると、メジャー初安打は零度近い極寒のシアトルだった。オリックスからマリナーズにポスティング・システムで渡米した2001年4月2日。マリナーズの本拠セーフコ・フィールドでのアスレチックスとの開幕戦に4万5991人の超満員のファンが詰めかけていた。そして誰もが注目していたのが日本プロ野球のスーパースター、オリックスで7年連続首位打者となったイチロー。彼は「1番・右翼」に名前を連ねていた。だが、前年20勝6敗の右腕ハドソンの低めに集める投球には手こずった。第1打席が二ゴロ、第2打席が一ゴロ、第3打席が空振り三振。7回、投手がマシューズに代わったのが幸いした。2ボール1ストライク後の4球目のやや外角高めの直球をたたいた。投手のグラブをかすめて中前へ。現地の午後9時41分。このヒットをきっかけにチームは同点に追いつき、8回無死一塁からの送りバントが内野安打となってマルチ安打デビューだった。

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2016年8月 7日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第34回(1991年度)桑田武急死で扱い極小に。理由はそれ以外にも?

19910123f0ehm010000000 1991年の競技者表彰投票開票の1月22日。1959年に中大から大洋ホエールズ入り、いきなり31本塁打してタイトルを獲得し、新人王にも輝いた昭和30年代のプロ野球を代表するスラッガー、桑田武が21日にクモ膜下出血で急死したことが明らかになった。黒い交際もあってか、1970年限りで球界から身を引いていた。54歳の死に球界関係者の多くが驚きのコメントを残していたが、通夜に訪れた野球関係者は少なかったという。23日付けのスポーツ各紙の1面は1960年ホエールズ日本一の主砲で、川崎球場のファンを熱狂させた桑田一色だった。その結果、必然的に野球殿堂のニュースは扱いが小さくなった。なお、通算223本塁打した桑田は1度も野球殿堂候補者に入らなかった。

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2016年7月28日 (木)

野球殿堂記者投票への考察=第33回(1990年度)「喝!」の張本勲4年目で殿堂入り。そして、島岡が候補に

57971676tg2 1990年の競技者表彰投票では真田重蔵が184票、張本勲が169票を得て殿堂入りした。真田は東京、阪急、近鉄で投手コーチを務めていたことで時間がかかったが、前年から56票伸ばした。和歌山・海草中(現向陽高)では1939年が三塁手、40年はエースとして夏の甲子園連覇。41年は文部省通達で大会中止。文部省主催の大会となった42年は年齢制限で出場できなかったが、当時秋に強豪校を集めて行われた神宮大会では4連覇を果たした。翌年、朝日軍に入団し13勝。戦争で2年間のブランクがありながら、1950年松竹ロビンス時代の39勝を挙げて2リーグ制初年度に優勝をもたらすなど通算178勝。また、1963年には大阪・明星高の監督として夏の甲子園優勝に導くなどプロアマ両方で華々しい経歴。3学年上ながら、阪急、近鉄では旧制中学時代のライバル和歌山中(現桐蔭高)の西本幸雄に誘われて若手投手陣を指導して優勝も経験した。「私は本当に運の強い男。これも三塁から投手に転向させてくれた長谷川信義さんのおかげ。左膝の開くのを直すのにプレートの左前方に良く研いだクワを埋めてピッチング練習をやらされました」と往時を述懐していた。

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2016年7月22日 (金)

2部門でベストナイン選出OK“大谷ルール”設けては

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 日本ハムの大谷翔平投手(22)が20日の楽天戦(帯広)で自己最多タイの11本塁打を放った。オールスター戦の爆発に続いての活躍に、“投手の大谷"の打撃ではなく、一人の強打者として位置づけてもいい存在で、DHとしてもリーグ有数だ。

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2016年7月17日 (日)

戦後プロ野球の星となった大下弘…球宴「東西対抗」戦後編

4 球宴はプロ野球がセ・パ両リーグに分立して2年目の1951年からスタートしたが、そのルーツは職業野球と呼ばれていた戦前の1リーグ時代の「東西対抗」だ。そんな時代にタイムスリップして、当時の選手たちが意地とプライドを懸けた東西対抗を戦前編、戦後編の2回に分けて振り返ってみたい。

 戦争で大きく傷ついた日本。そんな焦土の街にプロ野球の球音が響いたのは、終戦からわずか3か月後。1945年11月23日だった。

 戦前に最後までチームを保持していた6球団に、新生のセネタースを加えた7球団の首脳が11月6、7日の2日間、日本野球連盟の理事会で討議。この場で東西対抗開催が決まった。

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野球殿堂記者投票への考察=第32回(1989年度)月見草・野村克也、鉄腕・野口二郎ら殿堂入り

11 平成と元号が変わった直後の1月20日、競技者表彰投票が開票された。当選には164票が必要だったが、候補4年目の野村克也と名審判・島秀之助が188票。投手コーチが多くて、候補に上がるのが遅かった通算237勝の野口二郎が174票で殿堂入りした。4位以下10位までは(4)真田重蔵128票、(5)長谷川良平116票、(6)張本勲114票、(7)筒井修111票、(8)小山正明99票、(9)牧野茂、(10)坪内道則78票だった。

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2016年7月16日 (土)

水原茂、徴兵されるまで球宴フル出場の“ミスター東西対抗”…球宴「東西対抗」戦前編

3 球宴はプロ野球がセ・パ両リーグに分立して2年目の1951年からスタートしたが、そのルーツは職業野球と呼ばれていた戦前の1リーグ時代の「東西対抗」だ。そんな時代にタイムスリップして、当時の選手たちが意地とプライドを懸けた東西対抗を戦前編、戦後編の2回に分けて振り返ってみたい。

 51年に始まった球宴は、コミッショナー制度が確立した日本野球機構の主催だったが、東西対抗は夏の甲子園大会として知られる大阪朝日新聞社の企画だった。

 同紙は37年10月7日付で「職業野球オールスター東西対抗試合」の開催を伝えている。東軍は巨人、セネタース、ライオン、イーグルス。西軍は阪急、タイガース、名古屋、金鯱と8球団を2つに分けて編成。2勝先勝制度だったが、主催者側の本拠地ということで全て甲子園で行われた。

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2016年7月 5日 (火)

野球殿堂記者投票への考察=第31回(1988年度の2)最後の大物オーナー・永田雅一もやっと殿堂入り

1 長嶋茂雄ら4人の競技者表彰が発表された4日後、特別表彰委員の石崎龍が死去した。71歳だった。戦前からの野球記者で「阪神タイガース50年史」の大半を執筆した。「巨人軍50年史」が球団の意向が多く見られるのに対し、タイガース史は冷静な野球歴史書としても充実。それは同氏の功績が大きい。2月4日、特別表彰委員会がホテルグランドパレスで開催された。この時は13人の委員(委任状2人)が、それぞれ候補者を推薦。3人以内の連記で投票を行った結果、大映、大毎、東京、ロッテなどのオーナーを歴任した永田雅一、東京セネタース初代監督、後のパ・リーグ審判部長の横沢三郎、元近鉄バファローズの球団社長の芥田武夫が選出された。

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2016年7月 4日 (月)

メジャーでも記録にない!先発・大谷の「プレーボール弾」

5778d8c4tg2◆ソフトバンク0―2日本ハム(3日・ヤフオクドーム) 日本ハム・大谷がソフトバンク戦に「1番・投手」の仰天オーダーで登場。初回の初球を強振し、先制のプレーボール弾を放った。2年ぶりの2ケタとなる自己最多タイの10号ソロで流れを呼び込むと、投げては8回無失点の熱投。自身7連勝で8勝目を挙げてチームを10連勝に導き、今季初の2位へと押し上げた。「1番・投手」での先発はプロ野球3人目、本塁打は史上初の快挙となった。

 6月30日、海の向こうではジャイアンツのM・バムガーナー投手が、DHが使えるアスレチックス戦で「9番・投手」に入り、二塁打を放って話題となった。だが、今回の大谷のようにDH制を使わず、「1番・投手」で出場してのプレーボールアーチは、メジャー関係者も“びっくりぽん”の出来事だろう。

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蛭間 豊章

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