夢を選んだ野茂にボンズ脱帽
野茂が太平洋を越えて残した通算の完投、完封、投球回、奪三振など、ほとんどが日本人メジャーNO1。1試合のパフォーマンスでは、90年代後半からのメジャー全体を彩った。2度のノーヒッター(96、01年)、走者1人だけの準完全試合(01年)、1試合17奪三振(96年)、2試合連続完封、月間6勝(ともに95年)。それは、日本人という枠を通り越して、大リーグ関係者も目を見張る記録の数々だ。
打っても、日本人選手の本塁打第1号を98年に放ち、04年には松井秀(ヤンキース)に打たれた後に、左翼を守る松井の頭上を越えて通算4号をたたき込み、初の日本人アーチ競演として先輩の意地を見せた。
95年、フォークと150キロを超える速球で、通算762本塁打の米大リーグ記録を残すボンズ(ジャイアンツ)と13度対戦して単打1本で4三振。「お金も名誉も関係なく、自分の夢を実現するために、危険を冒してメジャーにやってきたノモには脱帽だ」と言わせるなど、1年目から大リーガーの心もとらえた。
もちろん、テレビの前で見ていた日本のプロ野球選手、野球少年にも、夢を現実にしたトルネードの活躍は、大きなインパクトを与えた。98年オフには伊良部秀輝投手の渡米をきっかけに、ポスティングシステム(入札制度)も生まれ、イチロー、松坂大輔が巨額を残して球団を去った。FA権取得者でも秀喜と稼頭央のWマツイがメジャーに進出。97年以降は毎年、日本から米国に旅立っている。スター流出が日本球界に大きな影響を及ぼしたのは間違いない。ただ、それは野茂の責任ではなく、日本球界の停滞が要因の一つとも言える。
実働10年以上という米野球殿堂入りの資格(引退5年後に投票される)を取得した日本人選手は、現在では野茂だけ。日本での殿堂入りはほぼ確実な野茂が、5年後に何票獲得するのか興味深い。そのためにも、あと82に迫っていた、現役でも8人しかいないメジャー通算2000奪三振を達成してほしかった。(2008/07/18掲載)




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