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2009年4月18日 (土)

誰も気づかなかった「初の1000安打」坪内

 ◆マリナーズ1―5エンゼルス(16日・シアトル) 第2次世界大戦終結の1945年までの戦前最多安打は、38年秋にプロ野球初の3冠王となった巨人・中島治康外野手の713本。しかし、プロ野球創設時からプレーし続けた金星・坪内道則外野手(その後道典に)が47年に抜き、翌年には日本プロ野球初の通算1000安打の金字塔を打ち立てた。

 ただし、その記録は当時、報道されていない。連盟が出版していた「週刊 日本野球」をめくったが、坪内が9月12日に初の通算1000試合出場達成は伝えているものの、9月28日の急映戦で記念の一打を放ったことは一切触れられず、後日達成日が特定された記録だった。身長164センチながら、イチローと同じような三拍子そろった右打ちの外野手。通算本塁打は34本も、2度の盗塁王に輝くなど通算344盗塁を記録した。46年には442打席で6三振というバットに当てるうまさに加え、徴兵検査直前の試合中に左肩鎖骨骨折で『第二乙種』とされ、他の多くの選手のように戦地に赴くことがなかったのが幸い、初の大台達成者となった。

 坪内は51年に1472安打で現役を引退したが、“打撃の神様”巨人・川上哲治内野手が52年10月3日の広島戦で1試合5安打し1475本と一気に更新。ところが、当日は巨人のリーグ2連覇決定試合で、本紙は1行も触れていなかった。

 しかし、昭和30年代以降に注目度は高まっていく。56年5月31日、川上の初の2000安打は大きく報じられた。イチローが生まれた73年、8月9日の太平洋戦で、川上の2351本を塗り替えたのが、南海の監督兼選手だった野村克也。その座も“安打製造機”巨人・張本勲が78年6月14日の阪神戦で2829本で抜き去った。初の200安打を達成したイチローは翌95年、張本から「自分の記録を抜くのはお前だ」と言われたという。その言葉を頭の片隅に置きながら安打を量産した。

 意識もせず、知らない間に記録を更新した坪内、川上に対して、目標を持って数字を積み重ねていった後年のスーパースターたち。巨人の前身・大日本東京野球倶楽部誕生から75年。イチローの記録には、多くの日本プロ野球選手の汗と涙が詰まっている。(所属は当時=敬称略)

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