ショックなザ・バードの事故死(第466回)
マリナーズのイチロー外野手が現地15日に3085安打、翌16日に3086安打を放ち、日米合計ながら張本勲さんが持つ日本プロ野球記録の3085安打を上回った。本紙では2日連続号外を発行し、偉業を速報した。しかし、私的に先週最も衝撃を受けたのは元タイガースのマーク・フィドリッチ投手の事故死だ。9日にエンゼルスのニック・アイデンハート投手が飲酒運転の車に追突されて死亡したばかり。フィドリッチは私が、大リーグの記事をスクラップし始めた時にセンセーショナルなデビューを飾った投手で、13日に自分の農場で作業中に、大型トラックの車輪に巻き込まれるという悲惨な事故だった。
彼の略歴を書かせてもらう。1974年、ドラフト10位でタイガース入り。76年4月20日に大リーグ・デビュー。当初は中継ぎだったが5月16日インディアンス戦、先発予定の投手が風邪のため急きょ代役として抜擢された。いきなり7回までノーヒット、終わってみればメジャー初勝利を2安打1失点完投で飾った。この一戦でローテーション入り。続くレッドソックス戦は敗れたものの、その後8連勝。ピッチング以上に注目されたのが、毎回ボールに話しかける仕草だった。全米中継となった6月28日ヤンキース戦の完投勝利で一気に全米の少年少女を虜にした。オールスター戦にも選出、先発に抜擢され、2回を2失点で敗戦投手となったが、4月までメジャー未勝利だった男のサクセス・ストーリーは各メディアに掲載された。
29試合の先発で24度の完投でシーズン19勝、防御率1位にも輝いた。彼が投げる試合には多くのファンが集まり、タイガー・スタジアムでの18試合の先発試合の観客数は、他投手先発の63試合と大差がないほどの入り。一方、他球団はフィドリッチの先発ローテーションを変えて、主催試合での先発を要請するまでになった。マイナー時代に手足が長いことから当時、子供たちに人気のあったセサミ・ストリートの「ビッグ・バード」から付けた“ザ・バード”のニックネームが付けられたが、スポーツ・イラストレイテッド誌では本家の「ビッグ・バード」と競演して表紙を飾った。
こんな人気選手に、多くのエージェントが彼の元へ群がったが「自分の価値は自分しか分からない」とすべて断った。最低年俸の1万6500ドルだったこともあるが、デトロイトでは小さなアパートに住み、小型車に乗り、ジーパン姿というライフスタイルがまた女性ファンの共感を呼んだ。チームではボーナスとして2万5000ドルを送ったが、総額25万5000ドルの3年契約を結んだ。今なら年1000万ドルはくだらない年俸をもらっていたはずだ。
しかし、1977年にキャンプで外野を走っていた際に膝を痛めてわずか11試合の登板に終わり、推薦されたオールスター戦の出場も辞退。1980年8月12日、タイガー・スタジアムに4万8361人の大観衆を集めて再起のマウンドに期待したが8回5失点で敗戦投手となり、かつての速球はもどらずに1983年6月29日に28歳で現役引退を表明。29勝19敗で故郷に戻って農場を経営していた。それでも、デトロイトのファンは忘れずにタイガー・スタジアム最後となった1999年9月27日ロイヤルズ戦で元気な姿を見せたフィドリッチに惜しみない拍手を送ったのも昨日のようだ。
タイガースは15日のホワイトソックス戦の前に本拠地コメリカ・パークで追悼式を行った。タ軍のジム・リーランド監督はフィドリッチが故障時代に所属した3Aエバンスビルの指揮官だった。同監督の母親が、彼の食事の面倒を見ていたこともあって、フィドリッチは最後のメジャー登板のウイニングボールを、監督の母親にプレゼントしたというエピソードも明かしている。
日米OBオールスター戦で1度だけ会ったことのある私も、この場を借りて冥福を祈りたい。
[写真]1977年6月6日号のスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾ったフィドリッチ




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