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2009年5月23日 (土)

野村克也監督の宇佐美徹也さんへの思い出(特別版)

 

宇佐美徹也さんの葬儀には名著「ON記録の世界」の縁もあって、長嶋茂雄さん、王貞治さんからの生花が飾られていた。また、現役監督では楽天の野村克也監督から弔電と共に生花も供えられていた。南海時代から親交があり、1977年の解任騒動の時は、心配して東京からわざわざ同監督の自宅に出かけていったほどだ。

楽天担当の加藤弘士記者によると、22日・巨人戦の前に野村監督は

「宇佐美さんから来たんだよ。“ぜひ会いたい”と。評論家の時にも世話になった。“面白い記録があったら、下さい”と、いつももらっていた。阪神の監督やっていた頃、稲尾の最多登板記録(1961年の78試合)に…誰だったっけ?(2000年の伊藤敦規が71試合) 年間の最多登板に近づいてきたんだよ。そしたら“稲尾は内容が違う。ワンポイントで最多登板なんて、やめてくれないか”と言われてな。それで、その投手を使うのを、やめさせたんだよ」
と話したという。

 言葉通り、チームが最下位に低迷していたこともあって野村監督は8月まで111試合中60試合も起用した伊藤を、9月以降の24試合で11試合しか使っていない(もっとも、2001年に広島・菊地原毅が78試合で並び、2005年に阪神の藤川球児が80試合の新記録、2007年阪神・久保田智之は90試合という破天荒の数字を残した)。

 宇佐美さんから、パ・リーグに入った1年目の1956年の苦労話を聞かされたことがある。当時、パ・リーグは8球団154試合制度で史上最多の616試合(現在は432試合)で、毎日集計にあけくれていたという。そんな、時代を過ごしただけに、先発にリリーフに投げ続け、42勝、404イニングを記録した1961年の稲尾投手。そして、1963年、150試合フルイニングにマスクをかぶり続け、当時の年間最多本塁打記録も塗り替えた野村捕手に対しての思い入れは人一倍だったのではないだろうか。

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コメント

1973年に王さんが野村監督の通算本塁打数を抜こうとしたとき、追い抜かれても何度も追い付き、抜き返し、ついに力尽きたノムさんの「執念」を、記録から見事に浮かび上がらせた宇佐美さんの名文は「殿堂入りクラス」でした。オールスターで王さんの打撃成績がいま一つだった背景にもノムさんのリードがあったことなど、宇佐美さんが野村克也という野球人を月見草ではなく「ひまわり」にしたと言っても過言ではないと思います。

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