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2009年5月19日 (火)

「記録の神様」の死去を悼む(第471回)

 このコラムを読んでいる方は、新聞やネットのニュースでご存じだと思いますが、報知OBで元BISデータ本部初代室長の宇佐美徹也さんが17日に亡くなった。スポーツ報知の9版では、宇佐美さんの一番弟子で、私の先輩でもある前藤衛さんが「悼む」を寄せてくれた。安田猛の連続イニング無四死球、小川亨の連続打席無三振の話は、プロ野球の記録担当として、その場に直接いただけに懐かしくも、宇佐美さんの人柄が思い出された。

 前藤さんは報知で20年間、宇佐美さんの下で厳しい指導を受けましたが、私は15年間一緒に仕事をさせていただいた。ばんばひろふみの「SACHIKO」ではないですが、「ほめられた事は片手で余る」「怒られた事は両手でも足りない」という事の繰り返しでした。何しろ、原稿を見せるのが恐かった。実は入社3年目で、初めて「記録スポット」(1975年のタイトル)を任された4月24日、南海・阪急戦で阪急の加藤英司内野手が8、9号と連続本塁打した。それについての原稿を書いて出すと、ちょっと読んだだけで「前藤、お前書け」だった。変わりに、その日集計担当だった前藤さんが書いてくれた。私は、いたたまれなかった。悔しさというより、恐いというのが最初に感じた思いだった。

 記録担当だった時期は、そんな日々の連続だった。こんな事もあった。1984年10月10日、4年ぶりの優勝を飾った広島が全日程を終了。連続試合出場中の衣笠祥雄内野手が14年連続全試合出場を達成。宇佐美さんが休みの日で記録室担当だった私は、「(当時の)大リーグ記録、ルー・ゲーリッグの13年連続を抜いた」と書いた。翌日の報知は、初の打率3割で打点王に輝きMVP候補筆頭だったこともあり1面で取り上げ、見出しは「鉄人 衣笠“世界一”」だった。出勤してきた宇佐美さんは「何で、こんな事を書いたんだ。ゲーリッグとでは内容が違うだろうが、内容が」と叱責された。2人の打撃成績や先発出場数などで差があったことを挙げ、表面上の数字だけ抜いただけでは、意味がない、という宇佐美さんのポリシーを改めて教えてくれた。その後も宇佐美さんは、年間最多登板にまつわる記録や、醜いタイトル争いには徹底的にかみつく硬骨漢でもあった。

 一方、宇佐美さんのアイデアや記録の分析方法は、生まれついての「記録の神様」の所作だった。いつも上着のポケットに小さな紙切れが入っている。電車に乗っている時にも、何か気付いたことがあったら「メモを書き」その後の原稿の糧にした。報知新聞退社後はコンピューター集計で検索機能を充実させるという貢献をしたが、手集計を忘れずに体を悪くするまで、プロ野球のノートを付けていた。「手集計の良さは、そこでまた新しい事実を見つける事が出来るからだった」。パソコンに入力しているのとは違うアナログの良さを忘れなかった。

 「プロ野球記録大鑑」や「ON記録の世界」など数多くの本は書かれているが、もっとも多くの子ども達を喜ばせたのは1978年から体を悪くされるまでの2004年まで毎年出し続けた「プロ野球全記録」ではないだろうか。私は1999年、ワールドシリーズ取材の際に聞いた、通信社の記者の「あれを買ってプロ野球の記録に興味を持つようになりました」という声が、宇佐美さんの功績をもっともあらわしていると思った。

 元気だったら、WBCやイチローの記録も独特な考察で分析していたかもしれない。第456回の「野球の語り部がまた一人亡くなった」で書いた田村大五さんとは、同氏の報知時代からのつきあい。ともに野球への愛情は人一倍で語り始めたら、止まらない2人。今頃、天国で我々、後輩達に「お前らがしっかりしないからダメなんだ」と言い合っているような気がする。合掌。

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» 宇佐美徹也さんは記録に「血」を通わせた人だった トラックバック 上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain Annex  「店主日記」
「人間の記憶ぐらいあてにならないものはない。記事を書くときは必ず文献・資料に目を通さなければダメですよ」──十数年前、野球体育博物館で宇佐美徹也さんに恐る恐る声をかけてお話をうかがったとき、かけていただいた言葉だ。... [続きを読む]

コメント

私も宇佐美さんにはお世話になりました。宇佐美さんの「プロ野球記録大鑑」を通じて様々な記録の分析方法、数字から見た過去の名選手の名人芸、実際に起こったプレイを基にしたルールの解説など、数多くのものを学びました。私の恩人です。晩年は辛い闘病生活を送られていたと聞いています。ご冥福をお祈りします。

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