祝・記録の手帳連載2500回(第508回)
元パ・リーグ記録部長の千葉功さんが、週刊ベースボールで1961年から連載している「記録の手帳」が11月30日号で通算2500回となった。9年前の2月、2000回を記念して本紙社会面のnewsXで取り上げた時に、スタッフが調べた当時続行中だった長期連載2位は週刊新潮・山本夏彦さんの「写真コラム」の1030回だった。しかし、山本氏は2年後に死去。3位(892回)、4位(804回)も現在はなく5位に入っていたサンデー毎日・髙橋春男さんの「大日本中流小市民」が12月13日号で1180回だから、他を寄せ付けない。スタートして半世紀にもなる長寿ぶり、それに加えて一度も休載がないという千葉さんの体調管理。次から次へと浮かんでくる原稿のアイデアに改めて驚嘆させられる
7日には都内のホテルで記念パーティーが行われ120人以上が出席。千葉さんと関わりのあった人たちが、次々に祝辞と思い出話を語った。私も中学
時代、兄が買ってきた週刊ベースボールで初めて読んでから虜(とりこ)になったことや、報知入社後のおつきあいなどをお話させていただいた。私にとっては
今年5月に亡くなった宇佐美徹也さんとともに、人生の師の一人。今でも週ベで最初にページをめくるのが千葉さんの「記録の手帳」だ。毎週、読者の興味をそ
そる題材を原稿と表でまとめる作業は、本コラムで毎週、艱難辛苦(かんなんしんく)で絞り出している私から見れば驚異というほかはない。
1960年代初頭のパ・リーグ事務局は3人の「野球人」を育(はぐく)んだ。一人は千葉功さん、一人は後に報知新聞―BISデータ本部初代室長と なった宇佐美徹也さん、そして大リーグの語り部として、ドラフト会議の進行役として知られた伊東一雄さん。セ・リーグに人気面で差をつけられていたパ・ リーグにあって、1933年から35年生まれの“鬼才トリオ”がその後、野球ファンを楽しませてくれた功績は計り知れない。
実は、私はこの中に元明大教授だった1934年生まれの鈴木武樹さん(週刊ベースボールで江崎伸夫の署名でプロ野球千夜一夜として連載・後に三一 書房から出版した批判的・日本プロ野球史、アメリカ・プロ野球史の2冊は私の野球への見方を変えた)名前も加えたい。私は一度もお会いすることが出来な かったが、報知新聞にも、パ・リーグにもよく顔を出していたという。「六三制,野球ばかりがうまくなり」と皮肉られた時代に、野球選手になれなかった4人 の野球への思いを、次々と文章にして我々、後の世代を育ててくれた。
しかし、鈴木さんが1978年に早々と旅立ち、その後も活躍を続けた伊東さんは2002年に、宇佐美さんは今年5月に死去された。そんな中、千葉 さんはパ・リーグ退職後毎年のように春と秋に渡米。今年は新ヤンキー・スタジアムで松井秀喜がMVPになったのも間近で見守ったという。昔、野球談義に花 を咲かせた4人が夢にも思わなかったであろう日本人選手のワールドシリーズMVPも、2500回連載への神様からのプレゼントだったのかもしれない。野球 が好きで好きでたまらない74歳の万年青年・千葉さんには、先に逝った3人の分まで野球界について書き続けて欲しいものです。




野球選手になれなかったで検索しました私は44歳で 子供の頃 野球ブームかなぁ。野球部の人気もすごかった 野球部の人は 女性にモテた。
野球部の練習量は すごかった 朝練もあって(思い出せない) 漫画とかアニメとか 見ていたかなぁ?優等生の学年トップ組みも 勉強ばかりだったみたい。筋肉と成長を考える 食事バランス 体の水分 昔は そんな知識ないかなぁ
投稿: 村石 太6020号 名古屋 | 2010年5月19日 (水) 11:10