2000年代、日本人NO1スポーツ選手はイチロー(第511回)
AP通信が2000年代(2000~09年)、最も輝かしい成績を残したスポーツ選手を選出する「アスリート オブ ザ ディケード」に、ゴルファーのタイガー・ウッズを選出した。AP通信が全米の加盟142社にアンケートをとり、ウッズが56票を獲得し、自転車(ツーリング)のランス・アームストロング(33票)、テニスのロジャー・フェデラー(25票)を押さえて選ばれた。陸上の100メートル、200メートル世界記録保持者ウサイン・ボルトにも4票入っているものの米国NO1を決める投票と言っていい。米大リーグはこの10年間、薬物疑惑に揺れたためか、アレックス・ロドリゲスもバリー・ボンズも票が入らず、デビュー9年間すべてに3割、30本塁打、100打点をマークし続けているカージナルスのアルバート・プホルス内野手に1票入っただけだ。
同じ試みを日本のスポーツ界に当てはめて、ピックアップするとマリナーズのイチロー外野手。五輪金メダル組からは、アテネ、北京で4個獲得した北島康介、柔道ではシドニー、アテネ連続の谷亮子、野村忠宏(野村は1996年アトランタから3連覇)。12月18日に10度目の防衛に成功したボクシング・バンタム級の長谷川穂積も、この10年間を代表するアスリートだ。このうち、誰か一人と言われれば、メディアの露出度も加味してイチローを選ぶ。日本人の枠を飛び越えて、大リーグ史上初の9年連続200安打も達成するなど、数々の記録が証明している。日本人選手初の五輪2大会連続個人種目で複数獲得の北島は惜しくも次点だ。
この手法で第2次世界大戦後の各10年代(1940年代は4年間)ごとのスーパースターを選出してみよう。1940年代は1948年に水泳自由形で当時の世界記録を軒並み塗り替え、翌年の全米選手権で米国民をあっと言わせた古橋広之進。プロ野球界では青バットの大下弘、赤バットの川上哲治らがいる。ここは、戦後の日本人に勇気を与えてくれた古橋か。
国民の生活も安定した1950年代となると、年3場所から4場所、5場所、6場所になる過度期だった大相撲から9度優勝の栃錦、7度Vの若乃花。プロ野球ではデビュー2年目の1951年から9年連続20勝の金田正一、新人王、MVP以外にも計10度の3冠部門を獲得し4度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した中西太、チームメートで3年連続30勝し「神様、仏様、稲尾様」と言われた稲尾和久、ボクシングでは初の世界チャンピオン、フライ級の白井義男。しかし、私は戦後の日本の象徴として大相撲からプロレスに転向した力道山を挙げたい。
1960年代になると群雄割拠だ。プロ野球を国民的スポーツにした長嶋茂雄は、10年間で4度の首位打者。チームを7度日本一に導き、うち3度シリーズMVPに輝いた。1965年に戦後初の三冠王、8年連続本塁打王、6年連続打点王となった野村克也、4度首位打者の張本勲(王貞治は1970年代に)。大相撲では10年間で30回優勝した大鵬、ボクシングはフライ級、バンタム級に次いでフェザー級の「三階級制覇」を狙いながら、1969年ジョニー・ファメションとの「敵地判定」で、快挙が幻となったファイティング原田。そして、サッカー界では早大で2度社会人チームを破って天皇杯獲得に貢献。1968年メキシコ五輪で7得点を挙げ、得点王に輝き銅メダル獲得の原動力となった釜本邦茂。また、東京―メキシコ五輪と重量挙げ・フェザー級で連覇した三宅義信もいる。流行語にもなった子供達が好きなもの「巨人・大鵬・卵焼き」の時代だった60年代。甲乙付けがたいが、大鵬を抑えて現時点での注目度も含めて長嶋か。
1970年代はジュニアフライ級世界王者で、日本記録の13回連続防衛の具志堅用高(70年代は10回連続防衛)。プロ野球界では2年連続三冠王を含め438本塁打を放った王貞治。1977年の通算756号は大リーグ記録、ハンク・アーロンを抜いた。10年間すべてに盗塁王となった福本豊。7度のリーグ優勝を飾った阪急の黄金時代は福本の切り込み隊長ぶりあったればこそだ。体操日本の象徴で、1968年メキシコに次いでミュンヘンと個人総合連覇の加藤沢男(モントリオールと合わせ70年代団体2個合わせ4個の金メダル)らだが、ここは、初の国民栄誉賞を受賞した王に決まり。
1980年代は3度の三冠王の落合博満、1986年まで世界自転車選手権10連覇の中野浩一。10年間で29度優勝の千代の富士。ラグビーでは1979年1月から7連覇の新日鉄釜石の名スクラムハーフの松尾雄治。落合は日本一になっていないだけに、千代の富士と中野浩一の争いも世界という意味で中野を選びたい。
1990年代でイチローが1994年から連続首位打者も2000年代に譲る。野球界ではもう一人、忘れてはいけないのが野茂英雄。近鉄時代の鮮烈なデビューに、1995年にドジャースに移籍し米国をも沸かせ、ノーヒットノーランまでやってのけた。また、1988年のソウル五輪でバッテリーを組んだ古田敦也も、ヤクルト黄金時代を築いた名捕手だ。Jリーグが1993年にスタートしたサッカーでは初のアトランタ五輪の活躍、ワールドカップ初出場にも貢献した中田英寿、競馬では10年間で9度賞金王の武豊、ゴルフ界では10年間で7度賞金王となった尾崎将司。ここは日本人大リーガーのパイオニア・野茂だ。
駆け足で戦後の名選手を列挙してみた。「こんな選手が落ちている。彼よりもこっちの方がすごいよ」と思われるでしょうが、これは私個人の独断と偏見に満ちた意見と思ってください。あと10年後、
ゴルファーの石川遼、菊池雄星投手らが、2010年代を象徴する選手になってくれるのか楽しみです。




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