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2010年7月15日 (木)

旧ヤンキー・スタジアム時代の終焉(第552回)

 旧ヤンキー・スタジアムの場内アナウンスを57年間も務めたボブ・シェパードさんが99歳で亡くなったのが11日。2日後には何と、シェパードさん訃報のコメントを出したばかりのヤンキースのオーナー、ジョージ・スタインブレナー氏が後を追うように心臓発作のため80歳で死去した。同日開催されたオールスター戦では試合前に、スタインブレナー氏に対し黙祷が捧げられ、ア・リーグの2番に入ったデレク・ジーターが、本拠地で流しているシェパードさんの録音テープを使用し打席に入り、逝去を悼んだ。

 ニューヨークのヤンキース・ファンを悲しませたシェパードさんについては、1980年代から渡米し、米大リーグを取材し続けている出村義和さんの、本紙の好評コラム「MLB NOW」(14日付け・5面)が詳しい。

 一方、スタインブレナー氏の死去はニューヨークのみならず、全米を駆けめぐったビッグニュースとなった。造船業で財を成し、最初はクリーブランド・インディアンス買収を試みたが叶わず、低迷していたヤンキースを1973年1月にCBSから870万ドルで買収。名門復活のために、惜しげもなく金を注ぎ込み1974年の暮れにアスレチックスとの契約問題で、実質的なフリーエージェントになっていたキャットフィッシュの愛称のあったジム・ハンター投手と5年契約で獲得。1976年に米大リーグがFA制度を導入すると、真っ先に利用してレジー・ジャクソン外野手ら毎年のように大物FA選手を獲得。1977年に15年ぶりの世界一を奪還したのを手始めに計7度のワールドチャンピオン。名門チームを、資産価値16億ドルの“帝国”に仕立て上げた

 どん欲なまでの勝利に対する執着心で、大物FA選手獲得する一方で、期待に応えられない選手への容赦ない批判は伊良部秀輝、松井秀喜の日本人選手にも及んだ。監督人事も例外ではなく、オーナー期間中5度も就任、解任を繰り返したビリー・マーチンを始め、1996年に就任し12年間の長期政権となった5度もジョー・トーレ監督までの24年間で代理監督も含めのべ21人の監督の首をすげ替えている。

 反面、コカイン所持などで問題のあったダリル・ストロベリー、ドワイト・グッデンら往年のスター選手に再起のチャンスを与えた人情家の顔も忘れられない。2600ページ以上に及ぶ2004年発行の“TOTAL BASEBALL”の、野球の歴史での重要人物100人の中で、オーナーではトップの歴代10位に入っている。観客動員も含め収入面が飛躍的に伸びた米大リーグで、最近のオーナーの多くはチームの勝敗以上に株価を気にするような金融関係者が多くなってきている感がある。その点、スタインブレナー氏は、まず勝利を第一に考えた古いタイプのオーナー。チケット高騰でかしこまったファンが詰めかける、ハイテク満載で広告ボードに埋まっている新しいヤンキー・スタジアムより、低所得者層のファンもやさしく迎えてくれた旧ヤンキー・スタジアムの方が似合う。それはシェパードさんも同じか。解体作業も終盤に入っているという旧球場とともにヤンキースの顔と、名脇役も静かに舞台から去っていった。

ご冥福を日本の地からお祈り致します。

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» さらば“King George”──ヤンキース中興の祖 トラックバック 上田龍公式サイトRyo's Baseball Cafe Americain Annex  「店主日記」
あれは2000年の9月だったか、ヤンキースタジアムでの取材を終えて、メディアダイニングに通じる通路から引き上げているところで、ジョージ・スタインブレナーと鉢合わせしたことがあった。 ... [続きを読む]

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