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2013年8月15日 (木)

野球できる幸せ胸にプレーを

 今年もまた終戦記念日を迎えた。1936年にスタートしたプロ野球も太平洋戦争の影響で、45年はペナントレースは全く行われなかった。プロ野球選手のうち、判明しているだけでも71人が戦火に倒れた。彼らの名は東京Dの「鎮魂の碑」と、野球殿堂博物館内の「戦没野球人モニュメント」に刻まれている。

Hi 所属球団別では阪神が最も多く14人が亡くなっており、巨人も10人いる。プロ野球草創期の大エースで、ノーヒットノーランを3度達成した沢村栄治と、熊本工時代は川上哲治とバッテリーを組み、戦前を代表する捕手だった吉原正喜、第1回米国遠征で109試合に105盗塁した快足二塁手・田部武雄の3選手は野球殿堂入りしている。田部と同様、ペナントレース開幕前に退団した矢島粂安、他に青柴憲一、伊藤健太郎、倉信雄、三田政夫、中村政美、広瀬習一らは巨人を支えた人々だ。

 中でも広瀬は大津商からプロ入り。41年8月21日に黒鷲戦でチーム初のデビュー戦完封勝利を飾ったが、わずか22歳の若さで戦火に散った。実は戦前に初登板完封をマークした投手は7人いるが、そのうち3人までが戦争で亡くなっている。

 残り2人は、ともに中日の前身である名古屋軍の投手で村松幸雄、石丸進一。静岡の掛川中から入団した村松は39年3月31日セネタース戦でデビュー戦完封するなど、3年間で38勝したが、21歳で応召し、帰らぬ人となった。彼の功績をたたえ、背番号18は戦後の48年まで欠番扱いだったという。

 石丸は佐賀商から内野手として入団。投手に転向し、42年4月1日朝日軍相手に達成。43年10月12日、大和軍相手にはノーヒッターも完成させた。神風特攻隊で出陣し帰らぬ人となったが、離陸する直前にキャッチボールをして「もう思い残すことはない」と行って飛び立ったエピソードは映画「人間の翼 最後のキャッチボール」でも描かれており、知っている人も少なくないだろう。

 ちなみに戦前、ノーヒッター達成12投手で亡くなったのは、前記した沢村、石丸と三輪八郎(阪神)の3人だけ。投手として最高のデビューを飾った3投手の薄命さが際だっている。

 戦争がなければ、違う人生を送っていたはずの先人たち。現役選手には改めて、野球をやれる幸せを胸にプレーしてほしいものである。=敬称略=

写真は東京ドームにある鎮魂の碑

コメント

『天才野球人田部武雄』(彩流社刊/菊池清麿)を読み改めて戦没者への冥福をお祈りいたします。野球をできる幸せを感じます。

『天才野球人 田部武雄』を拝読する。その波乱万丈な人生を知る。
菊池清麿氏の筆さばきは見事だ。感謝する。

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蛭間 豊章

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