ブログ報知

スポーツ報知ブログ一覧

« 江戸っ子・土橋正幸さん死去(741回) | メイン | 勝ちがついてこその奪三振ショー(第743回) »

2013年8月31日 (土)

タイ・カッブが見限っていたカール・ハッベル(第742回)

 とどまるところを知らない楽天・田中の連勝記録。今度の試合に勝てば、米大リーグでもアンタッチャブル・レコード(更新不可能な記録)とされるカール・ハッベルの24連勝に肩を並べる。

 1933年に始まったオールスター戦開催のきっかけとなった「(ベーブ)ルースとハッベルの対決が見たい」の少年の手紙に出てくる左腕投手で、通算253勝し1949年に野球殿堂入りした。交流戦は当時もちろん無く、別リーグのチームとの対戦は、ワールドシリーズでしか見られなかったためで、少年の切実な夢でもあった。

 武器はメジャー史上最高の切れ味と言われたスクリューボールで、1934年の球宴では、ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス、アル・シモンズ、ジョー・クローニンと後に野球殿堂入りする大打者から5連続三振に仕留め球史に名を残した。連勝記録は26勝6敗、防御率2・31と二冠王で2度目のMVPにも輝いた絶頂期の1936年7月17日のパイレーツ戦から始まった。翌年5月27日レッズ戦までの27試合(先発21勝、リリーフ3勝)で達成。勝敗が付かなかったのは先発し4回降板した試合と、現在ならセーブのつく2試合のみだった。

 ジャイアンツ一筋でメジャー生活を過ごしたが、プロの門をたたいたのは1923年。マイナーの好成績で1926年春、タイガースのキャンプに参加した。当時の選手兼監督は通算4191安打、通算打率3割6分7厘を残し“球聖”と言われたタイ・カッブ。その時、カッブは「スクリューボールは肘に悪く故障の原因になる」と投球禁止令を出した事で結果を残せずマイナー暮らしが続き、メジャーデビューは1928年、25歳と遅れた。

ジャイアンツの名将ジョン・マグローは逆にスクリューボールに関して、まったく気にしていなかった。というのも1900年代初頭にジャイアンツなどで“フェイドアウェイ”の呼び名がついた左投手のスクリューボールのような変化球を武器に通算373勝を挙げたクリスティー・マシューソンを間近に見ていたためだった。

もし、カッブの元でプレーしていたら、後に「キング・カール」と呼ばれる大エースになったかどうか。日本で1957年、シーズン20連勝を飾った西鉄・稲尾和久投手が、三原脩監督に見出されたようにハッベルも素晴らしい指揮官に見出されたわけだ。

=31日付けのヒルマニアに加筆しました。=

コメント

私は、あのアメリカに渡米して、一度でいいBaseballの醍醐味を味わいたい。そうです、体調面は年々良くもなり、悪くもなります。ここでは、カール・ハッベルさんの記事に目がいきます。もう、ここまで書くと書きたい事は明確になります。そうです、ドラマは、この3、4時間のうちにも出来上がります。何と素晴らしい事なのでしょうね。しかも、みんなが主人公ともなります。「この、カール・ハッベル、打者の心を鷲づかみ、あとは、ハッベルは投げる球により誘導をして、ストーライク、三振バッターアウト。」、「物の見事にやられたバッターそれは、一人の選手ではなく、一人の野球少年となり。」

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/235990/31811841

このページへのトラックバック一覧 タイ・カッブが見限っていたカール・ハッベル(第742回):

サイト内検索

蛭間 豊章

ヒルマニアロゴ

最近のトラックバック

見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © The Hochi Shimbun.