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2016年9月

2016年9月29日 (木)

野球殿堂記者投票への考察=第40回(1997年度)初の規定票数ジャストの大杉勝男が「天国から殿堂入り」

57e69f06tg3 大杉勝男が、競技者投票では初となる当選必要票数171票ジャストで当選した。初めて資格を得た1989年はわずか2票だった。1992年に肝臓ガンのため47歳の若さで亡くなると、93年82票→95票→95票→139票、そして171票と順調に票を伸ばしてきた。2位近藤貞雄154票、3位広瀬叔功132票、4位古葉竹識129票、5位田宮謙次郎117票、6位福本豊109票、7位米田哲也92票、8位小山正明91票、9位松永怜一68票、10位鈴木啓示64票。田宮とともに米田、小山、鈴木の300勝トリオもコーチなどを退任したこともあってそろって再資格。盗塁記録保持者・福本豊も初めて資格を得るなど、前年から大物4人が加わったため票が割れた。その結果、1996年に10傑に入っていた梶本隆夫、関根潤三、根本陸夫らが11位以下に落ちた。

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2016年9月18日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第39回(1996年度)鉄人・衣笠祥雄、悲運の名投手・藤田元司殿堂入り

Fujita

 前年1票足らずに落選した藤田元司が有資格3年目で199票獲得。当選に必要な174票を大きくクリアして殿堂入り。衣笠祥雄も4度目の挑戦で188票を獲得。1968年にユニホームを脱いで5年という規定となってからは49歳の衣笠は最年少選出(現役監督OKだった1965年川上哲治45歳、同年鶴岡一人49歳)だった。3位以下は3位近藤貞雄148票、4位大杉勝男139票、5位広瀬叔功104票、6位古葉竹識98票、7位松永怜一75票、8位梶本隆夫52票、9位関根潤三52票、10位根本陸夫50票。明治大・島岡吉郎、早稲田大・石井藤吉郎に次いでプロ未経験のアマチュア指導者として元法政大監督で、1984年ロサンゼルス五輪、公開競技ながら野球部門で米国を破って世界一に導いた日本代表監督の松永怜一がノミネートされた。

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2016年9月14日 (水)

野球殿堂記者投票への考察=第38回(1995年度) 日本シリーズ4戦4勝の杉浦忠。殿堂入り発表日に球界に苦言。西村正夫は資格最終年も落選

57d16e62tg4 この年の野球殿堂で会見した杉浦忠は、プロ野球界に苦言を呈したことで知られる。1月25日の競技者表彰発表で、規定の150票を上まわったのは1959年公式戦38勝4敗、日本シリーズ4戦4勝の大車輪の活躍で南海ホークス初の日本一の立役者・杉浦が171票、4年前の元明大監督・島岡吉郎に次いで、プロ経験0ながら早大の選手、監督を務めた石井藤吉郎が160票を得て当選した。杉浦は立大時代に長嶋茂雄、本屋敷錦吾の三遊間とともに右腕エースとして1957年春夏連覇に貢献。下手からの速球とカーブで一時代を築き、前述の1959年には38勝4敗と30勝以上では史上最高勝率の9割5厘。そして、日本シリーズでは4試合中2試合に完投するなど、チーム37イニング中32イニングを投げ6失点だった。第3戦、杉浦完投で王手をかけた鶴岡一人監督は「(第4戦を)勝つには杉浦以外にない。もっとも先発ということはない」と断言していた。しかし、第4戦が雨で順延し休養が与えられて先発し完封勝利を挙げた。読売ジャイアンツは前年の1958年、3勝0敗で迎えた第4戦が雨で順延。これで西鉄ライオンズに流れが移り4連敗。その再現を期待しながら逆に完封負けと、2年続けて恨みの雨となった。

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2016年9月 4日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第37回(1994年度) 日本プロ野球史上最高の人物。王貞治が2人目の資格1年目で当選

Oh 1994年1月19日、野球殿堂の競技者表彰で王貞治が、資格取得1年目としては1960年度のスタルヒンに次いで史上2人目の即当選を決めた。スタルヒンは競技者表彰初年度だったこともあって111票中108票と97.3%だったが、王は221票中206票の93.2%だった。2位の与那嶺要も168票で当選。3位以下10位まで記すと、(3)田宮謙次郎153票、(4)石井藤吉郎152票、(5)杉浦忠124票、(6)衣笠祥雄119票、(7)藤田元司113票、(8)近藤貞雄101票、(9)大杉勝男95票、(10)西村正夫77票。ちなみに、報知新聞入社21年目、運動記者クラブ入りから15年目となった私も、この年から投票資格を得ました。ただ、王に入れたことは間違いないですが、まだ殿堂への意識が今のように高くなく、他には誰に入れたのか覚えていない。

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2016年9月 3日 (土)

【巨人コラム・Gペン】犠打に歴史あり

57c68fc1tg2 メジャーの試合を毎日チェックしていると、日本プロ野球では滅多に見られない事象が起こる。

 8月19日のマリナーズ・ブルワーズ戦では6回1死一塁で代打出場した青木宣親外野手が、「三塁手が後ろに(守って)いたので自分も生きようと思った」。三塁前のバントで走者を二塁に進め当初“犠打”が記録されたが、試合後マリナーズのサービス監督も「あれはアオキが安打を狙ったバント」と話したこともあって犠打から、内野ゴロとして打数1が付いた。

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蛭間 豊章

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