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2016年12月10日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第48回(2004年度) 仰木彬選出、バースは「競技者表彰資格」失う。特別表彰は秋山登

Ogi 野球殿堂の競技者表彰は、近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブでチームを優勝に導いた仰木彬が230票を得て当選。またも監督成績が評価されての当選となった。2年連続三冠王のランディ・バースは当選に必要な207票に5票足らない202票の2位で落選。この年限りで競技者表彰投票の資格を失った。3位以下は3位が村田兆治181票、4位が森祇晶の179票、5位門田博光175票、6位津田恒実154票、7位権藤博141票、8位高木守道129票、9位大沢啓二101票、10位梶本隆夫90票となっていた。

 仰木は現役時代、西鉄ライオンズ黄金時代の二塁手として活躍、1960年にはベストナインに選出されたものの通算1328試合で打率2割2分9厘、70本塁打。しかし、コーチ、監督として名指導者として手腕を発揮。13シーズンで勝率5割以上が12シーズン。3度の優勝、うち1996年には日本シリーズで読売ジャイアンツを4勝1敗で下して日本一となった。ライオンズ黄金時代の立役者、中西太は監督として1度パ・リーグ優勝を果たしたが通算勝率は4割8分、稲尾和久も4割4分2厘、豊田泰光に至っては監督経験もなく評論家人生が長かった。その点、仰木の勝率5割5分4厘は1500試合以上采配を振るった監督の中では史上5位。名将・三原脩監督の采配を継承したと言える。

Akiyama 特別表彰は大洋ホエールズのエース右腕として通算193勝(171敗)と長く活躍した秋山登を選出。競技者表彰では1990年125票が最多だったが、当選には届いていなかった。明治大学時代の1954年に東京六大学記録の1試合22奪三振を東京大学戦でマーク。1956年にプロ入りすると弱小のホエールズでいきなり25勝するも25敗、プロ4年目まで毎年リーグ最多敗戦の20敗以上を喫していた。しかし、1960年には三原脩監督就任で先発、リリーフに大車輪で21勝10敗、最優秀防御率1・75でチームの初優勝の立役者となってMVPも受賞。1962年には優勝を争った阪神タイガース相手に、2リーグ制後ただ一人の2日連続完封勝利をマークするなど酷使にも耐え抜き、プロ入り最初の9年間に400イニング以上1度、300イニング以上4度を含め、9シーズンすべて200イニング以上投げ抜き6度も20勝をマークした。金田正一、中西太らと同じ学年ながら、2000年8月12日に呼吸不全で66歳の若さで死去。翌年亡くなることになる仰木は殿堂入りに間に合ったが、秋山は間に合わなかった。生きている時に受賞の報を知らせたかった一人だ。

 【注】敬称略。写真は1996年の日本シリーズで読売ジャイアンツを破って胴上げされる仰木彬監督。下手投げの名投手だった秋山登のホエールズ時代のピッチングフォーム。

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蛭間 豊章

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