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2017年2月11日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第58回(2013年度)プレーヤーで大野豊、エキスパートで外木場義郎と2年連続カープ勢2人選出。特別は公式戦12試合連続完封の福嶋一雄が当然の殿堂入り

Ohno 野球殿堂のプレーヤー表彰は大野豊が273票で当選。2年連続の177票から一気に100票近く増やした。2位以下は2位秋山幸二235票、3位佐々木主浩230票、4位原辰徳192票、5位古田敦也147票、6位斎藤雅樹126票、7位大島康徳85票、8位岡田彰布48票、9位伊東勤43票、10位佐藤義則39票。その5年後の伊東勤の殿堂入りの一方で原辰徳のもたつきぶりがうかがえる。また、前年17人もいた投票しなかった記者が5人に減ったことは喜ばしいことである。

 大野豊は軟式野球の出雲市信用組合から1976年にテスト入団。1977年9月17日阪神戦でのデビュー戦で1アウトしか取れずに満塁本塁打を含む5失点。135.00という天文学的?防御率で、当時記録担当だった私も驚かされた投手。その後、江夏豊という指南役に育てられて1979年以降広島東洋カープの柱として活躍。先発だった1988年、1997年に防御率1位になる一方、リリーフでも2年連続最多セーブをマークして通算148勝138セーブ。5度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献したのも評価された。苦いデビューだった際に泣きながら寮に戻ったというエピソードを持つ大野は、その悔しさをバネに一流にのし上がった。テストによるドラフト外入団、そして軟式出身では初の殿堂入り。会見では「こういう球歴を持つ男が殿堂に入れた。今の育成選手も励みにして欲しい」と若手選手にエールを送っていた。

Sotokoba エキスパートもカープOBの外木場義郎が当選必要数ぎりぎりの29票を獲得して入った。2位は平松政次17票、3位は大沢啓二14票、4位が加藤英司12票、5位権藤博11票、6位バース10票、7位長池徳士6票、8位ブーマー5票、9位足立光宏4票、10位土橋正幸3票。通算131勝138敗の外木場は完全試合含む3度のノーヒットノーランが決め手になった模様だが、個人的に印象深いのはカープ初優勝の1975年の日本シリーズ第4戦。延長13回、200球を投げ抜いた(試合は引き分け)のが昨日のように思い出される。ただ、個人的には2017年度に殿堂入りした平松や、通算187勝し日本シリーズではともに歴代3位の通算9勝、124イニングの足立の方が先に殿堂入りするべきと思ったことを書き添えておく。

 特別表彰には旧制小倉中(現小倉高)の1947、48年と夏の甲子園大会連覇。特に史上2人目の5戦オール完封の1948年は、地区決勝戦、本大会、その後の九州大会3試合、国体3試合を含め「公式戦12試合連続完封、111イニング連続無失点」をマークした(福島に関しては、http://weblog.hochi.co.jp/hiruma/2015/07/post-513b.htmlしてください)。早稲田大学ではデビューした1950年秋以降で通算14勝8敗、1953年春には27回2/3で失点1、自責点0で、史上2人目のシーズン防御率0・00をマーク。計3度のリーグ優勝に貢献した。1954年には八幡製鉄(現新日本製鉄)に入社、いきなり都市対抗野球優勝に導いた。中京商―明大―藤倉電線の吉田正男に次ぐアマチュア3大舞台での活躍が認められての野球殿堂入り。2008年嶋清一の殿堂入りに首をひねった私だが、福島の場合は諸手を挙げて大賛成だった。

 【注】敬称略。写真は、最多セーブとなった1992年の大野豊と、防御率1位で初のオールスター戦にも出場した1968年の外木場義郎。

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蛭間 豊章

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