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2017年2月26日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第60回(2015年度)古田敦也当選、原辰徳はプレーヤー表彰資格失う。特別表彰の村山龍平には?がつく

58a7f137tg1 1月23日発表された野球殿堂は古田敦也がプレーヤー表彰で選出されたが、ネットの中では15年間という資格最終年の原辰徳の落選が話題をまいた。まずは上位10人の得票数、今回も棄権14票、無効2票と16票が無駄になり当選必要数は249票。1位古田敦也255票、2位斎藤雅樹246票、3位原辰徳243票、4位立浪和義117票、5位岡田彰布107票、6位伊東勤96票、7位T・ローズ85票、8位佐藤義則73票、9位清原和博65票、10位川相昌弘60票。

 プロ野球選手としての古田の成績はお見事の一言。フットワークの良さと機敏な送球で通算10度の盗塁阻止率のリーグ最高を記録。相手チームの盗塁への意欲を削いだことで5度のリーグ優勝、4度の日本一につながった。5度の日本シリーズで相手チームの盗塁成績は20回走って10回の盗塁刺と阻止率50%も投手陣に寄与したはずだ。野村克也監督の薫陶良く名捕手の道を歩んでいった。打撃も2年目に首位打者になるなど急成長し右打ちのうまさに内角球を思い切り引っ張って217本塁打含む2097安打した。

 メガネをかけた名捕手には戦前の大阪タイガース、カイザー田中義雄くらいしか思いつかない。立命館大からトヨタ自動車入りし日本代表として活躍していた際、「メガネをかけた捕手は?」のプロ野球スカウトの評判を受けて、当時の全日本の鈴木義信監督に「外野に転向させてください」と直訴したという。鈴木は「眼鏡(の捕手)がダメだと言われるなら、お前が眼鏡(の捕手)のプロ(で活躍した)第1号になれ」と説得された。会見に出席した鈴木前監督は「あの時、外野になっていたら、今日のこの日はなかったでしょうね」と笑った。

 エキスパートはまたも当選者がいなかった。こちらも11票が無駄票になって当選必要数は81票だったが、1位榎本喜八66票、2位平松政次63票、3位権藤博57票、4位星野仙一53票、5位大沢啓二45票、6位バース43票、7位加藤英司30票、8位田淵幸一22票、9位土橋正幸19票、10位長池徳士18票。

 この2つの結果を受けて書いたヒルマニアを加筆修正して掲載する。

 私もプレーヤー、エキスパートの両部門で投票したが、開票結果はあまりに意外なものだった。昨年のプレーヤー表彰・野茂英雄は資格取得初年度に当選したが、秋山幸二は12年が133票、一昨年が235と伸ばし、昨年は257票。佐々木主浩も132→230→255票で殿堂入りを果たした。147→165と伸ばしてきた古田同様、原も192→196と伸ばしており、当選すると思っていた。捕手として一時代を築いた古田に対して、原は通算1675安打、382本塁打。現役時代の実績ではやや引けを取るが、指揮官として通算7度のリーグ優勝。“合わせ技"として確実と思っていた。

 3年前に当選した津田恒実に対して、通算成績が49勝90セーブにもかかわらず、早逝したために殿堂入りした―という批判が野球ファンの中に巻き起こった。それもあって、現役時代の力量だけで選ぼうと思っている関係者が増えたための落選ではなかろうか。一方のエキスパート表彰は、2年連続で75%以上の得票率をマークした人がいなかった。こちらも私は昨年トップで50票の平松政次、49票の榎本喜八が入ると思ったし、入ってほしかった。前者は200勝以上で資格を得ている中でただ一人、選ばれていない投手。後者も50年代にプレーした2000安打打者で漏れている唯一の打撃職人だ。また、楽天の監督を辞任して再び候補に名を連ねた星野仙一の落選も想定外。三原脩、西本幸雄に次ぐ、監督として3球団を優勝に導いただけでなく、沢村賞も受賞して通算146勝。現役選手時代の成績は振るわなかった前述の2人に比べれば、段違いである。殿堂の先輩格でもあるメジャーでも、2014年12月に発表された特別表彰は該当者が0。日米ともにプレーヤー表彰で漏れた人の“敗者復活"は難しいようだ。投票総数の多いプレーヤー表彰より、エキスパート表彰での75%の必要得票率というハードル(75)を少し下げて、往年の選手をすくい上げていかないと、球界に尽くした名選手がどんどん忘れ去られてしまう。

 特別表彰はリトルリーグを創設した林和男が13票、元朝日新聞社長の村山龍平が12票を獲得して選出された。林は1964年に日本リトルリーグ創設に尽力。翌年、調布チーム(現調布リトル)を創設し、67年に西東京リーグを率いて第1回全日本選手権で優勝。76年には調布リトル会長として2度目の世界一に。リトルリーグの創設から組織の整備、拡大まで関わった。2005年に全日本リトル野球協会(現一般財団法人日本リトルシニア中学硬式野球協会)の会長を務めた。村山龍平は1879年に朝日新聞社を設立。部下の進言から1915年に「全国中等学校優勝野球大会」を設立に結びつけた。朝日新聞社・飯田真也会長は「高校野球に携わる人の代表としていただいたと思う」。その通りだ。林は2012年から3→3→9→13と年度ごとに票を伸ばし続けてきたが、村山はこの年が大会100周年ということで急きょ候補に名を連ねて、入ってしまうという安易な選出。いかに100周年だからとはいえ、久しぶりに候補になって殿堂入りするこの安直さに納得いかないと思うがどうだろうか。

 【注】敬称略。写真はクリス・ブロックの壮絶なスライディングに負けずにブロック。メガネを飛ばしながらアウトにした古田敦也(2003年5月28日広島戦から)

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蛭間 豊章

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