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2017年3月26日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第62回(2017年度)エキスパート初、星野仙一、平松政次の同時殿堂入りも、原辰徳はまた落選。プレーヤーは伊東勤。特別は郷司裕、鈴木美嶺と計5人入殿

Hoshino 今年の殿堂入りはプレーヤー部門よりもエキスパート部門が盛り上がった。2人の読売ジャイアンツキラー、星野仙一、平松政次が入った。当選必要数は84だったが、星野が88票、平松はジャストの84票だった。初めてエキスパートに回った原辰徳は3位の62票でまたも落選して関係者を驚かせた。以下4位権藤博59票、5位バース40票、6位土橋正幸30票、7位田淵幸一29票、8位大沢啓二26票、9位長池徳士15票、10位新井宏昌、中畑清各11票、12位岡田彰布8票、13位郭源治5票、14位山下大輔3票。120票あるうち7人が棄権、また無効票が1票あったことで当選必要数がダウンしたことは平松にとって大きかった。

 星野は通算146勝ながら9連覇後半の1969年入団しジャイアンツに通算35勝31敗。10連覇阻止の1974年は15勝10セーブの活躍も見事だった。ただ、彼の殿堂入り理由は中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスを優勝に導いたことだ。3チームで優勝は三原脩、西本幸雄についで3人目。イーグルスでパ・リーグの覇権を獲得した2013年は、現役時代と同じように打倒ジャイアンツで日本シリーズ優勝。2011年の大地震からの復興を目指す東北地方に大きな希望を与えた。会見では、「巨人にさえ勝てばいい、というのが(現役時代)あったんじゃないかなぁ」と振りかえる。

Hiramatsu 星野が倉敷商なら、1学年下の平松は岡山東商。 彼と同期には倉敷商で星野の後輩・松岡弘。関西高には森安敏明(故人)と速球派右腕がそろっていた。通算200勝しながら殿堂入り出来なかった最後の投手(殿堂投票の候補から外されている江夏や引退後5年経っていない山本昌除く)だっただけに、「この場に立っても、まだ夢ではないかと思います。後輩に(殿堂入りで)抜かれ、もう入れないと思っていました」と話した。こちらもジャイアンツ戦に史上2位の51勝47敗。杉下茂に次ぐ、このカードでは33イニング連続無失点もマークした。平松は岡山東商で1965年センバツ新記録の39イニング無失点で優勝、日本石油時代の1967年都市対抗では3完封含む42イニング2失点、45奪三振で優勝に導き橋戸賞受賞。前年、大洋から指名されており大会終了後にプロ入りした。プロ3年目となった1969年になってシュートに磨きをかけたが、本紙の野球評論家・上野精三は入団時に「速球だけでは苦しい。シュートを覚えれば万全」と看破していた。

 プレーヤー表彰では清原和博が、覚醒剤取締法違反で候補者から除外された中、伊東勤が265票獲得し入った。初めて資格を得た2009年が22票。翌年は10票と今なら足切りになる票数だったが、2015年からは96票、昨年172票で今季は265票を獲得。9年と時間がかかったが順調な得票の伸びだった。2位以下は10位まで列記すると、2位立浪和義217票、3位高津臣吾158票、4位佐藤義則155票、5位川相昌弘133票、6位野村謙二郎132票、7位T・ローズ122票、8位桑田真澄114票、9位田口壮65票、10位佐々岡真司51票。伊東は熊本工定時制から所沢高校を経てドラフト1位でプロ入り。西武ライオンズ黄金時代の捕手として、リーグ優勝14回、日本シリーズは13回出場し優勝7回。通算2379試合出場は他の野手を含めても13位。ベストナイン10回、ゴールデン・グラブ賞11回を数える。ただ、日本シリーズ成績は最初の8回中7回勝ったものの、1993年以降は5度敗退。彼のリードを含めたプレーよりも、ライオンズ黄金時代の投手力もハイレベルだったためかもしれない。彼のプレーでは、1994年開幕の近鉄戦で野茂英雄がノーヒットノーランをフイにした直後に赤堀元之から打った逆転満塁サヨナラ本塁打が印象深い。受賞の最後に「今回のニュースが少しでも郷土の皆さまに明るい希望と未来に役立っていただければ」と昨年大地震に被災した熊本の人たちにエールを送った。

 私の投票権のない特別表彰の結果は、郷司裕、鈴木美嶺ともに12票で当選。以下 脇村春夫7票、瀧正男4票、岡田功、谷村友一各2票、神田順治、前田祐吉各1票、石井連蔵、松原徹各0票だった。 プレーヤー、エキスパートが順調に票を伸ばして当選というケースがあるのと違って、特別表彰部門は意味不明。昨年の郷司は3票、鈴木1票だったのが一気に伸ばし、昨季6票で次点だった瀧正夫は票を減らしている。票集めのロビー活動が今年も大きく影響したといえそうだ。もっとも郷司はアマチュア球界の名審判の誉れ高かった。そして、鈴木は野球規則に精通、公認野球規則制作の中心人物だった。帝大(東大)野球部からスポーツライターとしても日刊スポーツ、毎日新聞。毎日新聞定年後はベースボール・マガジン社の嘱託としてご活躍されたので、野球記者の端くれとして大変うれしい殿堂入り。毎日記者時代の都市対抗での“黒獅子の目"は、大会の歴史も盛り込んで楽しい読み物だった。

 【注】敬称略。写真は1976年の星野仙一と1982年の平松政次。なお、最終回となる次回は、私が殿堂入りして欲しい方々を列挙する予定です。

コメント

伊東さんや工藤さんに比べて落合さんや原さんが遅れたのは、色々影響したっていう説もありますが、どうなんでしょうね。

原さんが例のスキャンダルが影響した場合、中日関係者が多すぎるから倫理的には落合さんのほうが悪いと見られたのかもしれませんね。暴対法や共謀罪なんて急に出来た法律ですし。

まあ、日本の殿堂はあまりにもタイミング次第なところがあるから、私は一切関係ないと思いますが。

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蛭間 豊章

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