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2017年7月 6日 (木)

(第847回)上田利治監督の采配の原点はメジャーリーグ

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 1975年から77年にかけて阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)を監督として日本シリーズ3連覇に導いた上田利治さんが、7月1日に亡くなった。新聞各紙は関西大出身の秀才で選手での実績の少なかったものの大監督となった経緯と指導方法。そして、1978年の日本シリーズ第7戦で放ったヤクルトスワローズ、大杉勝男選手の左翼ポール際へのホームラン判定への1時間19分の抗議についても大きく紙面を割いていた。

 そんな時に友人から「蛭間さん、ブログで上田さんについて書かないの」との電話をいただいた。そこで数少ない記憶を呼び覚ましたのが1970年にスクラップしておいた記事だ。それは広島東洋カープのコーチを辞めて解説者となった1970年。上田さんは、自費でメジャーリーグを視察。同年のワールドシリーズでボルティモア・オリオールズがシンシナティ・レッズを4勝1敗で下した時に、報知新聞に寄稿してくれた文章だった。

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 ビッグレッド・マシンと呼ばれて1970年代のメジャーを席巻するレッズが9年ぶりに覇権を握って強大なチームを誇った初年度。対するオリオールズは前年から3年連続リーグ優勝した黄金時代だった。5試合中3試合が1点差という接戦を彼を次のように綴った。

 「プレーオフ・シリーズ(優勝決定シリーズ=当時は3勝先勝)から(オリオールズの試合を)8試合を見て強く感じたのは、打線の力強さだ。ペナントレースでの成績は20勝投手3人(クエイヤー、マクナリー、パーマー)もいるので、守りのチームかと予想をしていたが全く逆だった。ワールドシリーズで、ウィーバー監督はじゃんじゃんオーダーを変えた。劣勢になったとき、気分を変えるために打線を動かすことは日本ではよくやるが、ウィーバー作戦とはまるで違う。たとえば第4戦で4打数4安打の捕手ヘンドリックスを、この日はポイと先発メンバーから外してしまった。投手との組み合わせの関係もあるだろうが、思い切ったやり方だった。まだある。1、2戦と2番に置いたブレアーを第3戦では突如5番に据えた。ところがブレアーはその試合3安打したのがきっかけでシリーズの首位打者(4割7分4厘)になった。

“2番は走者を進める選手、5番は4番についで勝負強いバッター”というのが常識だが、そんなことお構いなしだ。

(中略)

 「ウィーバー監督はバントの嫌いな監督らしく、5試合を通じてバントは2度。投手にもどんどん打たせる。全体としての感じはON(王、長嶋)の打つときの読売ジャイアンツと“2番豊田”に象徴されるされた全盛期の西鉄ライオンズ(1956年から58年)をミックスしたような豪快なチーム。投手達の成績が良かったのはバックの援護があったかららしい」との言葉で結んでいる。

 1974年に西本幸雄監督の後を継いでブレーブスの采配に対して、そのメジャーでの取材経験がどんな影響を与えているのかを知る上で最も顕著だったのがウィーバー監督のような送りバント(犠打)の少なさだ。1番に福本豊という稀代の快足ランナーがいたこともあるが足かけ20年間の監督生活でリーグ最多犠打を記録したのは5度目の覇権を握った1984年、福本の脚力が衰えを見られ始めた年で弓岡敬二郎が2番に座ってリーグ最多の49個決めた時1回きり。逆にリーグで最も少なかった6シーズンもある。

 ブレーブス時代は、送りバントだけでなく右打ちも出来る大熊忠義、簑田浩二、1995年から采配を振るった日本ハムファイターズでは小笠原道大というパワーヒッターを2番に据えたのも上田さんの信条である「バント嫌い」だったからではなかったか。端的に言ってしまえば、上田さんにとって1970年のワールドシリーズ観戦が、その後の監督人生で追い求めた理想の監督像だったのではなかったろうか。上田さんのご冥福をお祈りします。

上田利治監督の年度別リーグ順位と犠打数(カッコ内数字がリーグ順位)

年度 チーム 順位 犠打
1974 阪急 2位 87(4)
1975 阪急 優勝 49(5)
1976 阪急 優勝 74(2)
1977 阪急 優勝 62(5)
1978 阪急 優勝 67(5)
1981 阪急 2位 82(4)
1982 阪急 4位 87(5)
1983 阪急 2位 92(5)
1984 阪急 優勝 113(1)
1985 阪急 4位 95(4)
1986 阪急 3位 76(6)
1987 阪急 2位 87(5)
1988 阪急 4位 99(5)
1989 オリックス 2位 119(3)
1990 オリックス 2位 93(6)
1995 日本ハム 4位 92(3)
1996 日本ハム 2位 126(3)
1997 日本ハム 4位 68(6)
1998 日本ハム 2位 107(6)
1999 日本ハム 5位 81(6)

写真は1975年の日本シリーズで広島を下して球団史上初の日本一に輝き、見事な火消しを見せたルーキー・山口高志(右)をしっかりと抱きかかえ喜ぶ上田利治監督

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