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2017年9月30日 (土)

報知のスクープで「1万1号」が1万号に

20100525235723650507_s_19760117f0eh 「ヒルマニア」は、スポーツ報知で野球を担当し続けて45年の蛭間豊章記者が、マニアックなメジャーネタをお送りします。

 日本のプロ野球第1号は1936年5月4日、タイガースの藤井勇が打った。当時両翼が約110メートルあった甲子園(7月から両翼91メートルに)で行われたセネタース戦、5回のランニング本塁打だった。その様子を読売新聞の小島六郎記者は「中堅手(大貫賢)の手許を抜いて遠く転々とするホームランとなった」と、記念すべき1号ながら淡々と書いただけだった。

 1万号以降は、スポーツ紙が誕生したこともあって大きく報じられるようになっていった。

 そんな「節目のアーチ」が一本間違っていた!? それを最初に見つけたのは、実は報知新聞だ。76年1月17日付1面で、本塁打の集計ミスで1本少ないことを報じた。私も入社してすぐに携わった「定本 プロ野球」で記録調査をした際に、長く33本と発表されていた39年のタイガースの本塁打が32本だったことを突き止めた。そのため、当時発表されていた1万号の寺田陽介(南海)、2万号のクレス(近鉄)、3万号の梅田邦三(太平洋)はそれぞれ9999号、1万9999号、2万9999号。代わりに1万号は渡辺清(阪急)、2万号は井石(いいし)礼司(東京)、3万号は基(もとい)満男(太平洋)となった。

 中でも梅田はそれが自身のプロ第1号、奪った相手が前年のセンバツ優勝投手で注目された仲根正広(のちに政裕に改名)だったため、球団から金一封をもらい各紙が大きく報じていた。代わりに繰り上がった基は「梅田には罪な話」と慰めていた。

 1万号に繰り上がった渡辺にもエピソードがある。1万1号のつもりだった近鉄戦で当時、日本球界で話題にもならなかったサイクル安打(パ・リーグ史上7人目)を含む5安打の大暴れ。アウトになったものの延長11回には単独ホームスチールも敢行。1万号が花を添えていれば、渡辺の知名度はより高くなっていたのではなかろうか。(2017年9月30日付けスポーツ報知東京本社発行最終版より)

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