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2017年11月13日 (月)

高橋ユニオンズOB会よ永遠に(第851回)

Photo 11月8日、都内で高橋ユニオンズOB会が開催されました。毎年、この時期に原稿を書いているので馴染みの読者はご存じだと思うが、ユニオンズは言わずとしれた1954年から3年間だけ、パ・リーグに在籍した球団(55年の名称はトンボ・ユニオンズ)である。OB会は1980年にスタート。消滅した球団のOB会が選手の自主運営によって中断もありながら、2013年から幹事はフジテレビ系の人気番組「プロ野球ニュース」のキャスターを長年務めた佐々木信也さん。そうです、今年は源田(西武)の新人最多安打で何度もスポーツ紙に登場した佐々木さん(1956年に新人記録の180安打)です。そして、3年前に大作「高橋球団(ユニオンズ)」3年間のあゆみを自費出版された秋山哲夫さんを中心に続けられていた。

Photo_3 しかし、1956年に巨摩高から入団した最年少の望月勝(元外野手)さんでも80歳を迎えられるなどメンバー全体の高齢化が進んだことで、球団解散60年目となった今年を最後にOB会に幕を下ろすことになった。私自身、初めて参加した2014年に、ゆっくりお話を聞かせていただいた滝良彦さんが3月18日、87歳で死去された事を聞いた際に、時の流れを感じました。ちなみに、亡くなった際に報知新聞だけは、次のような亡者原稿を掲載しました。

 滝良彦氏(たき・よしひこ)=元高橋ユニオンズ投手=。18日午後11時19分、慢性閉塞性肺疾患で死去。87歳。通夜、告別式は20、21日に行われた。名古屋外国語専門学校(現南山大)出身。愛知トヨタ自動車では軟式でプレーし、52年に毎日(現ロッテ)に入団。3年目に新球団・高橋に移籍し、横手右腕として素質が開花。54年にチーム最多の16勝。59年に引退。通算44勝63敗。3年間しか存在しなかった高橋(トンボ)の通算最多31勝をマークした。

 今回は南山大のOBで中京テレビアナウンサーの佐藤啓さんが、滝さんのご遺族から託された1954年と思われるユニオンズナインのサイン色紙(写真)を持参していただいた。今後、散逸してしまう可能性があるため、遺族が野球殿堂博物館に申し入れたことで、同博物館の茅根拓さんに手渡された。また、望月さんからは1957年3月に球団が解散した際に高橋龍太郎オーナーから選手一人一人に贈られた置き時計を持参していただいた。改めて、オーナーの球団愛を感じさせるエピソードを教えていただいた。なお、秋山さんが本の執筆の際に集められた蒐集された球団資料なども今後、同博物館に寄贈されることが決まっている。

 今回は幹事の佐々木さんのほかにも元捕手の青木惇さん、元投手の家永伸彦さん、元内野手の村上勤さん、田中(吉原)淳二さんらも出席。旧交を温めた。今回が最後と言いながらも秋山さんから「また会いたいときは、連絡してもらえば、セッティングさせていただきます」の力強いコメントをいただきました。

  「高橋ユニオンズOB会よ永遠に」です。
 
 【注】写真は今年のユニオンズOB会出席者(上)と1954年のユニオンズ・ナインの寄せ書き

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蛭間 豊章

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