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2018年4月27日 (金)

鉄人・衣笠祥雄さん、日本シリーズで1度だけ欠場したことがあった

Kinugasa プロ野球記録の2215試合連続出場をマークした衣笠祥雄氏。日本シリーズには計5度出場したが、1試合だけ欠場したことがある。

 79年、近鉄との日本シリーズ。この年のレギュラーシーズンでは不振から、連続フルイニング出場はストップしたが、当時歴代2位の1175試合まで連続出場を伸ばした。成績も打率2割7分8厘、20本塁打、57打点まで盛り返し、4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 だが、日本シリーズでは「2番・三塁」で1、2戦に起用されたものの8打数ノーヒット。3三振に2併殺打、守っても1失策と大ブレーキ。連敗スタートだったこともあって、古葉竹識監督は本拠・広島市民球場に戻った第3戦の先発メンバーから衣笠を外した。メンバー発表の際にはネット裏の記者席、そして地元ファンからも、驚きのどよめきが上がった。

 「公式戦と日本シリーズは違う」と理由を説明した古葉監督は、第6戦まで4試合続けて先発から外したものの、第3、4、6戦は守備固めで途中出場させた。第5戦は1―0の接戦となり、衣笠は最後まで出番なく、ベンチで戦況を見つめるだけだった。

 日本シリーズは第3戦から広島が3連勝、第6戦は近鉄が盛り返し3勝3敗となった。第7戦。古葉監督は衣笠を5試合ぶりに「2番・三塁」でスタメンに戻した。

 初回無死三塁、衣笠はいきなり中前に先制打を放つなど2安打。試合は9回無死満塁を江夏豊が切り抜け、広島が4―3で初の日本一に輝いた。「江夏の21球」で後世に語り継がれる一戦だ。

 衣笠は87年にユニホームを脱ぐまで、その後出場した3度(80、84、86年)の日本シリーズ22試合では、その名が一度もスコアボードから消えることはなかった。「江夏の21球」で知られる伝説の一戦は、鉄人をよみがえらせた試合でもあった。

 【写真】1979年11月14日、日本シリーズ第7戦、近鉄を破り、日本一を決め喜ぶ江夏豊、衣笠幸雄ら広島ナイン

2018年4月25日 紙面掲載

コメント

yahooのコメントより


「江夏の21球」には次のエピソードがある。
ピンチに陥った江夏。
それをみてブルペンに投手を走らせる広島ベンチ。
それを鬼のような形相で睨みつける江夏。
ここで衣笠が「お前が辞めるなら、俺も辞めるよ」と言い、江夏は冷静さを取り戻す。
このエピソードをワシはプライドの高いユタカをなだめた親友のサチさんとだけ受け取っていた。だが、この記事を読んで見方が変わった。
サチさんもこのシリーズの起用法に不満があったんやないかな?だからこそユタカにそんな言葉を投げかけ、ユタカもそれに心をうたれたんやなって思った。
本当に良い記事である。

蛭間さんありがとうございます。
わたしはこどものころから市民球場のカープファンでした。そして衣笠さんのフルスイングが大好きで、浩司さんも水谷さんも大好きで、江夏さんが広島に来てからは衣笠さんと江夏さんの仲の良さにわくわくでした。
あのとき衣笠さんが江夏さんに何を言ったのか知りたかったけど知らなかったのを蛭間さんが教えて下さったのがとても有り難いです。
衣笠さんも星野監督や野村監督と同じ母子家庭で滅茶苦茶親孝行で人には限りなく優しい、特に子どもに限りなく優しい。女性を母なる大地として大地に咲く花として貴乃花のように守り抜く仏心大和魂の溢れる心から尊敬できる日本男児桃太郎でした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

南無父母無二佛
合掌
拈華微笑

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蛭間 豊章

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