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プロ野球

2017年6月 9日 (金)

則本よ、ペドロの先発10戦連続を目指せ!

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 ◆日本生命セ・パ交流戦 楽天8―2DeNA(8日・コボパーク宮城)

 楽天の則本昂大投手(26)が8日、DeNA戦で12奪三振を奪い、自らの連続2ケタ奪三振の記録を8試合に伸ばした。

 日本では大注目のこの記録。実はメジャーでは注目されていなかった。1999年のペドロ・マルティネスは4月15日から5月18日まで7試合連続2ケタをマーク、そして8月から9月にかけ8試合連続2ケタと更新したが、地元紙ボストン・グローブ紙のゴードン・エディス記者による本記には、23勝目こそ大きく報じられていたものの、連続試合2ケタ奪三振の記録に対する記述はない。

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2017年5月17日 (水)

野球殿堂記者投票への考察=第64回(最終回)私が殿堂入りを望む人々パート2 名審判の岡田功。そしてメディア関係者部門の創設を

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 今回も野球殿堂入りしていない偉大な方々を私なりに選んでみた。1959年第1回野球殿堂入りの候補者でその後も殿堂入り出来なかったのは、1896年に横浜外国人チームを破った一高の名一塁手・宮口竹雄と明大時代にシーズン2度のノーヒットノーラン、1950年初の日本シリーズで毎日オリオンズを優勝に導いた湯浅禎夫の2人だけだ。

 宮口に関して私は何とも言えないが、湯浅は推したい。オリオンズを指揮していた1952年の平和台事件、遅延行為でノーゲームを策したとされて辞任に追い込まれた。これがなければすんなり殿堂入りしているはずと言われているがアマ時代の剛腕ぶりと初制覇は称賛に値する。背広組では赤嶺昌志を入れたい。戦前は名古屋金鯱軍、戦後は中日ドラゴンズ代表として選手の引き抜きなどダイナミックな移籍劇で“赤嶺旋風"を巻き起こし、2リーグ分裂後は野球協約の起草委員として球界に貢献。その後は野球体育博物館設立に尽力された方だ。

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2017年5月14日 (日)

自責点は難しいが、興味深い記録である(第845回)

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 米時間5月2日、メジャーの小さなニュースに「ダルビッシュの4月29日のエンゼルス戦、自責点を2から1に変更する」があった。4回にカルフーンが左前安打、続くトラウトが三塁線に二塁打を放ちカルフーンが生還。遊撃手のカットプレーが悪送球になって三塁進塁。続くプホルスの左犠飛でトラウトが生還した。エラーがなければ左翼フライで生還もないので最初は自責点1と発表された。しかし、メジャーの自責点の考えは1イニング終わった段階まで待つ。そのため、2アウト後にシモンズの左前安打が出たことで、失策が無くても走者が生還できると考えられたために自責点2となった。(この規則は、日本ではプレーごとに自責点を出すために1点となる)。

 5月10日の読売ジャイアンツ・阪神タイガースの試合ではこんな事があった。1回ジャイアンツの攻撃、先頭の石川が四球で出塁、続く中井の二塁よりのゴロを遊撃・北條がファンブル(失策)、坂本勇が三塁フライで1アウト。打者阿部の時に二塁走者の石川が、投球をはじいたのを見て三塁を狙うも捕手からの送球で2アウト。2死二塁から阿部が右翼席に2ランホーマーを放った。

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2017年4月28日 (金)

野球殿堂記者投票への考察=第63回土井正博、谷沢健一らの殿堂入りを望む(プロ野球OB編)

 過去62回の連載で年度ごとの殿堂入り選手の話を書かせていただいたが、その中でこの人がなぜ入っていないのだろうかという思う事も少なくなかった。そこで最後に、私が殿堂入りして欲しいと思う方々を列挙させていただく。まずはプロ野球である程度の実績を残したOB編(資格未取得の現役引退後5年未満は除く)。

まずは通算成績(順位は昨年まで)から見て入るべきと思う選手

大島康徳

 2638試合(6位)2204安打(19位)382本塁打(30位)  得票数最多は2013年の85票と意外に評価が低かったが、通算2500試合出場した選手は文句なしに入るべきである。

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2017年4月 6日 (木)

昔は対戦していない同士に三振の記録が付いたことも(第844回)

 4日、横浜球場で行われた横浜DeNAベイスターズと読売ジャイアンツの試合、1―1で迎えた7回表ジャイアンツの攻撃。2死一塁の場面で打席に入った小林誠司に対し、ベイスターズの先発・今永昇太がカウント1ボール2ストライクで左足を痛めて緊急降板した。続いて2番手としてマウンドに上がったスペンサー・パットン投手。

Pip170406ht1050115000002 わずか1球で小林を空振り三振に仕留めた。投手の記録は四球以外、最後に打ち取った投手に成績がつくために、この回で退いたパットンは1球で奪三振1という珍記録が生まれた。こんなケースはままあり、2008年8月18日の西武―オリックス戦で西武の岩崎哲也投手がマークしていたという。

 そこで思い出したのが1994年4月16日のジャイアンツとヤクルトスワローズの試合だ。3点を追うスワローズは7回、1点を返しなおも無死満塁で現監督の真中満は1ボール2ストライク。ここで野村克也監督は飯田哲也を代打に送った。ジャイアンツの長嶋茂雄監督もここで左腕の柏田貴史に替えて、リリーフに右の水野雄仁を起用。水野はボール2つを交えて1球ファウルの後、フルカウントになって見逃し三振に仕留めた。記録は真中に三振1、水野に奪三振1がつき「対戦していない同士に三振」という超レアな記録が生まれた。
 野球規則によれば、打席に2人以上打者が立った時に安打でも凡打でも打球か死球なら、後の打者の成績に組み込まれるが、三振したケースは2ストライク目をとられた打者に付く。一方、投手は四球を出した時にカウントが2―0、2―1、3―0、3―1、3―2の場合のみ前任投手に付く。それ以外は後続の投手ということで前記の珍記録が生まれたのだ。
 
 先日のジャイアンツ・坂本勇人が無死一塁でフライを1バウンド捕球して併殺に仕留めた事も、無死、1死で一、二塁か満塁の時でなくては「インフィールドフライ」にならない事があって初めて好プレーと称賛されるなど、野球規則は複雑ながら奥が深い。それでいて、スコアカードを見れば、一投一打が瞬時に思い浮かべれる事が出来る数少ないスポーツ。今年もペナントレースが始まったばかりどんな珍プレーが生まれるのか楽しみである。

2017年3月26日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第62回(2017年度)エキスパート初、星野仙一、平松政次の同時殿堂入りも、原辰徳はまた落選。プレーヤーは伊東勤。特別は郷司裕、鈴木美嶺と計5人入殿

Hoshino 今年の殿堂入りはプレーヤー部門よりもエキスパート部門が盛り上がった。2人の読売ジャイアンツキラー、星野仙一、平松政次が入った。当選必要数は84だったが、星野が88票、平松はジャストの84票だった。初めてエキスパートに回った原辰徳は3位の62票でまたも落選して関係者を驚かせた。以下4位権藤博59票、5位バース40票、6位土橋正幸30票、7位田淵幸一29票、8位大沢啓二26票、9位長池徳士15票、10位新井宏昌、中畑清各11票、12位岡田彰布8票、13位郭源治5票、14位山下大輔3票。120票あるうち7人が棄権、また無効票が1票あったことで当選必要数がダウンしたことは平松にとって大きかった。

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2017年3月24日 (金)

この熱狂をWBCの時だけの「侍人気」にして欲しくない(第843回)

 米国が日本を破って4度目の大会にして、初の決勝進出。野球発祥の地を標榜しながら、過去1度もファイナルまで進出できなかっただけに、メジャー関係者としては、万々歳の大会になったのではないだろうか。

 米国の勝因は、先発ロアークの力投に加え、タイプの違うリリーフ陣をそろえた点だろう。終盤は小刻みに投手を替え、日本打線の目先をかわしたように、野手以上に投手の層の厚さを見せつけた。

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2017年3月23日 (木)

伊勢で感じた沢村栄治の魂

20170323160052919_20170320g0eg0eh99 22日、三重県伊勢市の倉田山球場で巨人―日本ハムのオープン戦が開催される。巨人草創期のエース、沢村栄治の生誕100周年を記念して、巨人全ナインが沢村のつけていた背番号14のユニホームを着用。その使用済みユニホームは同市内の小中学校に寄贈されることになっている。2月1日に市内明倫商店街に沢村氏の有名な言葉を彫り込んだ“全力石"の除幕式が行われたが、それだけではなく当地には沢村関連の遺物が数多くあって“沢村巡礼"にはもってこいの場所だ。(蛭間豊章)

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2017年3月16日 (木)

モリーナのフレーミングが勝利の要因(第842回)

 WBC2次ラウンド(R)F組は15日(日本時間16日)、サンディエゴで始まり、前回準優勝のプエルトリコが2連覇を狙うドミニカ共和国を3―1で破った。1次Rの首位同士の対戦で、プエルトリコはモリーナが同点打に駄目押しアーチに好リードと攻守にわたる大活躍で逃げ切った。プエルトリコナインは、前回大会決勝含め3度も苦杯を嘗めた王者ドミニカ共和国に雪辱すると、一塁側ベンチから全員が飛びだして喜び合った。ロドリゲス監督は「選手たちはこの瞬間をずっと待っていた」と感激の面持ちだった。

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2017年3月11日 (土)

【野球遺産第4回】初の黒人選手は洲崎でプレー出来なかった。プロリーグ初年度、沢村、景浦が躍動した短命、洲崎球場

_20170304_132657 プロ野球がスタートした1936年。上井草球場に続き、完成したのが洲崎球場だった。現在の地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて5分くらい、江東運転免許試験場前に洲崎球場があったことを示す江東区が2005年に設置したモニュメント(写真)がある。そのスタジアムは大東京軍が東京ガスの資材置き場1万坪を地代無しで借り受け、秋に突貫工事で11月開催の日程に間に合わせた。同年12月に行われた東京ジャイアンツと大阪タイガースの秋季優勝決定シリーズの名勝負は沢村栄治、景浦将というプロ野球草創期の投打のスーパーヒーローが相まみえて語り草になった。

 しかし、海に面した埋め建て地のため水はけが悪いことで予定されたお披露目試合が度々順延された。そして、1938年3月15日の巨人・金鯱のオープン戦では突然、球場横の掘割の土手が崩れて海水がグラウンドに流れ込んでジャイアンツのコールド勝ちになった珍ケースもあった。プロ野球が使用したのはわずか3年。レギュラーシーズンは計116試合だけ。上井草球場同様に、都心で足の便の良い後楽園球場が1937年9月に完成してからは一気に試合開催が減った。

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蛭間 豊章

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