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プロ野球

2017年3月23日 (木)

伊勢で感じた沢村栄治の魂

20170323160052919_20170320g0eg0eh99 22日、三重県伊勢市の倉田山球場で巨人―日本ハムのオープン戦が開催される。巨人草創期のエース、沢村栄治の生誕100周年を記念して、巨人全ナインが沢村のつけていた背番号14のユニホームを着用。その使用済みユニホームは同市内の小中学校に寄贈されることになっている。2月1日に市内明倫商店街に沢村氏の有名な言葉を彫り込んだ“全力石"の除幕式が行われたが、それだけではなく当地には沢村関連の遺物が数多くあって“沢村巡礼"にはもってこいの場所だ。(蛭間豊章)

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2017年3月16日 (木)

モリーナのフレーミングが勝利の要因(第842回)

 WBC2次ラウンド(R)F組は15日(日本時間16日)、サンディエゴで始まり、前回準優勝のプエルトリコが2連覇を狙うドミニカ共和国を3―1で破った。1次Rの首位同士の対戦で、プエルトリコはモリーナが同点打に駄目押しアーチに好リードと攻守にわたる大活躍で逃げ切った。プエルトリコナインは、前回大会決勝含め3度も苦杯を嘗めた王者ドミニカ共和国に雪辱すると、一塁側ベンチから全員が飛びだして喜び合った。ロドリゲス監督は「選手たちはこの瞬間をずっと待っていた」と感激の面持ちだった。

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2017年3月11日 (土)

【野球遺産第4回】初の黒人選手は洲崎でプレー出来なかった。プロリーグ初年度、沢村、景浦が躍動した短命、洲崎球場

_20170304_132657 プロ野球がスタートした1936年。上井草球場に続き、完成したのが洲崎球場だった。現在の地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて5分くらい、江東運転免許試験場前に洲崎球場があったことを示す江東区が2005年に設置したモニュメント(写真)がある。そのスタジアムは大東京軍が東京ガスの資材置き場1万坪を地代無しで借り受け、秋に突貫工事で11月開催の日程に間に合わせた。同年12月に行われた東京ジャイアンツと大阪タイガースの秋季優勝決定シリーズの名勝負は沢村栄治、景浦将というプロ野球草創期の投打のスーパーヒーローが相まみえて語り草になった。

 しかし、海に面した埋め建て地のため水はけが悪いことで予定されたお披露目試合が度々順延された。そして、1938年3月15日の巨人・金鯱のオープン戦では突然、球場横の掘割の土手が崩れて海水がグラウンドに流れ込んでジャイアンツのコールド勝ちになった珍ケースもあった。プロ野球が使用したのはわずか3年。レギュラーシーズンは計116試合だけ。上井草球場同様に、都心で足の便の良い後楽園球場が1937年9月に完成してからは一気に試合開催が減った。

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2017年3月 5日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第61回(2016年度)工藤公康、日本一監督効果か初年度当選。斎藤雅樹は10年目。エキスパートでは榎本喜八感激の殿堂入り。山中、松本は特別で。

58b50e0dtg2 1月18日、新たに野球殿堂に5人が加わった。プレーヤー部門は2人。上位10人の得票は、1位斎藤雅樹285票、2位工藤公康258票、3位は伊東勤172票、4位は立浪和義171票、5位佐藤義則103票、6位高津臣吾99票、7位T・ローズ86票、8位川相昌弘、清原和博各78票、10位桑田真澄74票。11位の石毛宏典が69票に終わり、プレーヤー投票の資格を失うことになった。東尾修、秋山幸二、工藤、そして2017年殿堂入りの伊東勤と西武ライオンズ黄金時代に一緒にプレーした選手の殿堂入りが続いている。現役時代は最も西武監督に近いと思っていた石毛だけに、あのままライオンズに残っていればどうなっていただろうかと思ってしまう。

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2017年3月 4日 (土)

「投げずに敬遠」導入、NPBは断る勇気を

 米大リーグ機構と大リーグ選手会が2日、今季から敬遠四球について、守備側の監督が球審に意思表示するだけで、投手が1球も投げずに打者が一塁へ歩くという規則改正を発表。試合時間のうち、30%が動きが止まっているという観点から、無駄なものを省こうとするマンフレッド・コミッショナーの意向だという。

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2017年2月26日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第60回(2015年度)古田敦也当選、原辰徳はプレーヤー表彰資格失う。特別表彰の村山龍平には?がつく

58a7f137tg1 1月23日発表された野球殿堂は古田敦也がプレーヤー表彰で選出されたが、ネットの中では15年間という資格最終年の原辰徳の落選が話題をまいた。まずは上位10人の得票数、今回も棄権14票、無効2票と16票が無駄になり当選必要数は249票。1位古田敦也255票、2位斎藤雅樹246票、3位原辰徳243票、4位立浪和義117票、5位岡田彰布107票、6位伊東勤96票、7位T・ローズ85票、8位佐藤義則73票、9位清原和博65票、10位川相昌弘60票。

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2017年2月24日 (金)

【野球遺産第3回】4面の軟式野球場となったスタジアム セネタースの本拠・上井草球場の初期の名前は東京球場だった

 前回書いた武蔵野グリーンパーク野球場跡地を訪れた2月11日は、戦前の東京セネタースの本拠地、上井草球場の跡地にも出向いた。西武新宿線の上井草駅から歩いて5分ほど。こちらは杉並区民の憩いの場である杉並区立上井草スポーツセンターに生まれ変わっていた。軟式野球場は正方形で4面がとれる全面人工芝。野球だけでなくサッカーも出来る広さである。屋内には展示コーナーとして、上井草球場の思い出の写真が数点飾られている。

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2017年2月19日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第59回(2014年度)球史を変えた野茂英雄、堂々の3人目の資格初年度殿堂入り

1 米時間1月9日(日本時間10日)に発表された米野球殿堂では、10年間現役でプレーして日本人選手で初めて候補に名を連ねた野茂英雄が6票に終わり、翌年からの候補者から姿を消した。メジャー通算123勝はいかにも少なかったが、それでも完全試合を含め通算219勝したケニー・ロジャースはわずか1票、通算319セーブを挙げたトッド・ジョーンズは0票だったことを考えれば、野茂の功績を感じていた記者がいた(全員日本人記者ではないだろう)ことの証明だ。2018年度、松井秀喜が再びメジャーの殿堂候補になる模様だが、この6票を超えるのかどうか私は注目している。

 さて、それから1週間後の17日に発表された日本の野球殿堂。野茂はプレーヤー表彰部門でスタルヒン、王貞治に次いで3人目となる資格初年度での殿堂入りが発表された。45歳4か月の殿堂入りは1965年、川上哲治の45歳8か月を抜く史上最年少でもあった。当選に必要な票数は243票だったが、野茂は267票、秋山幸二257票、佐々木主浩255票で、1980年代から90年代を彩った3選手が殿堂入りした。4位以下は4位原辰徳196、5位古田敦也165、6斎藤雅樹149票、7位清原和博69票、8位大島康徳60票、9岡田彰布49票、10位西本聖、篠塚和典各36票だった。

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2017年2月16日 (木)

【野球遺産第2回】1年でプロ野球から見放されたスタジアム 武蔵野グリーンパーク野球場は別名“ほこりパーク”だった

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 「純パの会」の催しで2月11日に、1951年に完成しながら、主だった試合はわずか1年間だけの使用に終わった東京スタデイアム、通称“武蔵野グリーンパーク野球場”と言われた跡地を訪ねた。国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)がプロ野球に参加して2年目、慢性的に球場が少なかった時代、戦前ゼロ戦などを作っていた中島飛行機製作所の跡地に立てられた。1950年1月26日付けの交通新聞の記事によると、グラウンドの総面積は約1万6千坪、地面から約120センチ下に掘り下げる後の西武球場(今年3月からメットライフドーム)のようなスタイル、収容人員5万1000人、ぎっしりつめこむと7万人。両翼300フィート(約91メートル)、中堅420フィート(約128メートル)。照明灯10基を設置。ブルペンがグラウンド外にあり、ベンチと連絡用の電話も設置される、となっていた。また、三鷹駅から歩くと40分前後かかる場所ながら、国鉄が全面バックアップ、かつて製作所への引き込み線を使用し「武蔵野競技場前」という新駅も作った。

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2017年2月11日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第58回(2013年度)プレーヤーで大野豊、エキスパートで外木場義郎と2年連続カープ勢2人選出。特別は公式戦12試合連続完封の福嶋一雄が当然の殿堂入り

Ohno 野球殿堂のプレーヤー表彰は大野豊が273票で当選。2年連続の177票から一気に100票近く増やした。2位以下は2位秋山幸二235票、3位佐々木主浩230票、4位原辰徳192票、5位古田敦也147票、6位斎藤雅樹126票、7位大島康徳85票、8位岡田彰布48票、9位伊東勤43票、10位佐藤義則39票。その5年後の伊東勤の殿堂入りの一方で原辰徳のもたつきぶりがうかがえる。また、前年17人もいた投票しなかった記者が5人に減ったことは喜ばしいことである。

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蛭間 豊章

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