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2017年3月 5日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第61回(2016年度)工藤公康、日本一監督効果か初年度当選。斎藤雅樹は10年目。エキスパートでは榎本喜八感激の殿堂入り。山中、松本は特別で。

58b50e0dtg2 1月18日、新たに野球殿堂に5人が加わった。プレーヤー部門は2人。上位10人の得票は、1位斎藤雅樹285票、2位工藤公康258票、3位は伊東勤172票、4位は立浪和義171票、5位佐藤義則103票、6位高津臣吾99票、7位T・ローズ86票、8位川相昌弘、清原和博各78票、10位桑田真澄74票。11位の石毛宏典が69票に終わり、プレーヤー投票の資格を失うことになった。東尾修、秋山幸二、工藤、そして2017年殿堂入りの伊東勤と西武ライオンズ黄金時代に一緒にプレーした選手の殿堂入りが続いている。現役時代は最も西武監督に近いと思っていた石毛だけに、あのままライオンズに残っていればどうなっていただろうかと思ってしまう。

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2017年2月26日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第60回(2015年度)古田敦也当選、原辰徳はプレーヤー表彰資格失う。特別表彰の村山龍平には?がつく

58a7f137tg1 1月23日発表された野球殿堂は古田敦也がプレーヤー表彰で選出されたが、ネットの中では15年間という資格最終年の原辰徳の落選が話題をまいた。まずは上位10人の得票数、今回も棄権14票、無効2票と16票が無駄になり当選必要数は249票。1位古田敦也255票、2位斎藤雅樹246票、3位原辰徳243票、4位立浪和義117票、5位岡田彰布107票、6位伊東勤96票、7位T・ローズ85票、8位佐藤義則73票、9位清原和博65票、10位川相昌弘60票。

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2017年2月19日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第59回(2014年度)球史を変えた野茂英雄、堂々の3人目の資格初年度殿堂入り

1 米時間1月9日(日本時間10日)に発表された米野球殿堂では、10年間現役でプレーして日本人選手で初めて候補に名を連ねた野茂英雄が6票に終わり、翌年からの候補者から姿を消した。メジャー通算123勝はいかにも少なかったが、それでも完全試合を含め通算219勝したケニー・ロジャースはわずか1票、通算319セーブを挙げたトッド・ジョーンズは0票だったことを考えれば、野茂の功績を感じていた記者がいた(全員日本人記者ではないだろう)ことの証明だ。2018年度、松井秀喜が再びメジャーの殿堂候補になる模様だが、この6票を超えるのかどうか私は注目している。

 さて、それから1週間後の17日に発表された日本の野球殿堂。野茂はプレーヤー表彰部門でスタルヒン、王貞治に次いで3人目となる資格初年度での殿堂入りが発表された。45歳4か月の殿堂入りは1965年、川上哲治の45歳8か月を抜く史上最年少でもあった。当選に必要な票数は243票だったが、野茂は267票、秋山幸二257票、佐々木主浩255票で、1980年代から90年代を彩った3選手が殿堂入りした。4位以下は4位原辰徳196、5位古田敦也165、6斎藤雅樹149票、7位清原和博69票、8位大島康徳60票、9岡田彰布49票、10位西本聖、篠塚和典各36票だった。

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2017年2月11日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第58回(2013年度)プレーヤーで大野豊、エキスパートで外木場義郎と2年連続カープ勢2人選出。特別は公式戦12試合連続完封の福嶋一雄が当然の殿堂入り

Ohno 野球殿堂のプレーヤー表彰は大野豊が273票で当選。2年連続の177票から一気に100票近く増やした。2位以下は2位秋山幸二235票、3位佐々木主浩230票、4位原辰徳192票、5位古田敦也147票、6位斎藤雅樹126票、7位大島康徳85票、8位岡田彰布48票、9位伊東勤43票、10位佐藤義則39票。その5年後の伊東勤の殿堂入りの一方で原辰徳のもたつきぶりがうかがえる。また、前年17人もいた投票しなかった記者が5人に減ったことは喜ばしいことである。

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2017年2月 4日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第57回(2012年度)喜べなかった津田恒実の競技者表彰殿堂入り。北別府学とカープ2人選出。特別は大本修、長船騏郎と3年ぶりにこちらも2人が当選

Tsuda 1月13日に発表された野球殿堂。競技者表彰での津田恒実の当選は、コアな野球ファンにとって賛否両論だった。投票結果は1位北別府学257票、2位津田恒実237票で当選に必要な236票をクリアした。3位以下10位までは3位ブーマー223票、4位大野豊177票、5位秋山幸二133票、6位佐々木主浩108票、7位原辰徳108票、8位斎藤雅樹60票、9位大島康徳49票、10位新井宏昌48票となっていた。

 開票された直後(同日)に書いたブログ「野球殿堂競技者表彰の個人的な見解」を少し書き直して掲載する。

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2017年1月21日 (土)

野球殿堂記者投票への考察=第55回(2010年度)落合博満が史上初、2年連続1票足らずに落選。殿堂入りは東尾修、エキスパートは遅ればせながら江藤慎一。そして都市対抗の華、古田昌幸

Higashio  2010年度の野球殿堂入りは1月14日に発表され、プレーヤー部門は東尾修が254票でただ一人入った。次点は落合博満で2年連続して1票不足。過去に1票不足で落選した例には1981年荒巻淳、1995年藤田元司があるが、もちろん2年連続は初めてだ。3位加藤英司191票、4位北別府学153票、5位津田恒美153票、6位大野豊138票、7位ブーマー111票、8位原辰德91票、9位梨田昌孝47票、10位秋山幸二42票。3年目となったエキスパート表彰では江藤慎一が37票獲得し念願の当選。1991年105票を得たのが競技者表彰最終年の得票数から19年後、彼も時間のかかった選手だ。2位皆川睦雄23票、3位星野仙一15票、4位権藤博9票、5位外木場義郎、土橋正幸各7票、7位平松政次6票、8位田淵幸一、足立光宏各3票、10位柴田勲1票だった。

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2016年12月28日 (水)

野球殿堂記者投票への考察=第52回(2007年度)200勝以上挙げ、唯一負け越した梶本隆夫。そして競技者表彰で漏れた松永怜一が特別表彰で殿堂入り

585a8649tg2 競技者表彰と特別表彰に分かれていた最終年となった2007年の殿堂入りは、1月12日に発表された。競技者表彰では前年12票足りず次点に終わり、9月23日に呼吸不全で死去した梶本隆夫が一気に55票伸ばし261票で当選。残念だったのが次点に終わった権藤博、9票足りない220票。この年限りで競技者投票の資格を失った。3位は星野仙一195票、4位外木場義郎182票、5位大沢啓二、山本浩二ともに179票、7位田淵幸一136票、8位堀内恒夫133票、9位村上雅則119票、10位東尾修81票、11位は大野豊だった。

 1954年のプロ入り1年目に20勝しながら、同じ新人の南海ホークス・宅和本司が26勝したため新人王になれなかった梶本隆夫は、阪急ブレーブスのエース左腕として通算254勝255敗。200勝以上24人中ただ一人の負け越している投手だ。それでもデビューから4年間で3度20勝をマーク、1957年9月27日に西鉄ライオンズ戦に勝ち、通算勝敗で89勝57敗、貯金32まで伸ばしていた。しかし、その後の16シーズン中11シーズンで負け越し。中でも1966年に1シーズンではワースト記録の15連敗(翌年まで通算すると16連敗)が痛かった。1973年に借金1で現役を引退して投手コーチ専任となったものの、1976年にチームが一、二軍を通じて左腕が白石静生1人というお家事情で現役復帰の話が持ち上がり、ピッチング練習を重ねたが、チームが前後期優勝ということで立ち消えとなった。快記録も持っている。1957年7月23日ホークス戦で、当時日本プロ野球どころかメジャーでも誰も達成していなかった9者連続奪三振を達成した。また、1959年には、近鉄バファローズ戦で8回先頭の小玉明利に初の走者となる四球を出して完全試合ならず。9回2死から1番に入っていた関森正治にカーブを三遊間に運ばれてノーヒットノーランも逃した。ちなみにその試合が行われた6月12日には、後楽園球場正門前に野球博物館オープンした日。これも何かの因縁だろう。

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2016年11月 9日 (水)

野球殿堂記者投票への考察=第44回(2001年度)根本陸夫が競技者、長谷川良平が特別表彰。これは逆でしょ

1 2001年1月。個人的な事を言わせていただくと当時私は、マリナーズ入りしたイチローのシアトルでの自主トレ取材のために渡米中だった。ですから1月12日の投票結果は海の向こうで知った。競技者投票は1位の根本陸夫が245票、2位の小山正明が232票を獲得して殿堂入りを決めた。以下3位田宮謙次郎217票、4位鈴木啓示211票、5位山内一弘186票、6位福本豊179票、7位関根潤三162票、8位R・バース147票、9位上田利治131票の順だった。現役時代捕手だった根本の一軍出場はわずか186試合だったが、監督として広島東洋カープ、クラウンライター、西武のライオンズ時代、そしてダイエーホークスで指揮を執り一度も優勝に導いたことはなかったものの、ライオンズの管理部長として手腕を発揮し黄金時代の基礎を築き、ホークスでもフロントとして王貞治招聘そして常勝チームの礎を作った球界の功労者である。彼の功績の数々は9月に出版されたばかりの髙橋安幸著「プロ野球のすべてを知っていた男 根本陸夫伝」(集英社=写真)に詳しい。

 

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2016年9月18日 (日)

野球殿堂記者投票への考察=第39回(1996年度)鉄人・衣笠祥雄、悲運の名投手・藤田元司殿堂入り

Fujita

 前年1票足らずに落選した藤田元司が有資格3年目で199票獲得。当選に必要な174票を大きくクリアして殿堂入り。衣笠祥雄も4度目の挑戦で188票を獲得。1968年にユニホームを脱いで5年という規定となってからは49歳の衣笠は最年少選出(現役監督OKだった1965年川上哲治45歳、同年鶴岡一人49歳)だった。3位以下は3位近藤貞雄148票、4位大杉勝男139票、5位広瀬叔功104票、6位古葉竹識98票、7位松永怜一75票、8位梶本隆夫52票、9位関根潤三52票、10位根本陸夫50票。明治大・島岡吉郎、早稲田大・石井藤吉郎に次いでプロ未経験のアマチュア指導者として元法政大監督で、1984年ロサンゼルス五輪、公開競技ながら野球部門で米国を破って世界一に導いた日本代表監督の松永怜一がノミネートされた。

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2016年9月14日 (水)

野球殿堂記者投票への考察=第38回(1995年度) 日本シリーズ4戦4勝の杉浦忠。殿堂入り発表日に球界に苦言。西村正夫は資格最終年も落選

57d16e62tg4 この年の野球殿堂で会見した杉浦忠は、プロ野球界に苦言を呈したことで知られる。1月25日の競技者表彰発表で、規定の150票を上まわったのは1959年公式戦38勝4敗、日本シリーズ4戦4勝の大車輪の活躍で南海ホークス初の日本一の立役者・杉浦が171票、4年前の元明大監督・島岡吉郎に次いで、プロ経験0ながら早大の選手、監督を務めた石井藤吉郎が160票を得て当選した。杉浦は立大時代に長嶋茂雄、本屋敷錦吾の三遊間とともに右腕エースとして1957年春夏連覇に貢献。下手からの速球とカーブで一時代を築き、前述の1959年には38勝4敗と30勝以上では史上最高勝率の9割5厘。そして、日本シリーズでは4試合中2試合に完投するなど、チーム37イニング中32イニングを投げ6失点だった。第3戦、杉浦完投で王手をかけた鶴岡一人監督は「(第4戦を)勝つには杉浦以外にない。もっとも先発ということはない」と断言していた。しかし、第4戦が雨で順延し休養が与えられて先発し完封勝利を挙げた。読売ジャイアンツは前年の1958年、3勝0敗で迎えた第4戦が雨で順延。これで西鉄ライオンズに流れが移り4連敗。その再現を期待しながら逆に完封負けと、2年続けて恨みの雨となった。

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蛭間 豊章

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