一緒に泣こう決勝戦(第559回)
夏の甲子園大会はあす決勝戦が行われる。島袋洋奨と一二三慎太の左右のエースを擁した沖縄代表の興南と神奈川代表の東海大相模が激突する。本紙のアマ野球キャップとサブキャップが予想した強豪同士、準決勝では、ともにリードを許しながら、打線がそれをはね返してここまでたどり着いた。評判の両エースだけでなく、野手のレベルも高い両チームだけに、熱戦が期待される。
夏の甲子園大会はあす決勝戦が行われる。島袋洋奨と一二三慎太の左右のエースを擁した沖縄代表の興南と神奈川代表の東海大相模が激突する。本紙のアマ野球キャップとサブキャップが予想した強豪同士、準決勝では、ともにリードを許しながら、打線がそれをはね返してここまでたどり着いた。評判の両エースだけでなく、野手のレベルも高い両チームだけに、熱戦が期待される。
8月15日の終戦記念日を前に、NHKでは総合、BSなどで第二次世界大戦に関する番組をゴールデンタイムから深夜にかけて数多く放映している。父に兵 隊時代の話を良く聞いた。子供時代は、それを聞き流していたが、年齢を重ねる事に、興味を覚えてきた。最近は義父の南方時代の生死をさまよいながら帰還し た話などを聞くことが増えた。太平洋戦争で亡くなったのは、日本人だけでも軍関係者が200万人以上、民間人も含めると300万人以上の犠牲者が出たと言 われている。
神宮球場などで行われた世界大学野球選手権大会は、仕事の都合もあって一度も生観戦出来ずじまいだった。それでも、Jsportsの中継を出来る限り見た。日本の試合よりも度肝を抜かれたのがキューバ・米国の決勝戦だ。米国は、2008年ヤンキースの一巡指名を蹴ってUCLAに進学。6月のカレッジワールドシリーズ準優勝に貢献したゲリト・コールが先発。最速158キロを誇る速球を武器に、昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でキューバのレギュラーだったエクトール・オリベラ、アルフレド・デスパイネ、ヨエニス・セスペデスでクリーンアップ・トリオを組む打線に立ち向かった。
4月17日に慶大の竹内大助投手が東大戦でノーヒットノーランを達成した。その顛末(てんまつ)は加藤弘士記者の「燃えろ!!アマ野球リターンズ」http://weblog.hochi.co.jp/moeama2/2010/04/post-e25f.html
で絶妙な文章で書いている。
東京・銀座ブロッサムで16日、行われたブルーリボン賞授賞式に行ってきた。今回は特別賞として「釣りバカ日誌」シリーズの西田敏行、三國連太郎も出席。「ディアドクター」の演技で主演男優賞に選ばれた笑福亭鶴瓶、作品賞「劒岳 点の記」で監督デビューした木村大作(新人賞)と、年輪を重ねてきた4氏の軽妙なコメントは、緊張していた感のある他の受賞者に比べて、来場したファンを楽しませてくれた。
米大学野球のNO1を決めるカレッジワールドシリーズ(CWS)最終戦が24日、ネブラスカ州オマハで行われ、ルイジアナ州立大(LSU)がテキサス大との第3戦に11―4で打ち勝って対戦成績を2勝1敗として、9年ぶり6度目の全米王者となった。全日本大学野球選手権は各地区の優勝校26校のトーナメントで日本一を決めるが、米国のシステムはやや違う。
世界的な金融危機で企業スポーツへの影響が一気に噴出してきた。9日には日産自動車が大幅な赤字を計上する決算予測を発表、経営合理化の一環として硬式野球部、卓球部、陸上部の休部を発表した。野球部は1959年に創部、都市対抗では1984年と98年の2度優勝を飾るなど社会人野球の雄だった。
米国時間4日、新日本石油ENEOSの田沢純一投手のレッドソックスとの3年総額330万ドルのメジャー契約が発表された。紙面上では同じ日本時間5日、ホンダの長野久義外野手が2位で指名されたロッテに入団拒否を正式に表明。昨年のドラフト会議直後に、スポーツ各紙が来年の社会人の投打の1位候補と紹介していた両選手を、日本のプロ野球界は取り逃がしたことになる。
今秋のドラフトで上位候補の一人と目されていた新日本石油ENEOSの田沢純一投手が11日、「米国に挑戦したい気持ちが強い」と語り、日本プロ野球を経ずにメジャーリーグへ挑戦する意向を表明した。入社4年目で22歳の同投手は、9日まで行われていた都市対抗野球で5試合に投げて4勝を挙げるなどチームの優勝に大きく貢献。MVPとなる橋戸賞を受賞した速球右腕だ。
当コラム402回で書いた「甲子園の夏」が発売になった。仕事に必要と思い定期購読を申し込み、14日に1、2巻まとめて我が家に届いた。わくわくしながらページをめくったが、個人的な感想を言わせてもらえば見事に当方の期待を裏切ってくれた。
5月31日の早慶第1戦、7回2死二、三塁で早大・上本博紀内野手がホームスチールに成功。これが決勝点となった。早慶戦のホームスチールといえば本紙の記事にもあったように、1931年(昭和6年)春の早大・三原脩内野手が、2-2の7回に慶大・水原茂投手の隙をついて決めた走塁が知られる。後に監督となって、プロ野球の日本シリーズで対決するライバル物語の最初の出来事として、ホームスチールがよりクローズアップされることになった。
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