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野球遺産

2017年3月11日 (土)

【野球遺産第4回】初の黒人選手は洲崎でプレー出来なかった。プロリーグ初年度、沢村、景浦が躍動した短命、洲崎球場

_20170304_132657 プロ野球がスタートした1936年。上井草球場に続き、完成したのが洲崎球場だった。現在の地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて5分くらい、江東運転免許試験場前に洲崎球場があったことを示す江東区が2005年に設置したモニュメント(写真)がある。そのスタジアムは大東京軍が東京ガスの資材置き場1万坪を地代無しで借り受け、秋に突貫工事で11月開催の日程に間に合わせた。同年12月に行われた東京ジャイアンツと大阪タイガースの秋季優勝決定シリーズの名勝負は沢村栄治、景浦将というプロ野球草創期の投打のスーパーヒーローが相まみえて語り草になった。

 しかし、海に面した埋め建て地のため水はけが悪いことで予定されたお披露目試合が度々順延された。そして、1938年3月15日の巨人・金鯱のオープン戦では突然、球場横の掘割の土手が崩れて海水がグラウンドに流れ込んでジャイアンツのコールド勝ちになった珍ケースもあった。プロ野球が使用したのはわずか3年。レギュラーシーズンは計116試合だけ。上井草球場同様に、都心で足の便の良い後楽園球場が1937年9月に完成してからは一気に試合開催が減った。

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2017年2月24日 (金)

【野球遺産第3回】4面の軟式野球場となったスタジアム セネタースの本拠・上井草球場の初期の名前は東京球場だった

 前回書いた武蔵野グリーンパーク野球場跡地を訪れた2月11日は、戦前の東京セネタースの本拠地、上井草球場の跡地にも出向いた。西武新宿線の上井草駅から歩いて5分ほど。こちらは杉並区民の憩いの場である杉並区立上井草スポーツセンターに生まれ変わっていた。軟式野球場は正方形で4面がとれる全面人工芝。野球だけでなくサッカーも出来る広さである。屋内には展示コーナーとして、上井草球場の思い出の写真が数点飾られている。

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2017年2月16日 (木)

【野球遺産第2回】1年でプロ野球から見放されたスタジアム 武蔵野グリーンパーク野球場は別名“ほこりパーク”だった

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 「純パの会」の催しで2月11日に、1951年に完成しながら、主だった試合はわずか1年間だけの使用に終わった東京スタデイアム、通称“武蔵野グリーンパーク野球場”と言われた跡地を訪ねた。国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)がプロ野球に参加して2年目、慢性的に球場が少なかった時代、戦前ゼロ戦などを作っていた中島飛行機製作所の跡地に立てられた。1950年1月26日付けの交通新聞の記事によると、グラウンドの総面積は約1万6千坪、地面から約120センチ下に掘り下げる後の西武球場(今年3月からメットライフドーム)のようなスタイル、収容人員5万1000人、ぎっしりつめこむと7万人。両翼300フィート(約91メートル)、中堅420フィート(約128メートル)。照明灯10基を設置。ブルペンがグラウンド外にあり、ベンチと連絡用の電話も設置される、となっていた。また、三鷹駅から歩くと40分前後かかる場所ながら、国鉄が全面バックアップ、かつて製作所への引き込み線を使用し「武蔵野競技場前」という新駅も作った。

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2017年2月 8日 (水)

【野球遺産第1回】自動車学校に生まれ変わったスタジアム 日本初のプロ野球試合の舞台は今

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 2007年2月9日、名古屋市緑区にある名鉄自動車学校に野球遺産「鳴海球場跡」というプレートが完成、披露された。それは「鳴海球場の開場80周年を記念、そして初の職業野球開催の地を記念して 元のホームベースがあった場所に金のホームベースとプレートが設置されたのだ。

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蛭間 豊章

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