ブログ報知

スポーツ報知ブログ一覧

« Igawaの足音が・・・ | メイン | 500ページの重み »

2008年5月10日 (土)

巨人・クルーン 背中の「42」

クルーンが横浜時代から引き継いだもの。背番号42。
ご存じの方も多いと思いますが、なぜ外国人選手は「42」を付けるのか。
巨人の守護神の話を織り交ぜながら、ちょっと紹介します。

レッドソックス・オルティス、レッズのケン・グリフィーJr・・。
今では有色人種が、チームの主力として欠かせなくなっているメジャーリーグ。
今からさかのぼること、約60年。
背番号「42」をつけたジャッキー・ロビンソンという選手が、人種の壁をとっぱらったから
今があるのです。

Nec_0188_2 人種差別はメジャーリーグの世界にもありました。
ちなみに、それは、カンザスシティーにあるニグロリーグ博物館で、
その歴史を学ぶことができます。
館内には写真や当時のユニホームなどが展示されています。
(写真はジャッキー・ロビンソンです)

ニグロリーグとは黒人選手だけのリーグで1920年に発足。
メジャーリーグから閉め出された黒人選手が各チームで野球チームを
結成し、オールスターやワールドシリーズまで発展させていったもうひとつの
リーグのことです。

                           

                            

                               

                             

Nec_0184

1945年、ジャッキー・ロビンソンの手によって、閉ざされていた
扉が解放されました。マイナーリーグからのスタートでしたが
1947年にドジャースと契約。そして4月15日にデビュー。
それからというもの、一緒にプレーするのを嫌がる選手もいれば、
退団する選手までも現れるなど、順風満帆とはいきませんでした。。
(その辺の詳しいことはいろいろな文献がありますので参照してください)

そんな不遇の時にも負けず、ロビンソンは新人王、首位打者、MVPを獲得。
その活躍と努力が一気に時代を変えました。
現在のメジャーリーグを作りあげました。

人種の壁を打ち破ったその功績をたたえ、ジャッキー・ロビンソンがつけていた
背番号42をデビューから50年たった1997年に永久欠番と制定されました
ヤンキース・リベラはそれ以前からつけていたため、特別につけることを許されています。

もし、彼の血のにじむような努力がないければ
ハンク・アーロンやバリーボンズはこの世に存在しなかったかもしれません。
有色人種というくくりでみれば、松井秀喜やイチローら日本人選手も
出ていなかったのかもしれません。

来日したクルーンは、こんなことを言ってました。
「背番号を決めるのは、全く迷わなかった。ジャッキー・ロビンソンは、
とても尊敬しているからね」と米国ではつけることの許されない永久欠番を選びました。

米ニューヨーク、ブロンクスで育ったクルーン。

ブロンクス地区はかつては低所得者が住んでおり、治安の悪いところで有名な所。
母子家庭で貧しい幼少時代を過ごしました。不遇の時代を過ごし
不屈の精神から、メジャーリーガーに。そして
日本では最速男の異名をとり、ジャパニーズ・ドリームをつかみました。

境遇は違うかもしれませんが、

ジャッキー・ロビンソンに通じる思いがあったのでしょう。

彼にとってみれば「誇り」そのもの。
巨人に移っても、その思いはもちろん不変です。

メジャーリーグではジャッキー・ロビンソンに敬意を表し、
4月15日に「ジャッキー・ロビンソンデー」として
背番号42をつけることが許されます。そのため、今年もたくさんの背番号42が
ボールパークに現れました。

そんな歴史的背景があるということを少しでも知っていただきながら
クルーンの思いこもった、魂のマウンドをみていただければと思います。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://www.typepad.jp/t/trackback/235990/12545110

このページへのトラックバック一覧 巨人・クルーン 背中の「42」:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © The Hochi Shimbun.