世界一にMVPも・・・

MVP。すごかった。
ニューヨークのパレードも
平日にもかかわらず、
すごい熱気。
11時スタートでも、
テレビはもう1時間以上も
前から生中継。
ニューヨークはヤンキース色に
染まっていた。
夜にはエンパイアステートビルも
このようにヤンキースカラーで
祝福していた。
・・・・・・・・
思えば、あのFA宣言から
すべてが始まった。
世界一の興奮とシャンパンの酔いから少しさめると、
松井は携帯電話を手に取った。
「これまで、ありがとうございました。
おかげさまで世界一になることができました」。
電話の向こうには長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督がいた。
話し終えた松井の脳裏には、ふと7年前の恩師の顔が浮かんでいた。
2002年11月1日。都内のホテルに姿を見せた松井の表情は
こわばっていた。
極度の緊張と満足に眠れないまま朝を迎えた疲労感をにじませながら、
会見でメジャー挑戦を表明。
「今は何を言っても“裏切り者”と言われるかもしれないが、
いつか行ってよかったなと思ってもらえるよう頑張りたい」。
日本球界に別れを告げると、目にはうっすらと涙を浮かべた。
その数時間前、松井は都内で恩師に決断を打ち明けた。
「伝えるのが正直つらかった」。ミスターの微妙な立場を分かりすぎているからだ。
個人的に後押ししたかったとしても、巨人のフロント幹部として引き留めなければならない。
ミスターは翻意を促すこともなく、まな弟子の言葉を受け入れた。
「決断した以上は応援する。しっかりやってきなさい」と笑顔で送り出してくれた。
チームの勝利に奉仕することこそ主砲の役割と教えてくれた恩師に報いるため、
松井は世界一になることを胸に誓った。
ヤ軍移籍1年目の03年の5月、ミスターがテレビの解説のため訪れたニューヨークのホテルで、
スイング指導を受けた。けがをすると心配して、すぐに電話をくれた。
ホームランを打てば喜んでくれた。
海を渡っても、固く結ばれた師弟の絆(きずな)が変わることはなかった。
だからこそ、世界一の報告をできなかったことが心に引っかかっていた。
近年はけがにも泣かされた。海を渡った決断が間違いだったのか―。
自問自答の日々だった。そして、ようやくたどり着いた頂点。
ミスターとの電話で「世界に認められるプレーヤーになったな。
俺も涙が出るほどうれしかったよ」という言葉にすべてが救われた。
松井のみならず、長嶋監督からも信頼を得ているヤ軍・広岡勲広報は
「監督は松井秀喜を自分に重ねて、夢を託しているのだと思います」と言う。
ミスターも立大時代から、メジャーでプレーする夢を抱いていた。
世界一で2人の願いが成就した。(松井の軌跡と奇跡1より)


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