けがと隣り合わせだった松井の戦い
先日、トーレ監督が主催するパーティーが
行われた会場での松井選手の写真です。
MVPの久々の登場とあって、
地元メディアのフラッシュの嵐でした。
これは、昨年8月、
シーズン中に左ひざ痛でDL入りした時の
フロリダ・タンパでのリハビリの時の写真です。
この時は、ゆがんだ顔をした松井選手の印象しか
なかった気がします。
打撃練習で1球スイングするだけで、顔がゆがみ、
走る時も苦しそう。
1年後、ワールドシリーズであのような活躍を
するなんて、誰も想像もできなかったと思います。
紙面で掲載しましたが、
連載の第3回は「ケガの軌跡」。
ご高覧ください。
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順風満帆のように見えた松井のメジャーのキャリア。
渡米1年目でいきなりワールドシリーズに進出。
投手の対応に苦しみながらも、2年目ではメジャー自己最多の31本塁打。
05年の3年目は初の打率3割。
世界一にはなれなかったが、着実にヤ軍の顔になっていった。
しかし06年以降、「鉄人」と言われ続けた松井に、
けがと隣り合わせの日々が訪れる。
06年5月11日、本拠でのRソックス戦。
悪夢が松井を襲った。左翼を守っていた際に前方へ,
スライディングキャッチを試みた。
手を伸ばしたが、グラブが芝生にひっかかった。
全力で滑り込んできた勢いで、左手首に強く負荷がかかり、
不自然なほど反り返った。
苦悶の表情が示す通り、左手首は骨折。
こだわってきた日米通じての連続試合出場は
1768試合で途絶えた。
体には今でもその時の手術で埋めた
プレートとボルトは眠っている。術後は激痛で眠れなかった。
初めての故障者リスト(DL)入りから、負の連鎖が始まった。
翌07年は左太もも裏痛でDL入り。同年オフには右ひざの手術を決意した。
08年は反対側の左ひざにも影響が出て、戦線離脱。
シーズン終了を待たずに右ひざ同様にメスを入れた。
相次ぐけがに「俺ももう若くはないね」と苦笑いを浮かべながら、
つぶやいた。
試合前はトレーナーから両ひざのチェックを受ける。
試合後は患部に大量のクラッシュアイスを巻きつけるのが日課となった。
寒い日はホットクリームで患部をケアをした。
ある日、松井はそのクリームをひざにすり込ませながら
「人生ね、いいことばかりではないんだよ」。
厳しい現実を受け止めようと自分自身に言い聞かせていた。
7年間を振り返り、一番つらかったことは「試合に出られないこと」だった。
出られれば、結果を残せる自信があったからだ。
「けがをしてしまったけど、衰えたとは思ってはいない。
ひざさえ良くなればやれる」と言い切ったのは今年の春季キャンプの時だった。
松井はその言葉を夢の舞台でMVPになって証明した。
苦しみは頂点への助走だった。



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