ブログ報知

スポーツ報知ブログ一覧

« 世界一にMVPも・・・ | メイン | けがと隣り合わせだった松井の戦い »

2009年11月10日 (火)

松井秀喜とFAとトーレの話

P1010582_2

シャンパンファイトから5日
松井がFAを申請した。
こちらのFAは日本のFAと違い、
宣言するものではなく、申請するもの。
FAになっても、すぐに他球団と交渉できるものでは
ありません。
同じFAでも意味合いが違うのです。

19日(現地)23時59分59秒までは
ヤンキースに交渉する権利がありますが、
それを待たずにFAしたことで、
松井に興味を持つ他球団が本格的に動き出すことに
なる。

しかもタイミングをはかったように
シカゴでは各球団のGMが集まった
GM会議が開催中。
俄然、会議が活性化することでしょう。

ところで、
松井選手のMVPにはいろんな方の
支えがありました。

その一人としてトーレ監督との
思いをテーマに書きました。
本紙で世界一までの軌跡として同様のものを
連載しましたが
ご高覧ください。

                                      

最良の日を迎えられたのは、一人の指導者のおかげだった。
ミスターが日本の師匠なら、米国での恩師はトーレ監督(現ドジャース監督)だ。
松井が海を渡った03年から5年間、ヤンキースの指揮を執った。

対話重視の指揮官に、メジャー1年目から救われた。
開幕からメジャー独特のツーシーム系の球に対応できなかった。
米メディアがつけたあだ名は「ゴロキング」。
苦しみを表に出さない男が、肩を落とし、沈んでいた。
試合前、トーレ監督に呼ばれたのは、そんな時だった。

03年6月5日、レッズ戦(シンシナティ)。
26試合もの間、本塁打が出ていなかった。先発落ちかもしれない。
覚悟はできていた。しかし、指揮官から告げられたのは2番から7番への降格だった。
そしてこうアドバイスを送られた。
「打席でもっとホームベースよりに近づいたらどうだ」。
野球に関しては頑固な松井が、素直に助言を受け入れた。
スパイク半足分、前へ踏み出して構えた。

絶望からはい上がる英断だった。結果は本塁打を含む5打数4安打3打点。
この日以来、不振に陥った時、松井とトーレ監督の間では
「リメンバー シンシナティ」が合言葉となった。
トーレ監督はこの年唯一の退場処分を受けたこともあり、
お互いの心に印象深く残っているゲームだった。
もがき苦しんだメジャー元年、トーレ監督が指揮官でなければ、
レギュラーの座から滑り落ちていただろう。

トーレ監督がヤンキース最後の年となった07年、地区シリーズで敗れ、
「大好きな監督。世界一の監督に戻したかったけど、力になれなくて申し訳ない」
と謝罪の言葉しか出なかった。このオフ、松井はこんなセリフを残した。
「野球観が同じ。自分がそれまで持っていた考え方や取り組み方を、
そのまま何も変える必要がなかった。僕から言えるのはひと言、
『ありがとうございました』しかない」と。
異国の地から来たスラッガーが、ここまでヤンキースで戦えたのも、
最大の理解者がいたからだ。

 松井は来週末、ニューヨーク市内でトーレ監督に会うという。
世界一とMVPという最高の勲章を持って、
感謝の思いを直接、伝えに行く。
 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://www.typepad.jp/t/trackback/235990/22263523

このページへのトラックバック一覧 松井秀喜とFAとトーレの話:

見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。Copyright © The Hochi Shimbun.