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2016年8月

2016年8月29日 (月)

「道マラ」の夜 いい顔ズラリ

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 北海道マラソンが終わった28日夜、札幌市内の居酒屋は打ち上げで集まったランナーたちで満杯。暑さと闘い体力を使い切ったはずなのに、「カンパ~イ」の掛け声は元気いっぱい。完走した人、リタイアした人、記録がよかった人、不本意だった人。結果はどうあれ、仲間同士で健闘をたたえ合えるのが「道マラ」の魅力です。
 写真は札幌市を中心に活動する「チームぷっ」の皆さん。関東から参加した方も含めて約70人の大宴会となりました。みんな、いい顔してます。この日のため、暑い中を走り込み、たっぷり汗をかいてきたんですよね。本当にお疲れさまでした。

2016年8月28日 (日)

北海道マラソン 暑さとの闘い

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 北海道マラソンが28日午前9時、スタートしました。記念の第30回大会はフルとファンランを合わせ過去最多の2万1392人がエントリー。1987年、439人のエントリーで始まった大会は30年の時を経て初めて2万人を突破しました。
 国内唯一の真夏のフル、「道マラ」の魅力は、暑さと闘い体力を振り絞ってゴールした時の達成感、やった感の大きさでしょう。ほかの大会にはない苦しさがあるからこそ、打ち上げのビールは格別。仲間とのカンパイのため、ランナーは歯を食いしばってゴールを目指します。
 当ページの管理人・桃井光一(56)は、これまで「道マラ」に7回出場。2006年には収容バスのお世話になっただけに、思い入れの強い大会です。残念ながら昨年はけが、今年は仕事(取材)のため欠場。皆さんの健闘と無事を祈り、元気とパワーをいただきたいと思ってます。

2016年8月26日 (金)

ウルトラ命 願い込めた246キロ

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 「ウルトラ命」第3回は6月のサロマ湖100キロウルトラマラソンを11時間12分20秒で完走し、大会称号「サロマンブルー」を獲得した田中愼一郎さん(54)=東京都=。先輩の姿に心を奮い立たせ、病気と闘う仲間のために必死でゴールを目指してきた10年間でした。

 2009年のサロマには、所属する駒沢公園ジョギングクラブの仲間13人で参加。この年は全員が完走して盛り上がったけど、私自身は体調がもうひとつ。30キロあたりでどこかを痛め、55キロのエイドでは「だめだ…」と心が折れかかっていた。
 クラブの仲間がコースに戻っていくのを眺めていたら、故障を押して出場した先輩の野中昌さん(72、当時65)が氷水を患部にぶっかけて出ていった。衝撃的なシーンを目の当たりにして、「お前はそれでいいのか、人としてどうなんだ」と弱い自分が恥ずかしくなった。数分後、覚悟を決めた私も走り出し12時間16分4秒でゴールできた。
 その後、萩往還マラニックの140キロ、250キロ、2012年からはギリシャのスパルタスロン246キロに4年連続参加。超ロングの過酷なレースを乗り切ってきたが、昨年はきつい1年だった。
 5月のクラブの練習会で、お尻の筋肉を痛めて1か月半お休み。6月のサロマ1週間前にやっと4キロ走れるようになって、ワーストの12時間44分23秒でフィニッシュ。8月末の北海道は3時間55分17秒でサブフォーぎりぎり。スパルタスロンへの不安がふくらむ中、あきらめたくない理由もあった。
 スパルタスロンへの挑戦を始めた時からのラン仲間、白潟道博さん(愛称みっちゃん)が末期の肺がんと闘っていた。彼は13年春の健康診断でステージ3の肺がんと分かったものの、同年のスパルタスロンを完走。帰国後の再検査でステージ4と診断され、翌14年は入退院を繰り返した。がんは肝臓、大腿骨に転移していったけど、15年の桜道や萩往還には私設ボランティアとして参加していた。
 そんな彼の姿を見ていたから、一緒に頑張ったスパルタスロンでは「おれがまず先に奇跡を起こす。完走の証しの月桂冠をみっちゃんに届ける」と誓った。でも故障を抱えていたから終盤はボロボロ。気合だけで体を前に運んで35時間27分57秒でゴールにたどり着いた。数日後、彼の病室に月桂冠を届けて「みっちゃん負けるなよ」と話した3週間後、47歳の若さで逝ってしまった。
 ウルトラにはその人その人のドラマがある。思い通りにいかなくても、何とか乗り越えてゴールを目指しているから互いをリスペクトできる。私は今年もスパルタスロンに出る。みっちゃんのいない晴れ舞台だけどベストは尽くしたい。どんな246キロになるのか。新しいドラマに正面から向かっていきたい。
 ◆田中 愼一郎(たなか・しんいちろう)1962年2月26日、東京都生まれ。2001年、ダイエットのため走り始める。ベスト記録はフルが3時間6分54秒(11年、つくば)、100キロが9時間25分59秒(12年、サロマ湖)。179センチ、68キロ。血液型AB。
 写真=自宅近くの駒沢公園で走り込む田中さん(右)

2016年8月23日 (火)

新春フル 一覧表と写真で紹介

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 明日24日のスポーツ報知(東京本社版)は来年1月から3月までに開催されるフルマラソン特集。全国36大会の一覧表のほか、ランナーにお得な5大会を紹介しています。
 すでにエントリーが始まっている東京はコースが大幅に変わり、より華やかで記録の出やすい大会にパワーアップ。勝田はJRの上野東京ライン開業でアクセスが向上し、名古屋ウィメンズはタキシード姿のイケメン君がお出迎え。四万十川桜は清流とお花見を楽しみ、いぶすき菜の花は制限時間が8時間とファンランには最適です。
 観光を兼ねて参加するか、やっぱり記録にアタックするか。来年のレース選びの参考にして下さい。
 写真=黄色い菜の花が自慢のいぶすき菜の花マラソン

2016年8月21日 (日)

トランス・エゾ 20年目の誓い

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 「TRANS・YEZO」(トランス・エゾ)は20日、最終ステージ(浜頓別ー宗谷岬60.7キロ)が行われ、2週間の全行程を終了しました。宗谷岬と襟裳岬を往復する「アルティメイト・ジャーニー」に出場したランナーの走歩した距離は1097.3キロ。北海道の風景、人、食を見て感じた「走り旅」でした。
 「アルティ」の中村磨美さん(59)=神奈川・横浜市=は通算184時間11分で走り切って10回目の完走。今回も入浴時のマッサージやストレッチを入念に行い、足のダメージを最小限に抑えて14日間を乗り切りました。
 「今年は日程が少し遅れて始まり涼しくて走りやすかった。ここは仲間との貴重な時間を過ごす場所。私には幸せな環境で、大人の合宿なんです」と中村さん。毎年、安定した走力を披露し「トランス・エゾの女王」と呼ばれてますが、大会後には一緒に走った参加者にはがきを送って感謝の気持ちを伝えています。
 1997年にスタートした大会は今年で記念の20回目。主催者の御園生維夫(みそのう・ゆきお)さん(50)は「タイムや順位よりも自然や文化、出会いをゆっくりと楽しみ、旅をするように走る。そのコンセプトは今も昔も同じです。時代は変わっていきますが、変わらなかったから続けてこれたのかな」と、しみじみと振り返ってました。
 最終日前日の19日、浜頓別の宿舎で参加者全員からお祝いのケーキが贈られた御園生さん。思わぬサプライズに「最初の20年は終わりましたが、新しい20年をみんなで作っていきましょう」と感無量の様子で呼びかけてました。
 写真=宗谷岬に向かうオホーツクラインの9キロ続く直線に立った参加者たち(右から4人目が中村さん)

2016年8月19日 (金)

ウルトラ命 笑顔でグランドブルー

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 「ウルトラ命」第2回は6月のサロマ湖100キロウルトラマラソンを11時間45分3秒で走り、20回目の完走を果たして大会称号「グランドブルー」を獲得した大場弘子さん(69)=北海道札幌市=。「苦しい顔はしない。仲間とすれ違ったら笑って声をかける」ことが、レースでのポリシーです。

 ここ数年は月100キロぐらいしか走ってません。サロマ湖のあった今年6月も30キロほど。ちょっと不安でしたが「記念の20回目だから完走できればめっけもの」と気楽にかまえてたら何とかイーブンでいけた。北見市に住む長男家族が応援に来てくれ、ゴール後に可愛い孫たちに「お土産話」をしたくて頑張りました。
 私の走歴は今年で30年。長男が小学校6年生の時、マラソン大会の練習に付き合ったのが始まり。子供より私がはまってしまい、近所の真駒内公園のランニングが日課になった。当時は主人が病気で亡くなり母子家庭になったころで将来が不安だった。走っていれば心配ごとも泣きごとも汗と一緒に流れていくようで、ずいぶん救われました。
 走り始めて10年後の1996年、妹(能渡貴美枝さん、2004、05年のスパルタスロン女子の部連覇)に誘われURC(ウルトラ・ランナーズ・クラブ=札幌市)に入会。その年、サロマ湖を11時間19分20秒で初完走し、以後、母親が倒れて欠場した年を除いてサロマ湖にはずっと出場しています。URCの仲間とは毎年、バスを貸し切ってサロマ湖へ出発。乗車して即、宴会になって宿舎に着いても遅くまで飲んでます。みんなで過ごす楽しい時間だから、コースで走りながら「だれかに会えないかな」とキョロキョロ。すれ違ったら笑顔で声かけ、足が痛くても苦しそうな顔は見せません。
 2000年にはさくら道国際ネイチャーラン(250キロ)、ギリシャのスパルタスロン(246キロ)を完走。スパルタスロンはその1回だけですが、さくら道は計6回出場(1回リタイア)。初めて出場した年は雨が降り続き、夜中から雪に変わって気温は氷点下に。寒くて「もう無理」と思いながら孤独と闘ってゴールした時の達成感に心底しびれました。
 大会に出ると主人のことをよく考えます。「私がこんなに長い距離を走っているとは思ってないよね」「あなたが生きていたら私は走ってないかも」。主人の元同僚たちも私が走っていることを知っていて、大会で入賞して新聞に私の名前が載っていると「まだ健在ですね」と書かれた年賀状が届く。もうすぐ70歳で辞め時かなと思いますが、どうしましょうか。
 ◆大場 弘子(おおば・ひろこ)1946年10月14日。北海道長万部町生まれ。100キロベストは9時間56分23秒(2002年、サロマ湖)。154センチ、43キロ。血液型B。
 写真=今年のサロマ湖100キロ、スタート前の大場さん(左から3人目)

トランス・エゾ 最長98.3キロ

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 「TRANS・YEZO」(トランス・エゾ)は18日、第12ステージ(旭川大ー美深98.3キロ)を終えました。前日は台風7号の影響で雨と風に見舞われましたが、この日は台風一過。参加者は快晴の下、大会最長距離のステージに挑みました。
 まだ暗い午前3時に旭川大を出発した一行は上川盆地から名寄盆地へ。途中には水田地帯や丘陵、ひまわり畑などの光景が広がってます。日差しはきついものの、午後1時過ぎから涼しくなって走りやすい1日だったそうです。
 トランス・エゾは参加者が必要な荷物を持って走るのが「ルール」。宗谷岬と襟裳岬を往復する「アルティメイト・ジャーニー」(1097.3キロ)は2週間の行程なので、皆さん、背負うリュックをいかに軽くするか頭を悩ませます。
 坂東良晃さん(49)=徳島市=のリュックの重さは約500グラムで、中身は着替え一式(Tシャツ、短パン、ソックス)、薬品(鎮痛剤、胃薬、ばんそうこう)、歯ブラシ、ランプ、携帯電話、充電器、財布(5~6万円)など。宿舎に着くと衣類を洗濯し、翌日用の衣類を着たまま就寝。かさばるペットボトル類は持たず、途中のコンビニや自販機で給水します。
 北海道が舞台のレースですから、20キロ以上もコンビニや自販機がない所もあります。前日のミーティングでこうした情報をしっかり把握することが、安全に乗り切る必須テクニックだそうです。
 写真=名寄市の東雲峠を走る篠山慎二、和子夫妻

2016年8月18日 (木)

トランス・エゾ 美瑛の丘への思い

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 「TRANS・YEZO」(トランス・エゾ)の一行は17日、接近する台風7号の影響による雨と風の中を進みました。この日の第11ステージ(富良野ー旭川大66.9キロ)は北海道ならではの景色が広がる所だけに、ちょっと残念な天候でした。
 襟裳岬から宗谷岬に向かう「toそうや」(556.1キロ)には荻野浩(51)さとみ(46)夫妻と長女・瑛未(ひでみ、13)さん=愛知・名古屋市=が家族3人で出場。父は実業団の愛知電機女子陸上競技部監督、母は国際女子マラソンの参加資格を持つランナーと、実績十分の両親とクロスバイクに乗った娘の「走り旅」です。
 荻野家にとっては、「美瑛の丘」を通過するこの日がハイライト。2001年、初めて出場したさとみさんは、美瑛に広がるなだらかな丘陵地帯を見て心から感動しました。2年後に瑛未さんが生まれた時は、迷わずその地名から1字をとって命名したそうです。
 「今日はずっと雨が降ってましたが、娘は一度も弱音をはかなかった。美瑛の丘を黙って見てたけど何かを感じてくれたかな。トランス・エゾには人生が凝縮されていて、足の痛みや悔しさを乗り越えたら励みになる。毎回、成長させてくれる大会から学んでほしいですね」。1年に1回だけの大切なイベントへの思いを、母親はしみじみと語ってくれました。
 浩さんは所用のため17日までの参加でしたが、母娘の旅は最終日の20日まで続きます。「瑛未は食欲もあって元気ですが、私はだいぶ疲れてます」。さとみさんはアイシングやストレッチを入念にこなして翌日に備えてました。
 写真=楽しそうに走る荻野ファミリー

2016年8月17日 (水)

トランス・エゾ 狩勝峠から富良野へ 

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 「TRANS・YEZO」(トランス・エゾ)の一行は、日本最北端の宗谷岬を目指して北上中です。気温30度超の暑さに苦しんだ15日の第9ステージ(忠類ー新得87.5キロ)とは対照的に、16日の第10ステージ(新得ー富良野79.8キロ)は雨まじりの涼しい気候となって、参加者は少し元気を取り戻したようです。
 襟裳岬から宗谷岬に向かう「toそうや」(556.1キロ)には植村昭男(56)ひろみ(42)夫妻=福岡・北九州市=が参加。2012、14年に続く3度目の出場の夫が、序盤は初出場の妻を引っ張ります。16日は霧に包まれた標高644メートルの狩勝峠を上って下って30キロ過ぎまで同行。素足サンダル「ワラーチ」を履いた妻は「こんなに長く一緒に走ったことあるかな?」と、うれしそうでした。
 昭男さんは内科専門の開業医。トランス・エゾに参加すると最低9日間は病院を休むことになり、隔年出場が精一杯とか。それでも「大好きな北海道の景色を自分の足でたどれる。2年に1度の貴重な時間なんです」と意欲十分です。
 明日17日の第11ステージ(富良野ー旭川大66.9キロ)は、なだらかな丘陵地帯の中をまっすぐに延びる道など、絵葉書のような北の大地の光景が広がります。写真好きの昭男さんは2年前のその日、走っては止まり150回以上、夢中でシャッターを押したそうです。
 写真=狩勝峠を下る植村夫妻

2016年8月14日 (日)

トランス・エゾ 宗谷岬へ北上

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 北海道を縦断する「TRANS・YEZO」(トランス・エゾ)は14日、第8ステージ(襟裳岬ー忠類)に入りました。初日の7日以来、北の大地を南下してきたレースは襟裳岬で折り返し、この日から宗谷岬に向かって北上。前半と後半は別ルートをたどるため、ランナーは違う景色をたっぷり楽しめます。
 宗谷岬と襟裳岬を往復する「アルティメイト・ジャーニー」(1097.3キロ)に出場した田畠実さん(58)=富山県=は今回、節目の10年連続出場。2004年に山口萩往還マラニックの250キロ完走を果たし、「次はどの大会に行こうか」と富山の友人に相談すると、トランス・エゾを勧められました。
 07年に襟裳岬から宗谷岬を目指す「toそうや」(556.1キロ)で初出場したものの、第4ステージ(富良野ー旭川大)で道に迷って制限時間オーバーに。翌08年も同じ場所で同じミスの繰り返し。「ここは向いてないのかな」とショックを受けましたが、ゴールの宗谷岬に着いた大きな感動がすべてを帳消しにしてくれたそうです。
 最長距離の「アルティ」は昨年まで5年連続完走。途中でへばった方と一緒に走ることが多く、各ステージの制限時間を目一杯使って走ります。「ここに来ることは年間行事の一つで、渡り鳥が季節に動くのと同じ。仲間を励ましたり助けられたりとか、いろいろあるよ」。大会を知り尽くしたベテランのスタイルは今年も変わってません。
 写真=襟裳岬付近の丘陵を走る田畠さん

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