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2016年9月

2016年9月30日 (金)

ウルトラ命 しびれた「西の村岡」

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 「ウルトラ命」第8回は25日に開催された村岡ダブルフルウルトラランニング(兵庫・香美町)を11時間12分48秒で完走し、50歳代1位(女子総合7位)となった浅田美有紀さん(51)=大阪府=。5月のえびす・だいこく100キロマラソン(島根・松江市、出雲市など)を9時間27分33秒で走り女子総合2位に入った実力者も、村岡のアップダウンには苦戦したようです。

 「西の村岡、東の野辺山」。起伏の激しいウルトラ大会を比べる際、こんな表現をよく聞きます。関西に住む私もこのフレーズが気になっていて、100キロ7戦目は村岡を選択。秘かに「歩かず走り切ろう」と思ってましたが、44.5キロ地点の第12エイドを出たとたんに、あっさり走る気力を奪われました。
 目の前に想像を絶する急坂。頂上が見えていれば頑張れるけど、それが見えない。コース図では標高270メートルから蘇武岳の1060メートル地点まで上りが続く。標高差790メートルを約7キロも駆け上ることは「無理」と悟った。周りを見ると、みんながうなだれたまま、映画のゾンビみたいに黙って坂道を歩いていた。
 ただ、その一方でエイドが充実していることも村岡の魅力。私もラン仲間から「いっぱい食べておいで」と言われてました。
 今回、口にした食べ物はソーメン、ピザ、おすし、お好み焼き、カレーライス。果物もナシ、リンゴ、ブドウが美味しかった。印象的だったのは75キロ付近の長楽寺の境内でいただいたおはぎ。お寺の中がコースになっていて、そこの私設エイドに和菓子とお茶が並んでいてビックリしました。
 私の初ウルトラは2012年5月の水都大阪100キロウルトラマラニック。記録は13時間56分31秒で、レース後は足と股関節が痛くて一歩も動けなくなった。フルのシーズンオフに何か挑戦するものを探してる時、ウルトラを友人に紹介されたものの結果は最悪。それが回数を重ねて歩く時間が減り、自分の成長を実感できました。
 地方の大会は応援やおもてなしが温かく、元気をもらえるから大好き。隠岐の島のゴールでは「大阪の浅田さん」と名前をアナウンスしてもらった。その隠岐の島とえびす・だいこくでは、海が見えてテンションが上がりました。今回の村岡ではおじいちゃんとおばあちゃんの声援に勇気ずけられ、夜明けの峠や田園風景も素晴らしかった。
 今秋から来春までに出場する大会は、大阪、岡山、神戸、防府、東京、名古屋ウィメンズとフルばかり。東京に初めて当選したので、モチベーションも上がってきてます。100キロで蓄えたパワーを生かしたいな、と思ってます。
 ◆浅田 美有紀(あさだ・みゆき)1965年9月27日、大阪府生まれ。自己ベストはフルが3時間13分00秒(2016年2月、別府大分)、100キロが9時間27分33秒(同年5月、えびす・だいこく)。枚方緑風会所属。158センチ、51キロ。血液型A。
 写真=村岡の39キロ地点・第10エイドで流しソーメンを楽しむ浅田さん

 次回「ウルトラ命」は10月7日

2016年9月23日 (金)

ウルトラ命 バックパッカーの感覚

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 「ウルトラ命」第7回は学生時代に夢中になったバックパッカーのように、自分の足を使った旅ランとして大会を楽しむ亀田陽一さん(53)=東京都=。2012年の四万十川ウルトラマラソンに出場後、走るスタイルが変わりました。

 2年続けて出場した別府大分から、フルマラソンで目指すものが見えなくなった。11年は制限時間の1分前、12年は2分前にゴール。「3時間30分以内」という参加資格は私には苦しいばかり。前ばかり見て走って、大分の景色は記憶にない。健康のため、楽しむためという当初の目標が、そこにはなかった。
 この年、四万十川に当選。そこで、やりたかったものを見つけた。ウルトラはそれまで、所属する駒沢公園ジョギングクラブの仲間とチャレンジ富士五湖だけに参加。自宅のある都内から最も近いウルトラなので、高速を飛ばして当日未明に会場入りし、ゴール後は即、地元に戻って打ち上げる「弾丸ツアー」がクラブの恒例行事だった。
 一方、四万十川は前日早めに現地に到着し、鰻、鮎、エビ、ノリなどの「川の幸」を堪能。当日は30代の男性から「ウルトラはエイドに着いたら立ち止まって水を飲み、暑ければコンビニでアイスクリームを買って食べればいい。自分の足で進む走り旅なんですよ」と聞いて妙に納得した。
 四万十川の清流、地元の人たちの応援、美味しい食べ物。その日の新鮮な体験は、学生時代のバックパッカーの感覚と似ていた。アジア、中南米、サハラ砂漠など、100か国以上を旅した時の刺激的な感覚を思い出した。以来、未知の大会に参加し「コース上の景色をすべて見て楽しむ」ことが私流になった。
 ウルトラの走り方は、09年の富士五湖で初ウルトラを迎えた際、クラブの先輩Sさんから聞いた方法を続けている。「50キロまでは1キロ7分で走る。中盤以降は平地と下りを1キロ8分で走り、上りはすべて歩く。制限時間を目いっぱい使うつもりで走れば体力の消耗を防ぎ、月曜日の仕事に支障が出ない」というもので、このスピードだと横を見ても大丈夫。大会をゆっくり楽しむには最適のテクニックなのだ。
 最近は多い時で年6回、平均4回ほど、走ったことのないウルトラを中心に参加。これまで北海道から高知県まで11道府県を訪れた。
 今月18日は歴史街道丹後に初参加。台風に伴う大雨でズブぬれになって72キロ地点でリタイアと、22回目のウルトラで2度目の「途中退場」となった。悔しさはあったものの、翌日は伊根の船屋、元伊勢神社、天橋立、舞鶴引揚記念館を周って帰路についた。
 ◆亀田 陽一(かめだ・よういち)1963年4月25日、栃木県生まれ。ベスト記録はフルが3時間22分9秒(2010年、長野)、100キロが12時間19分42秒(12年、チャレンンジ富士五湖)。168センチ、64キロ、血液型O。
 写真=四万十川の沈下橋を渡る亀田さん(右、15年10月)

 次回「ウルトラ命」は30日

2016年9月20日 (火)

60代でピーク 記録にアタック

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 明日21日のスポーツ報知(東京本社版)は、60代になってピークを迎えた3人のランナーにスポットを当ててます。原田直さん(63)と岩澤晶子さん(63)は昨年11月のつくばマラソンで自己ベストを更新し、佐藤宏さん(63)は今年3月の古河はなももマラソンでセカンドベストを達成。3人の加齢に負けない効率的なトレーニング方法と「マラソン愛」を紹介します。
 また、和歌山・高野町と田辺市などで11日に開催された第1回高野龍神スカイラインウルトラマラソンの様子も掲載。高低差は100キロの部が812メートル、50キロの部が867メートルの難コースとあって、出場者の多くが苦戦したようです。関西に誕生したハードな大会を、50キロの部の飯田真寿美さん(69)がリポートしてくれました。
 写真=高野龍神ウルトラの96.1キロ(50キロの部は46.1キロ)地点のエイド

2016年9月16日 (金)

ウルトラ命 夫婦一緒に24回完走

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 「ウルトラ命」第6回は11日の白山白川郷ウルトラマラソンを完走した郡哲生(56)、美由紀(52)夫妻=千葉・浦安市=。2人とも出場した100キロ大会はすべて制限時間内にゴールし、今回の白山白川郷で哲生さんが30回、美由紀さんが26回目の完走を記録。2人そろって参加したのは全国18道府県24大会となり、まさに「ウルトラ夫婦」です。

 夫 夫婦で旅行を兼ねて行くのが僕らのスタイルで、これまで北海道から沖縄までの大会に参加。あきらめないで前に進めば、時間内に完走できるのがウルトラの魅力です。大会翌日は筋肉痛がひどくても観光し、美味しいものをたくさん食べて帰ります。
 妻 知らない土地を丸1日かけ、景色をゆっくり眺めながら走る。周りのランナーとのおしゃべり、大会ごとのエイドや演出も楽しみ。当日の天気や体調も異なる中、自分と目一杯向き合ってゴールを目指すこともウルトラの醍醐味、面白さだと思います。
 夫 宮古島ワイドーは海と池間、伊良部、来間の3島を眺めながら走った。伊南川は南会津の紅葉が素晴らしかった。四万十川は清流と沈下橋の風景に感動した。つまみ食いみたいにいろんな大会に行ったけど、どこも印象に残り見聞が広がった感じですね。
 妻 四万十川は2人そろって抽選に当たった思い出深い大会。80キロあたりの私設エイドで頂いた焼いたサワガニが美味しかった。阿蘇は最初の上りがきつかったけど、外輪山の景色が最高。しまなみ海道も橋の上りが大変だけど、瀬戸内海の景色がよかった。
 夫 最近は妻の方が速いので、一緒に走ることはありません。途中でへばった妻に私が追いつき、「元気出せ」と励ますことがたまにあるかな。ちなみに11日の白山白川郷のタイムは妻が14時間15分25秒、私は14時間30分26秒。曇りで涼しい天候でしたが、思っていたより山道が険しくてヘロヘロでした。
 妻 長い道中、何度かアクシデントもあった。昨年の野辺山では30キロ過ぎに転倒。肋骨(ろっこつ)にひびが入るほどの状態で残り5キロ地点までたどり着き、「ゴール手前で仲間が待ってるよ」と聞いたら不思議に力が出てきて制限時間3分前にゴールできた。今年の宮古島ワイドーは雷の鳴る土砂降りになって起伏のある場所では冠水。ひざまで水につかりながら完走した。何とか乗り切ろうと頑張れるのもウルトラの魅力でしょうか。
 夫 次の大会は来年1月の屋久島一周ウルトラECOマラニック。遠方に行くとお金がかかるので、年に数回しか参加できない。でも、「行ってみたらよかった」という大会ばかり。これからも夫婦で各地に出かけて楽しむつもりです。
 ◆郡 哲生(こおり・てつお)1960年7月16日、徳島県生まれ。ベスト記録はフルが3時間29分40秒(2003年、荒川市民)、100キロが11時間36分43秒(05年、秋田内陸)。170センチ、65キロ。血液型B。夫婦ともに浦安ランナーズクラブ所属。
 ◆郡 美由紀(こおり・みゆき)1963年12月11日、東京都生まれ。ベスト記録はフルが3時間39分29秒(2009年、つくば)、100キロが11時間34分4秒(09年、四万十川)。155センチ、43キロ。血液型AB。
 写真=東尋坊愛のマラニックで手をつないでゴールする郡夫妻(2014年)

 次回「ウルトラ命」は23日

2016年9月 9日 (金)

ウルトラ命 野辺山に挑む76歳

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 「ウルトラ命」第5回は八ヶ岳野辺山高原100キロウルトラマラソンに「4連敗」中の中村曉さん=千葉・浦安市=。今連載の最年長76歳は「来年こそは完走したい」と、リベンジに燃えてます。

 私の初ウルトラは2004年6月のサロマ湖100キロ。64歳の挑戦だったが、60キロで心が折れてリタイアした。それでも11月のつくば(フル)を3時間28分32秒で走って初サブ3.5を達成。調子がよく「もう1回、サロマに行こうか」となった。

 翌05年3月から5月までは計1050キロ走り込んだ。でも、本番では70キロあたりで足がつった。あきらめかけた時、所属する浦安ランナーズクラブの女性から「ここで辞めたらダメ」とハッパをかけられた。それから75キロまでは地獄だったけど、「またリタイアしたら浦安に帰れない」と必死で前に進んだ。90キロ過ぎて元気が戻って12時間32分58秒でゴール。その時の達成感が大きく、ずっとウルトラに出場するようになった。
 未知の大会、コースへの憧れがあって、1回だけ参加したウルトラが多い。いわて銀河、えちご・くびき野、白山白川郷、歴史街道丹後、村岡ダブルフル、四万十川、阿蘇カルデラが1回ずつ、サロマ湖と隠岐の島が2回ずつ、八ヶ岳野辺山高原が4回の計15回出場した。野辺山を除く大会はすべて女房連れで観光もエンジョイ。村岡では女房が飛び入りでエイドを手伝ったりとか、楽しい思い出がたくさんできた。
 その一方、2011年は東日本大震災で被災、翌12年は女房が病気で入院して丸2年は走れなかった。気を取り直そうと、13年から野辺山にチャレンジするようになった。
 東の野辺山、西の村岡と評されるアップダウンの厳しい大会。13年は87キロ、14年は50キロでリタイアし、15年は残り4キロの96キロ関門で制限時間をオーバーして失格になった。ただ、この年は3か月後の白山白川郷を14時間13分46秒で完走。10年のいわて銀河以来、5年ぶりのウルトラ完走ができてうれしかった。
 もっとも白山で頑張りすぎた影響で右足底筋を痛め、今年の野辺山はスタート地点に立てず応援に回った。これで4年連続、同じ大会で足踏み。1度は完走しないと区切りがつかない。今はスポーツジムで週2~3回、5キロの鉄アレイを持ってのスクワットやマシン、エアバイクで下半身をじっくり鍛練。心は来年の野辺山に向いてるよ。
 ◆中村 曉(なかむら・さとる)1940年1月24日、兵庫県生まれ。ベスト記録はフルが3時間25分14秒(2009年、つくば ネット)、100キロが12時間3分59秒(08年、えちご・くびき野)。160センチ、51キロ。血液型A。
 写真=自宅近くの浦安市運動公園を走る中村さん

 次回「ウルトラ命」は16日

2016年9月 6日 (火)

元箱根戦士 夏フル初挑戦

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 明日7日のスポーツ報知(東京本社版)は先月28日に開催された北海道マラソン特集。今年6月に実業団登録した大手ホビーメーカー・壽屋(コトブキヤ、東京・立川市)に「宣伝ランナー」として入社し、今大会が実業団デビュー戦になった稲田翔威選手(22)を取り上げてます。順大時代に3年連続、箱根駅伝に出場したエリートランナーですが、中盤から失速して2時間28分14秒と不本意な男子総合37位。夏フルと実業団の厳しい「洗礼」を受けたようです。
 「道マラ」は札幌市中心部の大通公園発着。体力を使い切ったランナーたちがゴール後、芝生に座ってレースを振り返り、健闘をたたえ合うシーンがすっかり街に定着しています。近郊の江別市が拠点の「ちばりよ~RC」は毎年、午後2時ごろから大通公園で最初の?打ち上げ。今回は40人以上が大会に出場したそうで、「青空宴会」は盛り上がってました=写真=。

2016年9月 2日 (金)

ウルトラ命 競走と共走

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 「ウルトラ命」第4回は100キロまでを「競走」、100キロを超えるものは「共走」と位置づける安藤一貴さん(50)=東京都=。4年前、がんを克服して走り続けるラン友に刺激を受けて本気になりました。

 2012年4月、かすみがうらマラソンのスタート直後、旧知のラン友・大久保淳一さん(52)を見つけた。彼は07年に精巣がんと診断され、がんは腹部や肺、首まで転移。2度の手術、3クールの抗がん剤治療を受けたが、抗がん剤の合併症で間質性肺炎になって肺機能の3分の1を失った。走っていることは知っていたけど、まさかレースで再会するとは。その日は伴走して4時間50分台でゴールした。
 大久保さんとは2000年の初フル(ホノルル)、03年の初100キロ(サロマ湖)を一緒に走った。彼はウルトラにはまって、私は「もうやらない」と決めた。ずっと週2回のジョガーで過ごし、マラソンは趣味レベルでいた時、復活を期す彼の走りを見た。その年の9月、翌年2月の東京マラソン当選通知が届いた。「よし、俺もやるぞ」と新シューズを購入して通勤ランを始めた。
 本格的なトレーニングに入ると、以前から気になっていたスパルタスロンの存在が大きくなってきた。参加資格や日程を調べると、勤務する会社の勤続25周年の休暇がもらえる14年の大会なら出場できることが分かった。大久保さんは13年のサロマ湖100キロを12時間39分41秒で完走。彼の復活に私も力をもらい、14年の野辺山、三浦半島、柴又、いわて銀河と4週連続で100キロレースを走り、ウルトラモードになった。
 その年の9月、初めてスパルタスロンに出場。過酷な246キロとは聞いていたが、本当にしびれた。
 150キロ付近の標高1100メートルのサンガス山。山頂まで2キロ以上続く急なガレ場をヘッドライトを着けて上る。気温5度の寒さの中、言葉の通じない外国人同士が励まし合って山間部を乗り切ると握手。195キロあたりでヒョウが降って寒くなり、エイドで毛布をかけられ背中をさすってもらった。それから先はまたカンカン照りで30度を突破。気温差は想像以上のもので、フラフラになって35時間12分24秒でゴールした。
 100キロは欲が出てタイムを追ってしまう「競走」。100キロを超える国内レースはさくら道を1回、小江戸大江戸を2回経験したけど、見知らぬランナーがエイドで会話を交わし、苦しくなると助け合う「共走」になる。そのことをスパルタスロンの厳しさの中でも痛感した。
 レースに復帰した大久保さんは、サロマ湖をあと2回完走すれば「サロマンブルー」になる。私は仕事の関係で昨年と今年のスパルタスロンは欠場。もう1回、ギリシャの夢舞台に立ちたくて走り込んでいる。
 ◆安藤 一貴(あんどう・かずたか)1966年7月23日、千葉県生まれ。ベスト記録はフルが3時間3分8秒(2004年、ホノルル)、100キロが8時間38分13秒(15年、サロマ湖)。駒沢公園ジョギングクラブ所属。169センチ、56キロ。血液型B。
 写真=2014年の柴又100キロを完走した安藤さん

 次回「ウルトラ命」は9日

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