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2017年10月18日 (水)

70歳 前田豊子さんに続け

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 黒松内町内一周駅伝大会(7区間、42.195キロ)が15日、北海道の同町で開催され、前田豊子さん(70)=余市町=率いる「あれから10年バーバラスペシャル」が3時間17分28秒で女子の部3位に入りました。

 「あれから10年―」は、10年前の同大会にも同じメンバーで「バーバラスペシャル」として出場。この時は前田さんの還暦を祝うために親しいラン仲間が集まり、2時間44分4秒で優勝しました。今回は前田さんの古希(こき)に加え、「この10年、いろんなことがあったよね」という感慨もあって、チーム名の最初に「あれから10年」を付け足したそうです。
 「前回は勝負をかけてぶっち切りましたが、今回はみんな年をとってガタガタ。でも、集まれただけで幸せでした」と前田さん。10年前は独身で現在は3人の子育てに追われる坂本祐美さん(37)はこの駅伝が復帰戦。「今日は手応えがあった。忙しい毎日ですが、これから少しずつ大会に出たいです」と大きな刺激になったようです。
 前田さんはこれまで、東京(現さいたま国際・代表チャレンジャーの部)16回、名古屋(現名古屋ウィメンズ・エリートの部)12回、大阪11回と、国際女子マラソンに計39回出場。今年6月のサロマ湖100キロウルトラマラソンは12時間47分36秒で、8月の北海道マラソンは4時間2分30秒で完走し、今なお北の大地を代表するランナーです。
 そんな大先輩の背中を、駅伝のメンバーたちはずっと追い続けてきました。
 「原点」「目標」として慕ってきたのは太田尚子さん(48)。1999年の洞爺湖マラソンでは、優勝した前田さんと並走し残り5キロで離され2位に。「50代でこんなすごい方がいるんだ」と驚いたとか。大会で出会うたび、「距離を踏みなさい」「国際に出ると勉強になるよ」と前田さんに教えられた太田さんは、2001年から洞爺湖8連覇を達成しました。
 70代に入り、「ここ数年はタイムが1キロ1分ずつ落ちてきた」と嘆く前田さん。練習量も減ってますが、太ももの強化に効果のある太極拳を週2~3回消化し、体力・筋力維持に努めています。年内のレースは来月の作.AC 真駒内マラソンで終わり、来年は4月の伊達ハーフマラソンから始動します。
 「今は体調が1年ごとに変わるから先のことは分からない。まあ、それでも懲りずに走っているのかなあ。10年後、80歳で駅伝? それはないでしょう」。偉大な「レジェンド」は楽しそうに笑ってました。

 写真=チームのメンバーとポーズを取る前田さん(左から3人目)

2017年10月13日 (金)

隣のレジェンド 気負わず大阪へ 

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 「隣のレジェンド」最終回は、山口勇吉さん(66)=大阪・富田林市=。6年ぶりに当選した大阪マラソン(11月26日)で、3時間45分切りに挑みます。

 走り始めるきっかけは、交通事故だった。28歳の時、追突され、ひどいむち打ち症に。処方された痛み止めをしばらく服用していたが、副作用で胃潰瘍になって入院した。その時、病室のテレビで見た第1回東京国際女子マラソンの中継にくぎ付けになった。大阪府の市民ランナー・村本みのるさんが2時間48分52秒で日本人選手トップの7位に入り、「普通の主婦でも頑張ればできるんだ」と大きな刺激を受けた。
 入院前は歩くとフラフラになるほど体調がすぐれず、「子どもがまだ小さいし、とにかく丈夫にならないと。退院したら、毎日できるランニングを始めよう」。そんなことを考えていた時、偶然目にした村本さんの快走が背中を押した。
 近所のジョギングから始まり、次第に距離が延びていった。3年後、初フルとなった篠山は後方からスタートしたものの、2時間56分台でゴール。いきなりサブスリーランナーとなって周囲を驚かせた。
 「最後はヘロヘロになって歩いてました。でも、タイムを知って自信になった。あれでハマってしまったなあ」。200キロ前後だった月間走行距離は300キロ、400キロに。ラン仲間から登山の効用を聞くと、休みの日に奈良・御所市と大阪・千早赤阪村の境にある金剛山(標高1125メートル)、大和葛城山(同959メートル)に通い、2~3時間、急な上りも階段も走り通した。1500メートル5本のインターバル走も取り入れ、持久力と心肺機能を強化した。
 日々の努力が実り、40歳で迎えた福知山は2時間38分46秒のベスト記録をマーク。「当時は1人でコツコツと練習してた。とにかくガムシャラだった」と振り返る。その後、加齢とともに記録は低下。50代中盤でサブスリーは途切れ、昨年の神戸は3時間40分47秒だった。
 現在は15~25キロのジョギングがベース。週1回、約50メートルの流しを7本こなし、たまに1キロ4分のスピード走を1本だけ入れる。来月の大阪に向け、「30~35キロ走をあと2回はしたい」と言うが、「年だから、しんどいと思ったら素直にやめる」と自然体だ。
 ラン仲間と立ち上げたTBタートルズは今年、結成33周年を迎えた。山口さんは約15年間、会長を務める。孫5人の幼稚園や習い事の送り迎え、週2日の仕事もあって何かと忙しい。それでも「孫とかけっこしたいから、体力は維持しないと。用事の合間に走ってるよ」と楽しそうだった。
 ◆山口 勇吉(やまぐち・ゆうきち)1951年8月7日、熊本県生まれ。フルの出場回数は50回以上。159.8センチ、54キロ。血液型AB。

 写真=今年5月、TBタートルズの恒例行事「琵琶湖一周リレーマラソン」に参加した山口さん(前列右から2人目)

2017年10月 6日 (金)

隣のレジェンド 71歳トライアスリート

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 「隣のレジェンド」第6回は、トライアスロン歴10年を誇る安部幸男さん(71)=東京・稲城市=。「健康のためだけでは続かない。目標を持つこと」をモットーに、競技に打ち込んでます。

 トライアスロン3種目の練習を、安部さんはコンスタントにこなす。スイムは火、土曜に2500メートル。バイクは週2回、多摩川沿いを中心に40~50キロ。ランは週3回、バイクの後の5キロとランのみの15キロ。「スイムとバイクは負担が軽く、慣れれば平気」という。
 地道な努力が実り、63歳と65歳の時に宮古島(スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42.195キロ)、67歳で佐渡国際(スイム3.8キロ、バイク190キロ、ラン42.195キロ)と、ロングディスタンスの両トライアスロン大会を完走。「半日かかるレースなのでゴールできないと思ってた。だから、すごい達成感だった」
 30歳を過ぎたころ、体重が76キロになった。ダイエットのため、近所の温水プールで水泳を始めた。ウォーキングにも励み、体重は1年間で60キロ台に。マスターズ水泳にも出場するようになり、55歳の時には全国大会の200メートル・バタフライで年代別の金メダルに輝いた。
 「フルマラソンはどんなものだろう」と思い立ち、59歳でランニング開始。約1年後のホノルルが初フルで、3時間48分で走り切った。60歳で迎えた板橋Cityを3時間37分52秒で走り、ベスト記録をマーク。「伸び盛り」の61歳の時、スポーツクラブの知人にトライアスロンを勧められ、あっと言う間に10年が経過した。
 これまでフルは18回出場して15回完走(リタイアはいわき2回、かすみがうら1回)。大会前は月間150~200キロを走り込むが、ここ数年は低迷。今年3月の板橋Cityは37キロ付近で「ガス欠」となって、不本意な4時間41分36秒に終わった。
 「4時間を切ろうと思って失敗した。1キロ5分30秒ペースがきつくなってきた」。フルに関しては弱音をはくが、トライアスロンは好調だ。6月の渡良瀬、9月の国営昭和記念(ともにスプリント=スイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロ)は年代別で1位をゲットした。
 「仲間と達成感を共有すること、自分と闘って挑戦していく気持ちが大切。健康のためという理由だけでは続かないよ。レースに出ること、結果を出すことなど、目的をもつことが必要なんだ」。来年3月の板橋Cityでサブフォーに返り咲くことが、鉄人のターゲットだ。
 ◆安部 幸男(あべ・ゆきお)1946年7月4日、富山・八尾町生まれ。167センチ、56キロ。

 写真=自宅近くをジョギングする安部さん

 次回「隣のレジェンド」は13日掲載

2017年9月29日 (金)

隣のレジェンド 仲間と走る喜び

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 「隣のレジェンド」第5回は、ウルトラマラソン歴25年を誇る伏見房子さん(75)=大阪府=。ラン仲間との走り旅を中心に国内外を飛び回っています。

 今年1月は台湾ジャーニーラン、春の大型連休は青森・浅虫温泉~岩手・釜石ラン、5月末は横須賀・三浦みちくさウルトラマラソン65キロの部、7月は東京・葛西臨海公園の7時間走、8月は核兵器のない世界平和実現を願う広島~長崎リレーマラソン。70代中盤ながら、伏見さんはエネルギッシュに活動する。
 気心のしれた20年越しのラン仲間が、ロングランや練習会を企画。その合間にウルトラマラソンに出場する。「最年長の私は、ずっと最後尾。やっとついていくほど遅いのに、いつも誘ってもらえる。ありがたいなあ。みんなと楽しく、いつまでも日本列島を旅したい」という。
 若いころは体調がもうひとつ。子育てが一段落した45歳の時、ご主人の正勝さん(15年前に62歳で死去)に「走ったら元気になるで。靴だけあればできるやろ」と言われて走り始めた。朝晩のジョギングが日課となり健康になった。48歳で初フルとなったホノルルを4時間17分で完走。49歳で初ウルトラを迎え、阿蘇カルデラの100キロを11時間40分で走り通した。
 「ウルトラは知らない方でも話しかけやすく、すぐ友人になれる。走る仲間がたくさんできて、いろんな大会を勧められるようになって、すっかりはまってしまった」。100キロは野辺山、四万十川、宮古島ワイドーなど多数。100キロ超級は山口萩往還(250キロ、完踏10回)、夜叉ヶ池伝説(135キロ、同17回)、関西周遊(305キロ)、トランスエゾ(襟裳岬~宗谷岬550キロ)なども参加してきた。
 一方、68歳の時には思わぬ大病も経験。物がゆがんで見えたため、脳神経外科を受診すると脳動脈瘤(りゅう)と診断され、開頭手術を受けた。無事に社会復帰を果たし、「自分へのご褒美」としてトランスヨーロッパとスパルタスロンに出場。いずれも途中でリタイアしたが、その行動力が周囲を驚かせた。
 脚に違和感が出てきたら整形外科に直行。バランスのよい食事、カルシウムの摂取を心がけているが、最近、血圧が高くなってきた。それでも、整形外科医から「走って血圧を下げましょう」と言われ、薬よりも運動することで体調をキープしている。
 「今、走らなくなったら、足腰の丈夫さを保てない。みんなと走っていて道に迷うことがあったら辞めようと思ってますけど」と笑う伏見さん。来年1月には仲間と沖縄一周ジャーニーランに向かう。その準備として、年内はハーフマラソンに2~3回出場する予定だ。
 ◆伏見 房子(ふしみ・ふさこ)1942年8月3日、大阪府生まれ。フルのベスト記録は3時間32分(93年1月、西脇レディース)。142センチ、40キロ。血液型O。
 写真=鹿児島・佐多岬に着いた伏見さん

 次回「隣のレジェンド」は10月6日に掲載

2017年9月22日 (金)

隣のレジェンド 80歳「二刀流」

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 「隣のレジェンド」第4回は太田幸宏さん(79)=大阪・富田林市=。春から秋まではマラソン、冬はスキーに打ち込む「二刀流」です。

 雪深い兵庫・美方郡出身の太田さんは、かつてスキー場でパトロール員を務めていたバリバリのスキーヤー。今でもゲレンデに通っているが、50代後半の頃、「若い者についていくのがしんどい」と体力不足を痛感した。知人から「走る仲間がいるよ。一緒に走ってみないか」と誘われた。
 59歳でランニングライフがスタート。10キロ、ハーフとレースの距離が延びていった。60歳で迎えた初フルは4時間46分56秒(NAHA=那覇)でゴール。67歳でフルベストとなる4時間9分23秒(福知山)をマークした。これまで10キロに31回、ハーフに33回、フルに23回、ウルトラに6回出場し、リタイアしたことは1度もない「鉄人」だ。
 今季の勝負レースは11月の大阪。来月3日には大台の80歳となるが、「足腰は衰えを感じるけど、絶対、完走する」と意気込む。1人で行う25~26キロ走をしっかりこなし、土曜日早朝は所属する狭山池夕焼けランの練習会に参加。本番は後方から走り出すため、「スタート地点を通過するのに30分以上はかかりそう。第2関門(10.5キロ、11時5分)をクリアできれば、あとは楽にいける」とレースプランも固まった。
 狭山池夕焼けランでは最年長ながら「おーちゃん」と愛称で呼ばれる。
 「みんな私の年下だけど、やさしい仲間なんですよ。陸上競技が無知の私に親身になってアドバイスしてくれ、ありがたいね。そんな人たちが『太田さんが目標です』『太田さんの年まで頑張りたい。やめないで』と言ってくれる。これが一番の励みになってるなあ」
 12月の初滑り後は、4月までスキー三昧。故郷のハチ北高原スキー場をホームゲレンデに、八方尾根、栂池(つがいけ)高原、戸隠(以上、長野県)、八甲田山(青森)など、各地のスキー場を滑りまくる。
 「八方は雪質が最高。栂池と戸隠は宿の料理がうまいんだ。コブ斜面はあまり行かなくなったけど、スキーはやめられないね」。孫が5人もいる「おじいちゃん」は楽しそうに笑った。
 ◆太田 幸宏(おおた・ゆきひろ)1937年10月3日、兵庫・美方郡生まれ。155センチ、54キロ。血液型O。
 写真=狭山池夕焼けランの練習会で走り込む太田さん(中央、今年5月)

 次回「隣のレジェンド」は29日掲載

2017年9月15日 (金)

隣のレジェンド 復帰を誓う

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 「隣のレジェンド」第3回は飯間勝さん(73)=東京・世田谷区=。2年前に左ひざを故障し、現在はフル復帰に向けてリハビリに励む毎日です。

 2015年3月の板橋Cityマラソンを3時間34分9秒で完走した。月刊ランナーズの人気企画「全日本マラソンランキング」71歳の部で6位に入る好記録に、飯間さんはさらに意欲をかき立てた。だが、夏から秋にかけ、走行距離を伸ばしたところで左ひざ裏側に違和感が出てきた。医師の診断は「変形性ひざ関節症の疑い」。以後、フルは封印し、地道な走り込みと筋トレが日課になった。
 週5日は近所の多摩川沿いのサイクリングロードやスポーツジム内の周回コース(1周125メートル)で5~10キロを走る。ジムでは夜に3時間、筋トレやエアロバイク、スイム、ランなどのメニューをみっちり消化。月2回の休館日を除き、「ほぼ毎日」(飯間さん)ジムに通う。
 4年前、ラン仲間と「二子玉川走友会」を立ち上げ、会長に就任。200人近くまで増えた会員からは「走友会に入って仕事以外のつながりができ、人生がより豊かになった」といった声が届き、大きなモチベーションになっている。
 「仲間が前向きだからこそ、トップの私も頑張って生涯現役の率先垂範をしていきたい。旗を振るだけでは迫力ないから、必ずフルに復帰しないとね」と飯間会長。ランや筋トレ後、20分以内に適量のプロテインと糖質(きな粉、粉ミルク、すりゴマなど)を補給し、食事は野菜を多めにして鳥胸肉を取ったりとバランスに気を配る。
 昨年10月にはNHKのランニング番組「ラン×スマ」に、ひざを故障したモデルランナーとして出演。番組で講師を務める金哲彦さんから「身長(160センチ)のわりにストライドが大きく、前傾が不十分。ひざに負担のかからないピッチ走法に変えましょう」と指摘され、歩幅の小さいフォームに変えた。
 金さんからは①故障防止のため、股関節と足首、肩甲骨の可動域を広げるストレッチ②臀筋(でんきん)を利用した前傾姿勢と丹田(たんでん)を意識した腰高走なども勧められ、ずっと実践している。「フルの花道」に戻るため、よいと思ったことは積極的に取り入れてきた。
 「2年前と同じ板橋に出ます。結果を出してランキングの10位以内を目指したい」。70代のアスリートに老け込む様子はない。
 ◆飯間 勝(いいま・まさる)1944年2月2日、香川・高松市生まれ。50歳から走り始め、フルベストは3時間13分(2003年11月、大田原)。160センチ、50キロ。血液型O。

 写真=多摩川の近くを走る飯間さん

 「隣のレジェンド」は毎週金曜日に掲載します

2017年9月 8日 (金)

隣のレジェンド サブ3.5継続

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 「隣のレジェンド」第2回は松浦高明さん(65)=石川・白山市=。40代後半に糖尿病を発症して走り始め、約18キロもの減量に成功しました。現在はサブ3.5の継続、ウルトラ100キロのサブ10達成が目標です。

 4か月の米国出張から帰ると、72キロの体重は80.5キロまで増えていた。健康診断では血糖値が異常に高く、糖尿病と診断された。食事療法と運動を勧められ、49歳でウォーキングを始めた。
 その後、「歩きがじれったくなって」ジョギング開始。52歳で初レースの10キロを48分26秒で、56歳で初フルの加賀温泉郷マラソンを4時間29分21秒で、60歳で初ウルトラの東京・柴又100キロを11時間11分21秒で完走した。「ウルトラはきつい。もういいや」と感じたが、年代別で6位に入って欲が出てきた。
 50代の時、1年に1回だけだったフルは、60歳の定年以降は年5~6回に。月間走行距離も300キロまで増え、体重は62キロまで落ちた。一方、腰やひざの故障が多くなり、ランニング専門誌などを読んで走り方も研究。「衝撃が大きいかかと着地が故障の原因と知り、アフリカ選手のようなフォアフットを意識し、土踏まず付近で着地するようにしたらスピードが出てきた」という。
 その実感通り、3年前からベスト記録を連発。2014年、10キロが43分26秒、ハーフが1時間35分14秒に。フルは15年の別府大分で3時間22分48秒、100キロは16年のサロマ湖で10時間13分41秒をマークした。
 「定年までは仕事と家庭が中心。定年後、第2の人生となって、自分が今やりたいことは何なのかと考えたら、答えはマラソンだった。精一杯、悔いの残らないようにやりとげたいから、もう少しタイムにこだわっていきたい」
 現在、週4~5日は働き、その合間にトレーニングに励む。平日朝は10~15キロ、週末は20~25キロのジョギング。火曜と木曜夜間は所属するHAKUSANクラブのトラック練習に参加し、スポーツジムで週1~2回、マシンを使った筋トレ。週1回は休みで、雨天の日も無理せず休養にあてている。
 体の固さを考慮し、起床時と走る前後のストレッチは欠かさない。糖尿病のため、食事は野菜を多めにして食べ過ぎに気をつける。
 「スピードの向上は難しいけど、イーブンで走ることが目標。結果としてサブ3.5と(月刊ランナーズの)マラソンランキング100位以内をキープできればと願ってます」
 10月はいわて北上と金沢、11月は神戸、12月はホノルル。松浦さんの2017シーズンが、いよいよ幕を開ける。
 ◆松浦 高明(まつうら・たかあき)1952年8月17日、岐阜・羽島市生まれ。フルは32回出場。180センチ、62キロ。血液型O

 写真=駅伝大会で激走する松浦さん

2017年9月 1日 (金)

隣のレジェンド 恩師の励まし

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 年を重ねてもレースに出場する元気なランナーを紹介する新連載「隣のレジェンド」を、今週から毎週金曜日に掲載します。同名の企画は2015年末から翌16年2月まで掲載しており、今回はその第2弾。第1回は昨年からマスターズ陸上への挑戦を始めた寺地弘志さん(74)=奈良・生駒郡=が登場します。

 中学校時代から、ずっと走り続けてきた寺地さん。73歳になった昨年から、マスターズ陸上に参戦している。
 今年4月の奈良県大会は、5000メートルを23分41秒で走り、M70クラス(70~74歳)を制した。「トラックは本当に緊張する。若い人と同時スタートだから周回遅れになる。昔はよっぽどのことがないと周回遅れにはならず、違和感が大きかった。でも、75歳になったら近畿大会に挑戦したいな」という。
 岡山県西部の井原市で生まれ育った。中学はバレーボール部ながら、校内マラソン大会で活躍。3年時には優勝し、高校は隣県・広島の陸上競技の名門校に進学した。1年終了時には同期16人中4番手まで成長したが、2年になると突然、スランプに。思い悩み、退部覚悟で監督の教師に相談すると「調子が悪くても、いつも後ろを走っているやつらより速いじゃないか」と諭された。その一方、「走ることはいつでもできる。今はマネジャーをやってみないか」と思わぬ誘いを受けた。考え抜いた結果、2、3年はマネジャー業に専念。それが大きな転機となり支えとなった。
 高校卒業後、大阪でサラリーマン生活が始まり、仕事の合間に走り込んだ。1964年の東京五輪後の不景気に見舞われ勤務先の会社が倒産、会社更生法に基づく再建、自身の結婚と環境はめまぐるしく変わったが、走ることは辞めなかった。そんな中、寝屋川市民マラソン大会で優勝し、「まだいける、頑張ろう」と前向きになれた。
 奈良県に転居後は、地元のラン仲間と王寺ランナーズクラブ(RC)を立ち上げ。同クラブは今年1月で創立37周年を迎え、関西屈指の「老舗」となった。フルマラソンは100回近く完走し、リタイアは1度もない。還暦祝いに出場した長野マラソンは3時間16分23秒の好記録をマークし、60歳以上の部で6位入賞を果たした。
 「高校の陸上部でマネジャーになって全体を見ることを学んだ。大きいことから細かいことまでを見渡し、それが仕事やランに生かせてる。辞めようとした私を踏みとどまらせてくれた恩師には『何事もあきらめるな、人生を頑張って生きていけ』というメッセージをもらいました」
 会社を定年退職後は職業訓練所で6か月、木工技術を研修し、奈良県内の工務店に再就職。現在は月曜から金曜まで働き、日曜は子ども向けの木工教室で講師を務めている。
 「今も忙しく、月間走行距離は100キロぐらい。それでも週2回はクラブの定例会に行って、楽しく会話しながら走ってます。衰えはあるけど、高校の時に十分できなかったトラック競技に打ち込める喜びが大きいなあ」。70代中盤、寺地さんのランニングライフが輝きを増している。
 ◆寺地 弘志(てらち・ひろし)1943年4月2日、岡山・井原市生まれ。フルのベスト記録は3時間9分(98年、山陽)。167センチ、54キロ。血液型A。
 写真=今年8月、王寺RC主催の2時間走に参加した寺地さん(右)

2016年11月25日 (金)

壽屋・稲田 たった1人の闘い

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 順大時代に箱根駅伝に3回出場した稲田翔威(22)=壽屋(コトブキヤ)=が、23日に開催された大田原マラソンを2時間28分26秒で走り5位入賞を果たしました。今年6月に実業団登録した同社陸上部で「コーチのいないたった1人の部員」として活動する異色のトップランナーです。

 この日の大田原は、午前10時のスタート時の気温が10.5度。風速は8.7メートルを記録し、体感温度は10度以下の「冬日」に。厳しい向かい風の中、稲田は第2集団でじっと耐えていましたが、30キロ過ぎからの駆け引きに対応できずに後退。2時間20分前後を目標タイムとしていただけに、悔しい結果に終わりました。
 「集団の中での立ち位置が悪かった。優勝した郡司さんは私と同じ第2グループでしたが、無駄な動きをせずに力を蓄え後半になってパッと飛び出していった。自分に足りないこと、今後の課題が分かったレースでした」。箱根駅伝で切磋琢磨してきた選手らしく、ゴール後はまず反省点を口にしてました。
 中学生の時からアニメ好きでフィギュアなどの関連グッズを収集していたことで大手ホビーメーカー・壽屋と縁ができ、今年4月に「宣伝ランナー」として入社。現在は秋葉原店で午前9時から午後5時まで業務をこなし、夜は皇居の周回コース(1周約5キロ)3周が平日の練習パターンになってます。
 初フルは順大在学中の今年2月の別府大分で2時間28分13秒。2度目は8月の北海道で2時間28分14秒。社会人になって環境が大きく変わったこともあり、満足できる結果は残せてません。それでも稲田は「大田原は悪条件の中、過去2回と同レベルの記録を出せた。1人の練習の精度をアップして次回はベストを狙います」と先を見すえてます。
 大田原には茨城県から両親も駆けつけ沿道で応援。「来年はよい成績を出して家族や会社に恩返ししたい」。22歳の若者は意欲にあふれてました。
 写真=ゴール後、壽屋のキャラクター「ウドラ」と健闘をたたえ合う稲田

2016年11月17日 (木)

ウルトラ命 「5LAKES」4連覇

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 「ウルトラ命」最終回は、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの「FUJI5LAKES」女子の部を4連覇した実績をもつ廣澤志保さん(42)=横浜市=。メジャーリーガー・イチロー並みの「ルーチン」にこだわった練習を続け、トップならではのプレッシャーと闘ってきました。

 チャレンジ富士五湖は2012年に初出場。エントリーする時、所属クラブ「品川走遊会」の先輩から「100キロも112キロの『5LAKES』もあまり参加費が変わらない。どうせなら長い距離に出ようよ」と言われた。「へ~、そうなんだ」と迷わず申し込んだら、みんな100キロで112キロは私だけ。「出る出る詐欺」にあったおかげで、今のキャリアがあるわけです(笑い)。
 レース当日は「完走できればいいや」と気楽にスタート。ずっと3位をキープして、最後の方で「女子で1位だよ」と告げられてビックリ。そのまま10時間12分で初優勝しちゃった。
 翌13年は10時間27分、14年は9時間55分で112キロを3連覇。118キロに延びた15年も11時間4分で制して「5LAKES」4連覇。うれしい反面、年々、プレッシャーがきつくなって、大会1か月前から「あと何日?」と気が重かった。いつも、だれかに追いかけられているみたいでした。
 今年の118キロは10時間36分で3位。「残念だったね」と言われますが、実はホッとしてさわやかな感じ。タイムも一番よくて「よくやった自分」とほめてあげたい。まあ、後半になってもペースが落ちてなかったから、「あと50キロあったら(1、2位を)抜かせてたかも」と少し悔しがってます。
 ふだんの練習は体調を崩すのが怖いので、イチローさんみたいな「ルーチン」を大切にしてます。月曜から金曜までは毎朝、都内の職場近くのスポーツジムに直行。仕事前に1時間、トレッドミルを約13キロに設定して走ってます。朝4時半起きの生活を6年続けてますが、すっかり慣れました。夜は月に数回、横浜市の自宅まで約30キロの帰宅ランやスイム。これは回数を決めず、気の向くままにやってます。
 フルやハーフはトイレが混んでイライラし、記録重視だから緊張感がある。でもウルトラは穏やかにスタートし、おしゃべりもできる。ゆる~いところが私に合ってました。今後は12月に24時間走、来年3月は小江戸大江戸の200キロ、4月はさくら道国際ネイチャーランの250キロに出場予定。今までと違うことに少しずつチャレンジしていきます。(終わり)
 ◆廣澤 志保(ひろさわ・しほ)1973年12月23日、埼玉県生まれ。ベスト記録はフルが3時間10分18秒(2014年1月、勝田)、100キロが9時間5分27秒(13年6月、サロマ湖)=いずれもネット=。156センチ、53キロ。血液型A。
 写真=今年5月の「Wings for Life World Run」(滋賀・高島市)に参加した廣澤さん

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