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ランナー

2016年11月25日 (金)

壽屋・稲田 たった1人の闘い

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 順大時代に箱根駅伝に3回出場した稲田翔威(22)=壽屋(コトブキヤ)=が、23日に開催された大田原マラソンを2時間28分26秒で走り5位入賞を果たしました。今年6月に実業団登録した同社陸上部で「コーチのいないたった1人の部員」として活動する異色のトップランナーです。

 この日の大田原は、午前10時のスタート時の気温が10.5度。風速は8.7メートルを記録し、体感温度は10度以下の「冬日」に。厳しい向かい風の中、稲田は第2集団でじっと耐えていましたが、30キロ過ぎからの駆け引きに対応できずに後退。2時間20分前後を目標タイムとしていただけに、悔しい結果に終わりました。
 「集団の中での立ち位置が悪かった。優勝した郡司さんは私と同じ第2グループでしたが、無駄な動きをせずに力を蓄え後半になってパッと飛び出していった。自分に足りないこと、今後の課題が分かったレースでした」。箱根駅伝で切磋琢磨してきた選手らしく、ゴール後はまず反省点を口にしてました。
 中学生の時からアニメ好きでフィギュアなどの関連グッズを収集していたことで大手ホビーメーカー・壽屋と縁ができ、今年4月に「宣伝ランナー」として入社。現在は秋葉原店で午前9時から午後5時まで業務をこなし、夜は皇居の周回コース(1周約5キロ)3周が平日の練習パターンになってます。
 初フルは順大在学中の今年2月の別府大分で2時間28分13秒。2度目は8月の北海道で2時間28分14秒。社会人になって環境が大きく変わったこともあり、満足できる結果は残せてません。それでも稲田は「大田原は悪条件の中、過去2回と同レベルの記録を出せた。1人の練習の精度をアップして次回はベストを狙います」と先を見すえてます。
 大田原には茨城県から両親も駆けつけ沿道で応援。「来年はよい成績を出して家族や会社に恩返ししたい」。22歳の若者は意欲にあふれてました。
 写真=ゴール後、壽屋のキャラクター「ウドラ」と健闘をたたえ合う稲田

2016年11月17日 (木)

ウルトラ命 「5LAKES」4連覇

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 「ウルトラ命」最終回は、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンの「FUJI5LAKES」女子の部を4連覇した実績をもつ廣澤志保さん(42)=横浜市=。メジャーリーガー・イチロー並みの「ルーチン」にこだわった練習を続け、トップならではのプレッシャーと闘ってきました。

 チャレンジ富士五湖は2012年に初出場。エントリーする時、所属クラブ「品川走遊会」の先輩から「100キロも112キロの『5LAKES』もあまり参加費が変わらない。どうせなら長い距離に出ようよ」と言われた。「へ~、そうなんだ」と迷わず申し込んだら、みんな100キロで112キロは私だけ。「出る出る詐欺」にあったおかげで、今のキャリアがあるわけです(笑い)。
 レース当日は「完走できればいいや」と気楽にスタート。ずっと3位をキープして、最後の方で「女子で1位だよ」と告げられてビックリ。そのまま10時間12分で初優勝しちゃった。
 翌13年は10時間27分、14年は9時間55分で112キロを3連覇。118キロに延びた15年も11時間4分で制して「5LAKES」4連覇。うれしい反面、年々、プレッシャーがきつくなって、大会1か月前から「あと何日?」と気が重かった。いつも、だれかに追いかけられているみたいでした。
 今年の118キロは10時間36分で3位。「残念だったね」と言われますが、実はホッとしてさわやかな感じ。タイムも一番よくて「よくやった自分」とほめてあげたい。まあ、後半になってもペースが落ちてなかったから、「あと50キロあったら(1、2位を)抜かせてたかも」と少し悔しがってます。
 ふだんの練習は体調を崩すのが怖いので、イチローさんみたいな「ルーチン」を大切にしてます。月曜から金曜までは毎朝、都内の職場近くのスポーツジムに直行。仕事前に1時間、トレッドミルを約13キロに設定して走ってます。朝4時半起きの生活を6年続けてますが、すっかり慣れました。夜は月に数回、横浜市の自宅まで約30キロの帰宅ランやスイム。これは回数を決めず、気の向くままにやってます。
 フルやハーフはトイレが混んでイライラし、記録重視だから緊張感がある。でもウルトラは穏やかにスタートし、おしゃべりもできる。ゆる~いところが私に合ってました。今後は12月に24時間走、来年3月は小江戸大江戸の200キロ、4月はさくら道国際ネイチャーランの250キロに出場予定。今までと違うことに少しずつチャレンジしていきます。(終わり)
 ◆廣澤 志保(ひろさわ・しほ)1973年12月23日、埼玉県生まれ。ベスト記録はフルが3時間10分18秒(2014年1月、勝田)、100キロが9時間5分27秒(13年6月、サロマ湖)=いずれもネット=。156センチ、53キロ。血液型A。
 写真=今年5月の「Wings for Life World Run」(滋賀・高島市)に参加した廣澤さん

2016年11月11日 (金)

ウルトラ命 2年連続お遍路さん

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 「ウルトラ命」第14回は、お遍路さんスタイルで2年連続、柴又100Kを完走した曽根文男さん(52)=東京都=。昨年はランニングシューズ着用で10時間56分12秒でしたが、今年は「挑戦したい」とシューズ代わりに足袋を履き12時間19分21秒で走り切りました。

 6月の柴又100Kを、お遍路さんで走るのは暑くて大変。昨年はつらくて歩いてしまい、今年は「エイド以外は立ち止まらない」ことを目標にした。さらに大きな達成感を得ようと、足袋姿の「完全お遍路」になって走ることにした。
 でも、これが予想以上にきつかった。コース上には砂利道が所々にあって、足裏が痛い。衝撃をまともに吸収してしまい、ふくらはぎにいつもと違う疲労を感じた。去年のタイムより1時間以上遅かったけど、自分にハンデをかけた分、喜びは大きかった。ゴールしたランナーに「去年も(お遍路さんで)いらっしゃいましたよね」「あなたのおかげで完走する勇気をもらえました」と声をかけられ、うれしかった。
 柴又100Kは、ウルトラへのきっかけを作ってくれた大会。所属するEERCの仲間が2013年の第1回大会に出場し、応援に行った。暗くなってヨレヨレになってゴールした仲間は輝いて見え、「僕も出たい」と率直に感動した。
 その後、同年9月の秩父札所めぐりウルトラマラソン(84キロ)に応募。4年に1度開催されるその大会が初ウルトラで、7時間52分36秒で完走できた。7、8月は300~400キロの走り込み。本番は42キロ地点を3時間半を切るペースで通過するほど突っ込んだものの、11位と好結果だった。ちなみに秩父札所めぐりの参加賞がお遍路さんの白衣。ふだんは着る機会のないものだから、柴又100Kでしっかり着用させてもらった。
 翌14年4月には、チャレンジ富士五湖100キロに出場。当時、EERCのメンバーが座骨神経痛を患っていて、「修験の行」と称して富士山に友の回復を祈願しながら走った。「9時間30分を切れれば友は復活できる」と勝手な? 願も懸けた結果、9時間20分39秒で走れた。
 私にとってのランニングは遊びの延長。ただ、前にある苦しみが大きいほど、後からくる喜びも大きなものになる。苦しい時こそ、目標を立てて存分に楽しみたい。50代中盤を迎える今だから、記録以外のことに挑戦していくことで生活にハリが出てくると思う。
 ◆曽根 文男(そね・ふみお)1964年9月22日、静岡県生まれ。ベスト記録はフルが2時間57分16秒(2014年3月、板橋シティ)、100キロが9時間20分39秒(14年4月、チャレンジ富士五湖)。163センチ、53キロ。血液型O。
 写真=今年6月の柴又100Kでお遍路さんに仮装した曽根さん

 次回「ウルトラ命」は18日

2016年11月 4日 (金)

ウルトラ命 決意の15キロ減量

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 「ウルトラ命」第13回は、今年5月の日本横断「川の道」520kmフットレースを128時間49分56秒で完走した大竹祐人さん(37)=東京都=。2年前の同大会リタイアを機に一念発起し、15キロの減量に成功しました。
 
 私が所属する千代田走友会には100キロ超の大会に参加する先輩が多く、「やってみたい」という思いがつのった。2年前の「川の道」255kmに出場し、結果は102キロでリタイア。寒さと足裏の痛みで心が折れた自分の弱さが悔しくて涙がこぼれた。
 当時は身長176.5センチで体重83キロ。1年間、走り込んで80キロまで落として「川の道」255kmに再挑戦した。意地もあって何とかゴールできたが、体はまだ重い。その年の9月、雁坂峠越え秩父往還145kmの出場が決まっていたので、8月から食事制限に入った。
 ご飯、麺類、パン、甘い物などの糖質をすべてカット。お酒もカロリーの高いビールや日本酒、ワインは避けて焼酎とウィスキーに変えた。おかずだけのメニューにイライラしたが、2週間後には体も慣れて体重も一気に減少。雁坂峠越えの時は73キロまで落ち、24時間14分54秒でフィニッシュ。ひざ痛もなく、マメもできずに楽に走れた。ダイエットは10月まで続け、体重は15キロ減の68キロになった。
 今年3月の小江戸大江戸200kmは150キロでリタイア。でも、5月の「川の道」520km、7月のみちのく津軽ジャーニーラン200km、9月の佐渡島一周エコ・ジャーニーウルトラ遠足208kmは完走できた。ロングランを重ねて分かったことは、脚の痛みは走り続けているうちに回復するということ。自分と向き合い「ゴールするんだ」という強い気持ちがあれば、願いは必ずかなう。
 ただ、夜通し走るレースの眠さとの闘いは、ハートだけでは勝てない。私の場合は月1回、終電に乗って青梅市まで行き、午前1時から7時ごろまで、自宅のある市ヶ谷までの約50キロを走る「深夜ラン」で鍛えてきた。
 100キロ以上のウルトラは確かにつらい。いつも「何でこんなことをしてるんだ」と思うけど、達成感や感動はフルをはるかにしのぐ。神社のお地蔵さんを見つけたり、大会を盛り上げようと頑張る地域の人たちとの触れ合いは、足で回ったからこそ体験できるもの。大会に集ったランナーには一体感も生まれる。走るレースが増えれば増えるほど、楽しみや魅力が広がっていくんだなあ。
 ◆大竹 祐人(おおたけ・ゆうと)1979年6月26日、北海道旭川市生まれ。ベスト記録はフルが3時間54分28秒(2016年2月、東京)、100キロが12時間17分50秒(14年10月、えちご・くびき野=いずれもネット)。176.5センチ、68キロ。血液型A。
 写真=今年5月の「川の道」、ゴール目前の歓喜のショット

 次回「ウルトラ命」は11日

2016年10月28日 (金)

ウルトラ命 出会いを大切に

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 「ウルトラ命」第12回は、大会での出会いを大切にする田中弘子さん(61)=奈良県=。前夜祭やエイドでのおしゃべり、地元の方との交流を何よりも楽しんできました。

 2004年、王寺ランナーズクラブに入会し、「ウルトラの母」と呼ばれる8歳年上の先輩と知り合った。各地の大会に参加してきたベテランから「一緒に行こうよ」と誘われ、08年の四万十川ウルトラマラソンに出場した。
 20キロまでは好調だったのに、中盤から右ひざが痛くなった。「母」から「みんな、足が痛いんだよ。関門にかかるまで走ろう」と携帯電話で励まされたけど、痛みがひかず80キロでリタイア。厳しい「母」に「ダメだった所は必ず完走してリベンジしないとあかん」と言われ、11年の四万十川は13時間55分1秒でゴールできた。
 そんな普通のおばさんが走り始めて17年。ウルトラ歴は8年で、大会出場数は今月のえちご・くびき野100キロマラソンで28回になった。
 14年の村岡ダブルフルウルトラランニングでは、素晴らしい景色を見つけたものの携帯電話を持参してなかった。携帯で写真を撮っていた男性に「その写真を送ってもらえませんか」と図々しく頼み、アドレスを伝えた。翌年も村岡に参加すると、その男性から「田中さんですよね」と声をかけられてビックリ。思わぬ再会と写真のお礼が言えてうれしかった。
 今年6月の隠岐の島ウルトラマラソンでは、応援メッセージをくれた女の子とお父さんが55キロ付近で待っていてくれた。「オレンジのユニホームで走ります」と伝えていたので、「田中さんですか」と声をかけてもらった。3人でおしゃべりしたのは1分弱だけど、私は人と接することが大好き。大会での1回限りの出会いであっても大切にしたいと思う。
 来年は秘かな目標がある。4月の奥出雲ウルトラおろち100キロ遠足、5月のえびす・だいこく100キロマラソン、6月の隠岐の島を制限時間内に完走できれば「島根ウルトラの神」として島根県知事から表彰され、副賞の特産品ももらえるという。隠岐の島はこれまで7回走って5回完走。7回完走すれば「レインボーメダルホルダー」として表彰される。励みになる1年になりそうだ。
 島根には「母」も同行。おばさん2人がワイワイやりながら、見知らぬ人たちとのステキな瞬間を期待したい。私は「王寺RC」とプリントされたオレンジのユニホームで走る。見かけたら声をかけて下さいね。
 ◆田中 弘子(たなか・ひろこ)1955年5月4日、熊本県生まれ。ベスト記録はフルが4時間4分15秒(2012年2月、泉州国際)、100キロが12時間48分12秒(09年6月、サロマ湖)。161センチ、54キロ。血液型B。
 写真=9月の高野龍神スカイラインウルトラマラソンに出場した田中さん

 次回「ウルトラ命」は11月4日

2016年10月21日 (金)

ウルトラ命 夫婦でトレイル参戦

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 「ウルトラ命」第11回は8月のUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン、フランス)を完走した計良光昭(57)、千里(54)夫妻=札幌市=。ここ数年、旅行を兼ねて国内外のトレイルに積極的に参加しています。

 夫 フルを何度か走り、月刊ランナーズで読んだ100キロの記事に興味をもち、2004年からサロマ湖100キロに出場。10年連続完走してサロマンブルーになった。この間、スパルタスロン(ギリシア、246キロ)にも4回出て3回完走できました。
 妻 私は当初、主人の応援専門でしたが、「ゴールでじっと待っているのはもったいない」と思って走り始めた。スパルタスロンは昨年、初出場。160キロでリタイアしましたが、半年たって悔しい気持ちがわいてきて、スローテンポな自分にあきれてます。
 夫 数年前、テレビでUTMBのことを知った。「山の上を走るレースも面白そうだな」と感じ、ウルトラトレイルに2人で参加するようになった。今年3月はトランスグランカナリア(スペイン、125キロ)、8月はUTMB(169.4キロ=夫、CCC101.1キロ=妻)と海外の大会に出場。そろって完走できてうれしかった。
 妻 大きなレースはポイントが必要なので、近くの山に登ってそこそこ練習してます。札幌市内の藻岩山、砥石山、手稲山などに行って1~2回、山頂までを往復。もちろん、クマ除けのための鈴はぶら下げてますよ。
 夫 来月は沖縄本島1周サバイバルラン(400キロ、制限時間72時間)に4年連続出場。厳しく長い冬を過ごす北海道民は南国の生活に憧れる人が多く、私たちもその1人。あのまったりとした空気、時間の流れが気に入ってます。
 妻 ただ、30分前後の仮眠を数回取ってゴールを目指す過酷なレースですから、夜通し走るトレーニングは欠かせません。昼過ぎに自宅を出て翌朝までのロングランが恒例になって、リュックにお風呂道具と着替えを詰め込み滝川や小樽方面に向かいます。
 夫 今後は未知の大会にどんどん出たい。景色や食べ物など、1回で3つぐらい「おいしいもの」が欲しい。要は旅行で、走りオンリーではないですね。
 妻 ゆっくり自分の足で回って、その土地をじっくり眺めたい。200キロや400キロの道中を走りながら、あるいはレース後、長旅の話題を夫婦で共有できることもウルトラの魅力。「ランナー」というより「走るおばさん」として、故障せず長く楽しみたいです。
 ◆計良 光昭(けいら・みつあき)1959年3月20日、北海道函館市生まれ。ベスト記録はフルが3時間42分3秒(2012年9月、シドニー)、100キロが10時間13分42秒(12年6月、サロマ湖)。URC(ウルトラ・ランナーズ・クラブ)所属。167センチ、63キロ。血液型A。
 ◆計良 千里(けいら・ちさと)1962年4月6日、北海道生まれ。ベスト記録はフルが3時間50分4秒(13年5月、洞爺湖)、100キロが11時間3分39秒(13年6月、サロマ湖)。URC所属。154センチ、42キロ。血液型O。
 写真=8月のUTMBに参加した計良夫妻

 次回「ウルトラ命」は28日

2016年10月13日 (木)

ウルトラ命 生き返る喜び

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 「ウルトラ命」第10回は66歳からウルトラマラソン挑戦を始めた伊藤喜一郎さん(71)=千葉・柏市=。毎年1レース出場とし、今年4月のチャレンジ富士五湖71キロの部を9時間27分52秒で走って男子70歳代で3位入賞を果たしました。

 私が所属するウィングAC(アスリート・クラブ)の仲間たちは毎春、チャレンジ富士五湖に参加。彼らは「上りが厳しかった」などと言いながら、「楽しかった」というオーラが体中からあふれていた。「いつか私も」という思いがこうじ、2011年の100キロの部に初出場。13時間42分14秒で完走できた。
 以後、毎年1回限定でウルトラに参加。チャレンジ富士五湖5回、しまなみ海道1回の計6回、ロングランを楽しんだ。年配の私から見たウルトラの魅力を3点、紹介したい。
 魅力その1 100キロは完走するだけで勲章もの。自信になって周囲のランナーたちからも認知される。時間内完走が目標ならエイドを十分、楽しめる。エイドが充実した大会はウルトラならではのものだ。
 魅力その2 レース中は何度も「もうダメ」という状態になる。じっと我慢して走っていると脚が回復してきて生き返ることができる。「こんなに頑張れる力があったんだ」という喜びも実感できるはず。
 魅力その3 前方のランナーの様子が突然、苦しそうになると「あ、死んだ」。心の中で「頑張れ、復活しろよ」と応援して追い越す。しばらくしてそのランナーが私を追い抜いていく時は「生き返った、よかったね」と祝福。頑張る姿を見てエネルギーをもらい、無言で励まし合える。60代、70代のベテランが完走できるのは、こうした精神的な意識ずけが上手くできた時のような気がする。
 70歳で迎えた昨年のチャレンジ富士五湖は、71キロを9時間50分40秒で年代別4位。71歳の今年はそれ以上の記録を狙って最初から突っ込み、35キロあたりからヘロヘロになった。結果は9時間27分52秒で去年のタイムを約23分短縮し、年代別3位入賞。私同様、すれ違う仲間たちが苦しそうだったので、「我慢、我慢。きっと生き返る」と祈り続けた。
 60代中盤からウルトラを始めた私が今なお走り続けられるのは、ウィングACで多様な練習を積めたおかげ。今後は練習のロング走で最後尾を走る初心者のサポート役などを務め、クラブに恩返ししたい。充実したランニング人生に向け、もっともっと頑張っていこうと思っている。
 ◆伊藤 喜一郎(いとう・きいちろう)1945年4月6日、東京都生まれ。ベスト記録はフルが3時間51分00秒(2010年、勝田=ネット)、100キロが13時間42分14秒(11年、チャレンジ富士五湖)。170センチ、60キロ。血液型B。
 写真=ウィングACの練習会で手賀沼周辺を走る伊藤さん(前列右、白いシャツの男性)

 次回「ウルトラ命」は21日

2016年10月 7日 (金)

ウルトラ命 壱岐は超ハード

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 「ウルトラ命」第9回は2日の壱岐ウルトラマラソン(長崎・壱岐市)100キロを13時間44分6秒で完走した下岡隆治さん(48)=福岡・北九州市=。壱岐島で開催された第1回大会は100キロと50キロの部の平均完走率が約50%と超ハードなレースだったようです。

 大会前日、北九州市の自宅から約3時間かけ、初めて壱岐島に入った。記念の第1回大会で、玄界灘に浮かぶ未知の島を自分の足で巡ってみようと参加。前夜祭は盛大で美味しいイベントだった。
 近海で獲れた重さ70キロのマグロの解体ショーに、まずビックリ。前日に生ものを食べることは御法度だけど、迷わず口にした。壱岐牛のバーベキューも最高。壱岐は麦焼酎の発祥の地とされ、名産をグイグイやってる方が目立った。前夜祭の参加費はエントリー費に含まれていて、出場した555人の多くが楽しんでいた。
 当日は快晴。エメラルドグリーンの海を見ながら走るレースに心も浮き立った。だが、そんなルンルン気分は前半から吹き飛んだ。
 アップダウンがやたらに多い。島の最高標点は213メートルだが、小高い所に向かう上りと下りが計15か所あって、選手間では「累積標高は1400メートルらしい」と言われていた。素晴らしい景色を眺める余裕があったのは18.5キロ地点の猿岩まで。気温が27度まで上がるカンカン照りで湿度も高い。下を向いて歩くランナーが次第に増えてきた。
 私のウルトラ歴は四万十川(2回)、しまなみ海道、周防大島、壱岐の計5回。コースの過酷さを比較すると、今回の壱岐が一番だろう。80キロ以降は初めて関門に追われる展開になり、疲労はピークなのにラップタイムは上がった。最終盤では「だれがこんなコースを考えたんだ」とブツブツ。エイドは前夜祭と比べるとパンチ不足で食べ物が少なかった。
 翌日、走ったルートをレンタカーでたどった。猿岩はやはり印象深く、海岸線の美しさに何度も見とれた。「昨日は苦しくて、きれいな風景も心に残らなかったんだ」と実感。沿道には応援する人が多く初回にしては盛り上がっていたものの、経験値の少ないランナーには厳しい大会だと思った。
 フルマラソンの2倍強を走るウルトラ100キロは確かにつらい。でも、完走後の達成感や感動は2倍強どころか5倍ぐらいはある。今回は何度も現れる起伏がスパイスになって、ゴールの喜びに花を添えてくれた。きつかった分、ビールの味は格別だった。
 ◆下岡 隆治(しもおか・たかはる)1968年6月21日、北九州市生まれ。ベスト記録(ネット)はフルが3時間49分24秒(2014年、北九州)、100キロが12時間10分59秒(13年、四万十川)。177センチ、78キロ。血液型A。
 写真=猿岩の前でポーズを取る下岡さん

 次回「ウルトラ命」は14日

2016年9月30日 (金)

ウルトラ命 しびれた「西の村岡」

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 「ウルトラ命」第8回は25日に開催された村岡ダブルフルウルトラランニング(兵庫・香美町)を11時間12分48秒で完走し、50歳代1位(女子総合7位)となった浅田美有紀さん(51)=大阪府=。5月のえびす・だいこく100キロマラソン(島根・松江市、出雲市など)を9時間27分33秒で走り女子総合2位に入った実力者も、村岡のアップダウンには苦戦したようです。

 「西の村岡、東の野辺山」。起伏の激しいウルトラ大会を比べる際、こんな表現をよく聞きます。関西に住む私もこのフレーズが気になっていて、100キロ7戦目は村岡を選択。秘かに「歩かず走り切ろう」と思ってましたが、44.5キロ地点の第12エイドを出たとたんに、あっさり走る気力を奪われました。
 目の前に想像を絶する急坂。頂上が見えていれば頑張れるけど、それが見えない。コース図では標高270メートルから蘇武岳の1060メートル地点まで上りが続く。標高差790メートルを約7キロも駆け上ることは「無理」と悟った。周りを見ると、みんながうなだれたまま、映画のゾンビみたいに黙って坂道を歩いていた。
 ただ、その一方でエイドが充実していることも村岡の魅力。私もラン仲間から「いっぱい食べておいで」と言われてました。
 今回、口にした食べ物はソーメン、ピザ、おすし、お好み焼き、カレーライス。果物もナシ、リンゴ、ブドウが美味しかった。印象的だったのは75キロ付近の長楽寺の境内でいただいたおはぎ。お寺の中がコースになっていて、そこの私設エイドに和菓子とお茶が並んでいてビックリしました。
 私の初ウルトラは2012年5月の水都大阪100キロウルトラマラニック。記録は13時間56分31秒で、レース後は足と股関節が痛くて一歩も動けなくなった。フルのシーズンオフに何か挑戦するものを探してる時、ウルトラを友人に紹介されたものの結果は最悪。それが回数を重ねて歩く時間が減り、自分の成長を実感できました。
 地方の大会は応援やおもてなしが温かく、元気をもらえるから大好き。隠岐の島のゴールでは「大阪の浅田さん」と名前をアナウンスしてもらった。その隠岐の島とえびす・だいこくでは、海が見えてテンションが上がりました。今回の村岡ではおじいちゃんとおばあちゃんの声援に勇気ずけられ、夜明けの峠や田園風景も素晴らしかった。
 今秋から来春までに出場する大会は、大阪、岡山、神戸、防府、東京、名古屋ウィメンズとフルばかり。東京に初めて当選したので、モチベーションも上がってきてます。100キロで蓄えたパワーを生かしたいな、と思ってます。
 ◆浅田 美有紀(あさだ・みゆき)1965年9月27日、大阪府生まれ。自己ベストはフルが3時間13分00秒(2016年2月、別府大分)、100キロが9時間27分33秒(同年5月、えびす・だいこく)。枚方緑風会所属。158センチ、51キロ。血液型A。
 写真=村岡の39キロ地点・第10エイドで流しソーメンを楽しむ浅田さん

 次回「ウルトラ命」は10月7日

2016年9月23日 (金)

ウルトラ命 バックパッカーの感覚

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 「ウルトラ命」第7回は学生時代に夢中になったバックパッカーのように、自分の足を使った旅ランとして大会を楽しむ亀田陽一さん(53)=東京都=。2012年の四万十川ウルトラマラソンに出場後、走るスタイルが変わりました。

 2年続けて出場した別府大分から、フルマラソンで目指すものが見えなくなった。11年は制限時間の1分前、12年は2分前にゴール。「3時間30分以内」という参加資格は私には苦しいばかり。前ばかり見て走って、大分の景色は記憶にない。健康のため、楽しむためという当初の目標が、そこにはなかった。
 この年、四万十川に当選。そこで、やりたかったものを見つけた。ウルトラはそれまで、所属する駒沢公園ジョギングクラブの仲間とチャレンジ富士五湖だけに参加。自宅のある都内から最も近いウルトラなので、高速を飛ばして当日未明に会場入りし、ゴール後は即、地元に戻って打ち上げる「弾丸ツアー」がクラブの恒例行事だった。
 一方、四万十川は前日早めに現地に到着し、鰻、鮎、エビ、ノリなどの「川の幸」を堪能。当日は30代の男性から「ウルトラはエイドに着いたら立ち止まって水を飲み、暑ければコンビニでアイスクリームを買って食べればいい。自分の足で進む走り旅なんですよ」と聞いて妙に納得した。
 四万十川の清流、地元の人たちの応援、美味しい食べ物。その日の新鮮な体験は、学生時代のバックパッカーの感覚と似ていた。アジア、中南米、サハラ砂漠など、100か国以上を旅した時の刺激的な感覚を思い出した。以来、未知の大会に参加し「コース上の景色をすべて見て楽しむ」ことが私流になった。
 ウルトラの走り方は、09年の富士五湖で初ウルトラを迎えた際、クラブの先輩Sさんから聞いた方法を続けている。「50キロまでは1キロ7分で走る。中盤以降は平地と下りを1キロ8分で走り、上りはすべて歩く。制限時間を目いっぱい使うつもりで走れば体力の消耗を防ぎ、月曜日の仕事に支障が出ない」というもので、このスピードだと横を見ても大丈夫。大会をゆっくり楽しむには最適のテクニックなのだ。
 最近は多い時で年6回、平均4回ほど、走ったことのないウルトラを中心に参加。これまで北海道から高知県まで11道府県を訪れた。
 今月18日は歴史街道丹後に初参加。台風に伴う大雨でズブぬれになって72キロ地点でリタイアと、22回目のウルトラで2度目の「途中退場」となった。悔しさはあったものの、翌日は伊根の船屋、元伊勢神社、天橋立、舞鶴引揚記念館を周って帰路についた。
 ◆亀田 陽一(かめだ・よういち)1963年4月25日、栃木県生まれ。ベスト記録はフルが3時間22分9秒(2010年、長野)、100キロが12時間19分42秒(12年、チャレンンジ富士五湖)。168センチ、64キロ、血液型O。
 写真=四万十川の沈下橋を渡る亀田さん(右、15年10月)

 次回「ウルトラ命」は30日

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