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2018年5月 6日 (日)

映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」

 韓国で大ヒットした映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」を新宿で観てきました。1980年5月の光州事件をテーマにした作品。とても楽しみにしていったのですが、期待以上の面白さでした。絶対お勧めです。

 何よりもエンタメ作品としての出来が秀逸なのですが、民間人168人が犠牲になり、鎮圧した側の軍人、警察官も27人が死亡した大騒乱を圧倒的な迫力でリアルに描いています。

 

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  光州事件とはざっくり言えば、民衆運動の拠点となっていた全羅南道光州で、学生・労働者の民主化運動を戒厳軍が武力弾圧し、多数の死傷者が出た事件です。朴正煕(박정희)大統領暗殺後の1979年12月、全斗煥を中心とする軍部が実権を掌握し、非常戒厳令を全国に拡大したことへの市民の反発が発端でした。

  名優、ソン・ガンホが演じる主人公は純朴で人間味あふれるソウルのタクシー運転手。学生デモのとばっちりで商売上がったりだ、と嘆いているところで、光州への潜入取材を試みるドイツ人ジャーナリストを乗せて光州へ向かうことになります。

   政治などまったく関心がなかったタクシー運転手が、この騒乱に巻き込まれてしまうハチャメチャな話。ですが、視点は一貫して民衆の側から描かれており、また弾圧があるところにこそ、報道する者の使命があるということを強く感じさせる作品でした。
 
 まだ当事者がたくさん生きているこの騒乱をエンタメ作品にしてしまうことだけでも、日本との国情の違いを感じさせられます。ただ、現在の文在寅大統領は「今の政権は光州民衆運動の延長線上にある」と宣言していますし、ある意味では作品化の機が熟したと言えるのかもしれません。

http://klockworx-asia.com/taxi-driver/

2018年5月 3日 (木)

「新・冒険論」

 大学の山岳部や探検部に所属した者にとって長年、未踏峰や未踏の地を目指す行動原理の指針となって来たのは、元朝日新聞記者のジャーナリスト・本多勝一氏が書いた「『創造的登山』とは何か」(「山を考える」に所収)や「冒険と日本人」でした。


 1990年代前半に大学山岳部に所属していた私もそうでした。「人の行かないところへ行きたい」という単純ながらも消しがたい願望がなぜわき出てくるのか。そして日本社会ではなぜその行動が叩かれるのか。本多氏のこれらの著書は、これらの疑問に明快な答えを出してくれるもので、読んだ時の感動は30年近くたった今でも忘れられません。

 しかし、本多氏の著作はいまやだいぶ「年代物」になってしまっています。「『創造的登山』とは何か」が書かれたのは63年前の1955年、「冒険と日本人」に収められた文章もほとんどは40年ほど前に書かれたものです。
 山岳部や探検部で過ごした者の多くは、本多氏の冒険論を頭の中を引きずりながらも、結局は大したことができずに壮年期を迎えてしまう…。私もその一人です。

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 早大探検部出身の探検家・ノンフィクション作家の角幡唯介氏の新刊「新・冒険論」(集英社インターナショナル、799円)は、本多氏の冒険論を数十年ぶりに更新した画期的な本です。


 なぜこれほどまでに長い間、更新されなかったのか。それは語りうる人物が、本当の意味での冒険を実践している人物でなくてはいけないのが、まず一点ではないでしょうか。もう一点は、自身の冒険行動の本質を突き詰めようと思考する人物でなくてはならないからだと思います。


 角幡氏は、チベットの未踏部ツァンポー峡谷を単独で踏破し、ヒマラヤで雪男を探索し、北極探検隊全滅の真相を追い、そして極夜の北極を探検し、ノンフィクション作品にして来た人物。言うまでもなく冒険論を語る2つの条件を満たしています。


 現代において地理上の空白地帯を見つけること自体がもはや困難です。角幡氏は現代の探検を脱システム(社会や時代のシステムから脱する行為)だと定義づけています。2016年から17年にかけて行った北極の極夜探検は、まさにその実践に他ならないでしょう。


 角幡氏は、マニュアル化されたエベレスト登山やアドベンチャーレース、「最年少での北極点到達」といった行為を角幡氏は「疑似冒険」と喝破する。それは本書で語られている冒険と照らし合わせれば、納得ができるはずです。
 そして読み終えた後は、人生の中で一つでいいから「脱システム」を成し遂げてみたいという衝動に駆られることでしょう。

2018年4月16日 (月)

武蔵野の面影が消える

 東京・中野区の「平和の森公園」の樹木1万7787本を伐採して体育館などのスポーツ施設建設を進める計画に異議を唱える区民が、田中大輔区長を被告に起こした住民訴訟の第1回口頭弁論が16日、東京地裁で行われました。

 そもそも23区内の中で2番目に緑が少ない中野区。わずかに武蔵野の面影を残す貴重な緑を伐採して、スポーツ施設を作る必要がどこにあるのだろうか。というのが住民の訴えです。

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  中野区立野方小学校(現・平和の森小学校)出身の私は、後に平和の森公園となる中野刑務所の裏山が主な遊び場でした。1983年に刑務所がなくなり、公園が整備されたわけですが、この時点でもだいぶ緑は失われました。そして今回の再開発では数少ない緑にトドメを刺されてしまうことになります。

  私の娘にとっての平和の森公園は大切な遊び場です。私の周辺では、樹木を伐採してのスポーツ施設建設を望む声をまったく聴いたことがないのですが、いったい誰が求めているのでしょうか。そして誰が儲かるのでしょうか。

  公判には113人の市民が集まり、抽選での傍聴となりました。たくさんの方が関心を持っている証拠です。

  口頭弁論で原告の一人根岸志のぶさんは「平和の森公園では、例年のような新緑を楽しむことが出来なくなりました。緑も公園も都内最下位に近い中野区にとって、平和の森公園はかけがえのない宝物です。この区民の財産の管理を怠る中野区の姿勢を、私たちは決して許すことができません。これからの中野の子ども達のためにも、必死の思いを込め訴えるものです」と述べました。

  第2回口頭弁論は6月13日。しかし、裁判の進行よりも開発計画は着々と進められており、緑を守りたい立場としては予断を許さぬ状況です。

2018年3月24日 (土)

ドキュメンタリー映画「獄友」

 
  24日からポレポレ東中野で公開されたドキュメンタリー映画「獄友」(金聖雄監督)を早速観てきました。

 袴田事件の袴田巌さん、布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さん、狭山事件の石川一雄さん。彼らは殺人事件の犯人としてともに青春時代を刑務所で過ごした「獄友」。無罪を勝ち取った4人と今も第3次再審請求中の石川さんとの交流を撮った作品です。

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 彼らは口をそろえて「不運だったけど、不幸ではない」と言います。やってもいない殺人犯で、人生を台無しにさせられたのだとしたら、首をひねってしまう言葉ですが、映画を観て納得できました。彼らが刑務所生活で失ったものは、もちろん計り知れないわけですが、逆に得たものも大きかったのです。...

 まるでタレントのように活発な活動をする桜井さんの姿や、現実と自分の頭の中で築き上げてしまった世界をさまよい続けている袴田さんの姿を見て、目に見えないものへ想像力を働かせることがいかに大切か。改めて考えさせられました。

 菅家さんは釈放されて手記「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版)を出版した2009年にインタビューをさせて頂いたのですが、その頃よりも血色も良く、顔もふっくらされていて、充実した人生を過ごされているんだな、と感じました。

 石川さんのお姿は、取材で東京地裁の前を通るときにいつも拝見します。無罪を勝ち取る戦いはまだ続いているのです。
http://www.gokutomo-movie.com/
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「君たちはどう生きるか」

 漫画版が170万部を超えるベストセラーになっている「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を原作の岩波文庫で読みました。

 この本は大学3年生の時に勧めてくれた知人に頂いたのですが、あまり読む気にならず、ほったらかしにしていました。それから27年。ブームに火が付いているのを機に読んでみたのですが、これはやはり学生のうちに読んでおくべき本でした・・・。

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 この本が刊行されたのは日中戦争の発端となった盧溝橋事件が起きた1937年。軍国主義が勢いを増し、泥沼の戦争、そして破滅的戦争へと突き進んでいく時代でした。言論統制が厳しくなる中で「せめて子どもたちには、時勢の悪い影響から守りたい」という願いを込めて書かれた本なのです。

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 主人公は旧制中学校に通う15歳の「コペル君」。学校でのいじめや同級生間の家庭の「階級」の格差と向いあう中で、コペル君は悩みます。その悩みを受け止める「叔父さん」との対話で、コペル君は成長していきます。

 テーマは、価値観や立場が違う「他者」とどう共存し、どう共生していくかということ。80年以上前に書かれたとは思えないほど現代的なテーマであり、未来を背負う子どもたちへの愛情が全編にほとばしっています。

 排外主義的な風潮が高まり、時勢が80年前と似ているとの分析もある中で、この本が注目され、読まれていることは救いのような気さえしてきます。

2018年3月11日 (日)

「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」

 
 3・11から7年。昨年感銘を受けた「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」(奥野修司著、新潮社)を読み返しました。

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 東日本大震災の被災地で、死別した人と再会できたような不思議でかけがえのない体験をした遺族は少なくありません。本書は「ナツコ 沖縄密貿易の女王」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した奥野さんが3年半にわたって毎月のように被災地へ通い、その一つひとつの体験を聞いて、検証したノンフィクションです。ここに記された体験には「霊」が連想させるようなしらじらしさ、胡散臭さが全くありません。

 津波に流された遺体が、遺族と再会したときに涙を流したという話は、実際によくあり、私も被災地取材をしたときに娘さんを亡くした男性から直接聞いたことがあります。

 

2018年3月 8日 (木)

「三陸海岸大津波」

  「3.11」からまもなく7年。津波による被災現場での取材をするにあたって、私にとっての津波の基本書「三陸海岸大津波」(吉村昭)を読み返しました。

 宮城、岩手、青森の3県にわたる三陸海岸が大津波に曝されたのは、今回が初めてではありません。明治以降では明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、昭和35年(1960年)と3度に渡って、多くの人命が奪われる悲劇に見舞われています。

 これまでの津波の被害を体験者の証言や文献で、再現したこの記録文学は、是非一読をお勧めしたいと思います。

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  吉村昭氏の作品は、大学4年のときに、多くの犠牲者を出しながらも国策として工事が貫徹された黒部ダムのトンネル工事を描いた作品「高熱隧道」(新潮文庫)を読んで以来、ファンになりました。最近では「桜田門外の変」が映画化されています。

 緻密な調査で史実を掘り起こすのが、吉村氏の作品の特徴だと思いますが、三陸津波による悲劇を記したこの作品は今こそ読むべきではないでしょうか。

 これを読めば、大変悲しいことですが、津波による悲劇は繰り返されていることがよく分かると思います。2万6360人が亡くなった明治三陸津波は、105年前の出来事であるにも関わらず、人間が津波に翻弄される様子は同じです。自然災害は常に想定外。いかに文明が発達したところで、人間は自然に打ち勝つことはできないのではないか、と考えさせられます。

 今回の大津波で、甚大な被害が出た宮古市の田老地区は明治、昭和の大津波でも最大の被害者が出た区域。昭和津波の様子は、当時の子供たちが書いた作文と生存者の証言でリアルに再現されています。

 「万里の長城」の異名で呼ばれていた宮古市の防潮堤は、これまでの凄惨な災害を経て数十年の歳月をかけて作られたものです。世界最大規模とも言われていました。

 田老町を訪れた吉村氏は防潮堤についてこう記しています。「堤は高く、弧をえがいて海岸を長々とふちどっている。町の家並は防潮堤の内部に保護されて、海面から完全に遮断されている、町民の努力の結果なのだろうが、それは壮大な景観であった」

 その一方でこうも記しています。「しかし、自然は、人間の想像を越えた姿を見せる」」「そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことは間違いない」「しかし、その場合でも、頑丈な防潮堤は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるにちがいない」

 そして、3月11日の大津波。町民の努力の結晶たる巨大防潮堤は、打ち砕かれました。私も4月10日に現地へ行ってまいりましたが、二重構造になっている堤防の海側は水圧で粉砕されてしまいました。

 吉村氏が予想していたとおり、確かに防潮堤は、津波の力を損耗はさせたでしょう。それでもこの田老地区だけで230人以上の死者が出ました。吉村氏は故人ですが、この惨状をもしご覧になったらどう思われたでしょうか。

 大津波が再び、三陸海岸を襲うことは間違いはないでしょう。これまでよりも高く、頑丈な潮堤を造ったとしても、自然の力に勝てることはないでしょう。これは三陸で暮らしている方々の方が、私などよりも身にしみて分かっていらっしゃることです。

 田老地区で家屋を流され、避難所生活をしている60代の女性に聞きました。それでも、風光明媚で海の幸に恵まれたこの土地から離れたくない、とおっしゃっていました

 「命が助かったんだもの。贅沢は言えない。今度は少し高台に住めばいい。津波とはうまく付き合っていけばいい

 津波はいつか来るもの。宿命を受け止めて、この地に住み続ける。それが三陸の人々の姿であり、生き方なのでしょう。私は復興後も、新天地を求めることなく、この土地での暮らしを続けることを選ぶ方が多いような気がします

2018年2月27日 (火)

平昌五輪開催地の名所紹介

 平昌五輪が終わり、いよいよ江陵を離れます。 江陵を出る前に朝鮮儒学ゆかりの名所「鳥竹軒」に立ち寄りました。朝鮮儒学の代表的学者、李栗谷とその生母・申師任堂の生家。

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  二人は5000ウォン札と5万ウォン札の肖像画になっています。儒学に関して似た観光施設は日本にはないと思うので訪れることができて良かったと思います。

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 北朝鮮の「美女軍団」も休暇の日には、ここを訪れて散策したことが韓国では話題になりました。

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2018年2月10日 (土)

石牟礼道子さんを悼む

 水俣病で苦しむ人々の姿を世界に伝えてきた石牟礼道子さんの訃報を聞いてショックを受けました。「苦海浄土」は、水俣の風土と苦しむ人々の声を素晴らしい文章でつづった不朽の名作。第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれましたが「苦しむ人の話を書いた私が表彰されるのはおかしい」と辞退されたお話が心に残っています。謹んでご冥福をお祈りいたします。Photo

2018年1月26日 (金)

「野中広務 差別と権力」を読み返す

 野中広務元官房長官が92歳で死去。私は本人を取材したことはなかったのですが、ジャーナリスト・魚住昭さんによる評伝「野中広務 差別と権力」(講談社文庫)を12年ぐらい前に読んで、その壮絶な人生に強い衝撃を受けました。

 政敵はあらゆる手段を駆使して叩き潰す一方で、社会的弱者に対する温かい眼差しを失うことはなかった。その背景として野中氏に出生から生い立ちに迫った力作です。

 エピローグでは記事を月刊誌に掲載後、野中氏が涙をにじませた目で魚住さんを睨み付け「私の家族がどれほど辛い思いをしているのか知っているのか。そうなることが分かっていて、書いたのか」と猛抗議する場面があります。

 野中氏の怒りも分かるし、差別をなくすためという信念があって書ききった魚住さんの気持ちも分かる。取材対象との距離のとり方について、深く考えさせられたノンフィクションでした。野中氏を偲んで今夜読み返してみようと思います。

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甲斐毅彦

2018年5月

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