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2017年4月18日 (火)

ともにがんばりましょう

 「罪の声」で本屋大賞3位となった塩田武士さんの「ともにがんばりましょう」(講談社文庫)を読みました。これは傑作です! 巻末の角田龍平弁護士による「解説」もまた秀逸。

 地方新聞社の労使交渉を題材にした労働組合小説。新聞労組の話をエンタメ小説にしてしまうとは。塩田さん自身が、神戸新聞記者時代に労組の執行委員を務めていた経験が投影されていることは明らかですが、さらに高校漫才師時代の笑いのセンスが織り交ぜられています。

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 実は私自身が現在、労組の執行委員を務めているのですが、労使交渉でのやりとりの描き方があまりにリアルで、自分自身の経験と重なり合い、一人で大受けしてしまいました。これは一人で読むのはもったいない。新聞労連の必読書とし、我が報知労組でも新任の執行委員のテキストにしていくべきだと思いました。労働組合の仕組みもよく分かるようになっているのです。

 そしてインターネット時代における新聞業界の状況や記者という職業の悲喜こもごもが余すところなく描かれています。

 末端で張り込みや聞き込み取材をしている駆け出し記者も、新聞業界の偉い方々も皆に薦めたい一冊です。

 皆で読んで、笑って、そして、ともにがんばりましょう。

2017年4月 8日 (土)

佳桜忌 2017年

1986年4月8日

 31年前の今日は、大ファンだった岡田有希子さんが天国へ旅立った日でした。私にとっては高校入学式の前日。中野区の自宅で第一報を聞いたのは午後1時のNHKラジオニュースでした。「岡田有希子さんが飛び降り自殺をしました」という無機質で、淡々としたアナウンサーの声を聞いて受けた衝撃は一生忘れることはできないでしょう。現実感は全くありませんでしたが、テレビをつけたらワイドショーで大騒ぎ。全身が砂になるような感覚とでも言いましょうか。放心状態となり、しばらく身動きもできませんでした。

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 我に帰ると、中野の自宅を飛び出し、ママチャリをこいで四ッ谷の現場に向かいました。午後4時ごろ、現場につくとすでに多くのファンや報道関係者でごった返していました。泣き崩れてアスファルトに頬ずりする若者たち。私はその時は涙は出ませんでしたが、ヘタヘタと座り込み、日が暮れるまで佇んでいました。そして一人で自転車をこいで帰りながら涙がこぼれてきました。

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   当時のワイドショー、週刊誌はこの話題で持ちきり。そして、残念なことに若者の後追い自殺が相次ぎ、社会問題となってしまいました。    私の場合は後追いしようとまでは思わなかったけど、やはり喪失感は大きく、高校入学後もしばらく放心状態が続きました。

 ユッコちゃんには芸能界入りを反対する両親を説得するために「①学校のテストで学年1番になること、②中部統一試験で学内5番以内になること、③第一志望の高校に合格すること」の3つの条件をクリアしたというエピソードがありました。ひたむきな努力で夢を叶えていくという女性でした。

     毎年、ファンの間で佳桜忌と呼ばれるこの日は四谷4丁目には、80人ぐらいのファンが集まってきます。

 最近はもう女性タレントにはほとんど関心がなくなりましたが、中学生の時に熱烈なファンだったユッコちゃんだけは忘れることができません。 私が中学2年生だった1984年、デビューまもない彼女からよみうりランドでもらったサイン色紙が、今でも宝物として部屋に飾っています。レコード、アルバムはすべて持っていますし、当時の雑誌なども捨てられないまま残してあります。

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 あの日からもう31年が経ってしまいました。毎年この日は「ユッコちゃんのぶんまで頑張って生きる」と誓ったときのことを思い出し、一人のファンとして、健康に暮らしていることを報告することにしています。

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2017年4月 5日 (水)

基本ラーメン700選(44)「はやし」

 渋谷の人気店「はやし」(東京都渋谷区道玄坂1-14-9)を初訪問。約20分ぐらい待たされてラーメン(800円)。しっかりとしたコクがありながらも後味が良い魚介スープは期待を裏切らないものでした。全盛期の「青葉」のスープをさらに洗練させてような味わいでした。並ぶのは好きではありませんが、このクォリティーならば。

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2017年4月 1日 (土)

那須での雪崩事故の疑問点

 高校山岳部で顧問の先生に雪山の素晴らしさを教えて頂き、大学でも山岳部で四季の山を登っていたものとして、今回の栃木・那須での雪崩事故に胸を痛めています。教職員の皆様は純粋に積雪期登山の素晴らしさを10代の若者に伝えた伝えたかったのでしょう。それが裏目に出たと思うと残念でなりません。

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 講習の責任者だった栃木県県高等学校体育連盟登山専門部委員長の記者会見を聞き、事故現場の俯瞰図や地形図を見ましたが、どうしても理解できないことが何点かあります。

 1つ目はなぜラッセル訓練の場所としてあの急斜面を選んだのか。

 積雪時の歩行訓練が必要なのは当然ですが、なぜ尾根筋へと続く急斜面を選んだのでしょうか。樹林帯を選択したのは雪崩の危険を回避するためだったのかもしれませんが、あの斜面は高校生の登山訓練に適しているとはとても思えない。管理されたスキー場付近も30センチ程度の積雪があったそうなので、その近辺で十分だったのではないでしょうか。

 2つ目は樹林帯を登りきって、尾根筋まで出てしまったのはなぜなのか。

 茶臼岳山頂へと続く尾根筋まで出てしまったということは、茶臼岳登山を中止した意味がほとんどなくなる。事故当時は吹雪いており、司視界が悪かったとの情報もあり、樹林帯を抜けきったということに引率者が気づいていなかった可能性もありますが、位置確認すらできない状態だったのならば、それこそ即座に引き返すべきだったのではないでしょうか。

 ラッセル訓練の1班を先導していたのは、登山経験のある真岡高校の教諭でした。事故当時の状況はこの方が一番良く知っているはずです。栃木県教委に問い合わせたところ、事故で負傷されて入院されたとのことですが、是非上記の2点については、きちんと説明をして頂きたい。事故当時現場にいなかった委員長の話だけでは全く解明されていません。

 登山を経験した者として思うのは、雪山に来れば気持ちが高揚し、本能的に少しでも上に登ってみたいと思ってしまうということ。ましてや講習会の主役は体力のある高校生たちです。引率した教員が、登山は中止になってしまったが、少しでも茶臼岳の近くまで登らせてやりたい、という気持ちになってしまったのは想像に難くありません。

 栃木県教委は引率教員は「登山経験が豊富だった」としていますが、この事故状況からみて私は指導者に相応しい経験を積んでいたという点が疑わしいと思っています。

2017年3月25日 (土)

北斗龍さん、お疲れ様でした。

 現役最古参の序ノ口・北斗龍さん(46)が引退。最終場所となった春場所で4勝3敗と勝ち越して土俵を去りました。1986年春場所が初土俵。私と同い年の力士が昨日まで相撲を取り続けていたというだけで驚きです。北海道から上京し、北の湖部屋創設と同時に入門した31年間の土俵人生、お疲れ様でした。

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 2014年の春場所後には糖尿病の影響で左足親指を切断。入院していた同愛病院へ私が見舞いに行った時には切断した患部に包帯を巻いて車椅子に乗っていたので「ついに引退か」と確信したのですが、その年の秋場所から土俵に上がっていると聞いたときには本当に驚きました。

 私が北斗龍さんを記事に書いたのは自分が新人記者だった1996年夏場所の5月22日。幕下以下の力士にスポットを当てる北海道版「北のやぐら太鼓」で取り上げさせて頂きました。当時私も彼もまだ25歳でしたが、記事にはすでに「ベテラン」「糖尿病とも闘っている」と書かれていました(笑)。あれから21年も取り続けた北斗龍さん。第二の人生も味わい深いものとしていってください。

2017年3月19日 (日)

教養としてのプロレス

 先日インタビューした時事芸人、プチ鹿島さんの処女作「教養としてのプロレス」(双葉新書)を読む。これは、プロレスファンのみならず、現代を生きる国民必読の教養書です。

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 プロレスラーはロープに振られるとなぜわざわざ戻って来て、相手の技を真っ向から受けるのか。プロレスに夢中になっていた小学校高学年頃に芽生えた、この大きな謎は12歳のガキには簡単に答えが出せず、延々と自問自答したことを思い出します。そしてこの本を読み「ロープにに振られて戻る」に悩み続けた少年時代を肯定された気持ちになり、一人感涙を流しそうになりました。

 それにしてもNHKドラマの「あまちゃん」と越中詩郎とをシンクロさせてしまう眼力は圧巻。プチ鹿島さんはやはりタダ者ではないです。

2017年3月17日 (金)

ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」

ポレポレ東中野で上映中のドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」(山田徹監督)を観て来ました。 

 東日本大震災で被災し、原発事故による放射能汚染水の排出に悩まされる福島県新地町の漁師たちを、3年半記録したドキュメンタリー作品です。

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 映像作家の山田さんが新地町でカメラを回し始めたのは震災から3か月の2011年6月から。震災の取材対象となる町を探しているときに詩人の和合亮一さんがツイッターに綴った新地町の被災状況を知り、人口8251人の小さな猟師町の人々を被写体とすることを決めたそうです。漁師という家業と暮らしぶり、漁業組合、地下水バイパスで汚染水を垂れ流そうとする東電との闘いを町の伝統祭、安波祭を柱に描いています。

 やはり一番賛辞を送りたいのは、3年半にも渡って、被災した一つの小さい町を取り続けたという点です。エンディングでは震災よりもはるか前の1983年の安波祭の様子が映されます。海の中で御輿を担ぐ男たち。そして最後は、御輿を担ぐ男たちの映像がかぶせるように2016年の安波祭のものにスイッチします。これはプロの映像作家だからこそなせる技術でしょう。

 鑑賞した14日には監督の山田さんも会場にいらしていたので「すばらしい作品でした」とお声掛けさせていただきました。

https://www.yamadatoru.com/

2017年3月11日 (土)

「魂でもいいから、そばにいて」

3・11に是非お勧めしたい本をご紹介させてください。「魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く」(奥野修司、新潮社)

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 東日本大震災の被災地で、死別した人と再会できたような不思議でかけがえのない体験をした遺族は少なくありません。「ナツコ 沖縄密貿易の女王」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した奥野さんが3年半にわたって毎月のように被災地へ通い、その一つひとつの体験を聞いて、検証した感動のノンフィクションです。体験には「霊」が連想させるようなしらじらしさ、胡散臭さが全くありません。

2017年2月28日 (火)

小金井女子大生刺傷事件の判決を聞いて

  東京都小金井市で昨年5月21日、シンガー・ソングライターとして活動していた私立大学生の冨田真由さん(21)をナイフで34回刺し、一時重体とさせたとして殺人未遂罪などに問われた岩埼友宏被告(28)に、東京地裁立川支部は28日、懲役14年6月(求刑17年)を言い渡しました。

 事件発生日、冨田さんが救急搬送された小平市の病院へ取材に行った私は、当初「心肺停止」と伝えられたこともあり、殺人事件だと思っていました。冨田さんには致死量の2000CCを超える出血がありましたが、輸血と2度の緊急手術を受け、一命を取り留めました。蘇生できたのは医師・看護師の必死の対応もあったと思いますが、何よりも冨田さんに「こんなことで負けられない」という生へ意志があったからだと思います。

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 今まで様々な殺人事件などの凶悪事件の裁判を傍聴して来ましたが、今回ほど辛い気持ちになり、法が正義を実現することの難しさを感じさせられた公判はありませんでした。衝立で冨田さんの姿は隠されていたとはいえ、後遺症が残る瀕死の大けがを負った被害者が、狭い法廷という空間で加害者と居合わせたからだと...思います。

 23日の公判で冨田さんは意見陳述。静まりかえった法廷で、振り絞るような涙声で切り出すまで2分ほどの沈黙がありました。  「犯人は、私の調書を法廷で読み上げてもらっている間、笑っていたようですが、どうして笑うことができるのか。今、私が意見陳述している間も、きっと心の中では笑っていて、反省はしていないと思います。犯人は絶対に同じことをする。また犠牲者になる人が絶対に出る。こんな人を野放しにしてはいけない」と述べたところで、岩埼被告は突然「じゃあ殺せよ!」と怒鳴り声を上げました。

 裁判長から「発言を止めなさい!」と諭されたましたが、冨田さんが「今度こそ私を殺しに来ると思います」と続けたところで今度は「殺さない!」。裁判長から退廷を命ぜられ、両腕を抱えられて退廷しながらも「殺すわけがないだろ!」と二度叫び声を上げました。

 実際の法廷でドラマや映画のようなシーンになることはめったにありません。その「映画のようなシーン」が、被告の身勝手な言動によってなされたということに吐き気を催すほどの嫌悪感を感じました。被害者に消えない傷を負わせた上にさらに心に傷つけるのか、と。

 判決後、冨田さんは代理人弁護士を通じて「17年でも短いと思っていたのに…」とコメントを発表しました。14年6か月後に岩埼被告が出所すれば「今度こそ殺しに来る」と被害者が思うのは当然のことだと思います。

 罪刑法定主義というのは、近代以前に繰り返されてきた「目には目を」的な被害者による加害者への報復が、良い結果をもたらさないことを人類が学んできた中で導き出された原則。自由主義、民主主義両方の観点から根拠があるものです。しかし、法に基づいた判決が被害者を救い切れていないというのも事実です。殺人事件での原状回復は不可能なわけなので当たり前のことですが、今回の事件は被害者が生還できたからこそ、第三者に感じさせるものが大きかったと思います。何よりも冨田さんが勇気を持って出廷し、自らの声で意見陳述をしたことは決して無駄ではなかったのではないでしょうか。

 被害者は、どうすれば救うことができるのか。考えても解決策は見つからないことですが、答えがなくても考え続けなくてはいけないのだと思います。冨田さんが体と心に負われた傷が、これから少しでも消えていくように心から願っています。

2017年2月14日 (火)

金正男氏殺害

 北朝鮮の故金正日総書記の長男・金正男氏がマレーシアで殺害されました。正男氏を直接取材して「父・金正「日と私 金正男独占告白」を出版した東京新聞編集委員の五味洋治さんをインタビューさせていただいたときのブログ記事を以下、再アップします。

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▽2012年2月15日掲載ブログ

 2011年12月に急死した北朝鮮の金正日総書記の長男、金正男氏)との150通のメール対話と2度の単独インタビューをまとめて公開した東京新聞編集委員、五味洋治さんの「父・金正日と私 金正男独占告白」(文芸春秋 1470円)が20万部を超えるベストセラーになりました。

 正男氏の心は開かせたものの、出版には完全な承諾を得ぬまま踏み切った五味さん。発刊後、メール交換は途絶えていますが、五味さんの取材によると、どうやら正男氏本人もこの本を読んだらしい。

 どうやって、正男氏とメル友になれたのか。2004年9月、北京国際空港に現れた正男氏を偶然取材できた日本からの特派員は五味さんだけではありませんでした。しかし、北朝鮮の現体制への批判のみならず、お互いの家族や健康のことまで会話ができるようになった記者はほかにはいませんでした。

 「特に私に取材力とか人間的な魅力があったわけではなく、単に正男氏に関心があったということです。(後継者争いの)レースからはすでに脱落してるし(報道関係者の間で)『あんな遊び人の話を聞いても仕方ない』というムードはあった。確かにそう思ったけど、偶然会った時から礼儀正しく、義理堅く、フレンドリーな人だった。取材のチャンスがあれば何かしゃべってくれるんじゃないかな、と」。始まりは好奇心。あきらめずにコンタクトを取り続け、一冊の本にまでなるとは本人も思わなかったそうです。

  韓国・北朝鮮への関心の原点は駆け出し記者時代に赴任した川崎支局だったそうです。在日韓国・朝鮮人が多く住むコリアタウンの近くで暮らす中で興味を持ち、韓国の延世大に留学。言葉とともに隣国民の思考、生活様式、歴史を学ぶ日々は「人生で一番楽しい時期だった」と振り返りました。

 五味さんによれば「友達としての彼は本当にいい人」なのだそうです。本書には、これまで5回来日したという正男氏が新橋のおでん屋によく行ったことや、赤坂の高級クラブで遊んだエピソードが明かされています。ミサイル実験などについて父に直言したとも。しかし、メル友にはなれたものの、完全に気を許してくれたわけではありません。「父親(正日氏)の健康状態、ロイヤルファミリーや軍の人間関係とか。いくら聞いても答えないことには答えなかった」そうです。

 マカオでの生活の資金源についても正男氏は明言していませんが、五味さんは「友達としての彼は本当にいい人。北朝鮮からの送金以外にも支援してくれる人は多いのではないか」と推測しています。

 メール交換は2012年の1月3日、正男から三代世襲に反対する内容が届いたのが最後。出版については「父の死後、喪に服す100日が過ぎるまで待って欲しい」と意向を示されましたが、五味さんは刊行に踏み切りました。正日総書記が死去したタイミングで、発表したいという記者としての気持ちを正男氏も理解してくれると信じたからでした。

 五味さんが得た情報によると正男氏も一読している模様。しかし、本人からの連絡はまだありません。国家的事業となる故・金日成主席生誕100周年記念(4月15日)を過ぎたタイミングで再びメールを送ってみる考えだそうです。

 「まず謝らないといけないでしょうね。でも『たくさんの人が読んでくれてあなたのファンが増えましたよ』という報告はしたいですね」

甲斐毅彦

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