映画「剣岳 点の記」
6月20日に全国ロードショー予定の山岳映画「剣岳 点の記」(木村大作監督)の試写会に行ってきました。
1907年(明治40年)、古来から前人未踏の「死の山」といわれてきた北アルプスの名峰・剣岳(2999m)に、不屈の闘志、献身の心、仲間の絆(きずな)を信じて挑んだ男たちの物語。山岳小説の創始者ともいわれる新田次郎作品(文春文庫になっています)を映画化したものです。監督は「鉄道員(ぽっぽや)」などを撮影してきた撮影技師の木村大作氏。50年の映画人生すべてをかけて取り組んだ初めての監督作品とのことです。
高校・大学と学生時代は山岳部に所属していた私としては、四季を通じて合宿の主戦場だった剣岳。何よりも撮影がさぞ大変だっただろうと想像しつつ、美しい映像をみながらタイムスリップしました。
タイムスリップするのは私が脳天気な学生だった17~18年前くらいで良かったのだけれど、この映画の舞台は約100年前。日露戦争後、陸軍は国防のための日本地図の完成を急いでいました。主演の浅野忠信が演じる、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎は最後の空白地帯を埋めるため「陸軍の威信にかけて」との命令を受けて剣岳の登頂を目指します。
ジョージ・マロリーの「そこに山があるから」という言葉が生まれるよりもさらに昔。ましてや登山がレジャーとして大衆化するよりもはるかに昔の話で、測量という目的をもっての登山でした。
一方で同時代に日本にもアルピニズムが芽生え始めており、日本山岳会創始者、小島烏水が剣岳登頂を競う相手として登場します。国家の威信を背負って登る柴崎からみれば小島の登山は、物見遊山の道楽にしか見えない。先鋭的な小島の考えを理解することができなかった。この価値観の対立は今なお残っているものですからこの辺の描写は非常に面白かったですね。ちなみに小島烏水の著作「日本アルプス」は岩波文庫になっています。
悪戦苦闘の末、先に絶頂に到達するのは柴崎ら測量隊でした。歓喜に浸る彼らがそこで目撃したものは・・・・。山好きな人の間では有名な話ですが、原作や映画にまだ触れていない人のために、その点は伏せて置きましょう。私が新田次郎の原作を読んだのは19年前ですが、今でもその事実に驚いたことを覚えています。
せっかくの機会なので「剣岳と私」について少し。
多くの大学山岳部は、夏合宿は剣岳が見下ろす真砂沢に定着して行います。アルペンルートの終点で知られる室堂から8時間くらいかけて約50キロのザックを背負って入山します。新人にとってはこれが最初の修羅場。私は1990年7月28日でしたが、バテてしまいやむなく手前の剣沢で幕営しました。今でも情けない思い出です。
合宿は真砂沢をベースに雪上訓練と岩登りです。岩登りは八ツ峰という8つの岩峰が連なる壁で行います。最初は足がすくみました。
1年間で一番きつい合宿が5月。一番雪が深く、雪崩の危険性も高い。91年には映画でも登場した馬場島から小窓尾根、三ノ窓を経て山頂へ。92年には源治郎尾根から山頂に登りました。この時の写真は1枚も撮っていません。写真を撮るどころではなかった。後にヒマラヤ遠征で6000メートル級の山に登ったけど、こちらの合宿の方がきつかったですね。
学生最後に登ったのも92年12月、剣岳でした。上の写真で、早月尾根から登ったものです。今思えばこのころは体力的にも最も充実していた時でした。もう少し山に登ろうかな、という気持ちも少しありましたが、結局は就職してしまいました。
映画のおかげでまた行きたくなってしまいましたよ。今度、剣岳にアタックできるのはいつの日になることやら。少しでも体力が落ちないうちに再訪したいものです。








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