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2017年2月

2017年2月28日 (火)

小金井女子大生刺傷事件の判決を聞いて

  東京都小金井市で昨年5月21日、シンガー・ソングライターとして活動していた私立大学生の冨田真由さん(21)をナイフで34回刺し、一時重体とさせたとして殺人未遂罪などに問われた岩埼友宏被告(28)に、東京地裁立川支部は28日、懲役14年6月(求刑17年)を言い渡しました。

 事件発生日、冨田さんが救急搬送された小平市の病院へ取材に行った私は、当初「心肺停止」と伝えられたこともあり、殺人事件だと思っていました。冨田さんには致死量の2000CCを超える出血がありましたが、輸血と2度の緊急手術を受け、一命を取り留めました。蘇生できたのは医師・看護師の必死の対応もあったと思いますが、何よりも冨田さんに「こんなことで負けられない」という生へ意志があったからだと思います。

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 今まで様々な殺人事件などの凶悪事件の裁判を傍聴して来ましたが、今回ほど辛い気持ちになり、法が正義を実現することの難しさを感じさせられた公判はありませんでした。衝立で冨田さんの姿は隠されていたとはいえ、後遺症が残る瀕死の大けがを負った被害者が、狭い法廷という空間で加害者と居合わせたからだと...思います。

 23日の公判で冨田さんは意見陳述。静まりかえった法廷で、振り絞るような涙声で切り出すまで2分ほどの沈黙がありました。  「犯人は、私の調書を法廷で読み上げてもらっている間、笑っていたようですが、どうして笑うことができるのか。今、私が意見陳述している間も、きっと心の中では笑っていて、反省はしていないと思います。犯人は絶対に同じことをする。また犠牲者になる人が絶対に出る。こんな人を野放しにしてはいけない」と述べたところで、岩埼被告は突然「じゃあ殺せよ!」と怒鳴り声を上げました。

 裁判長から「発言を止めなさい!」と諭されたましたが、冨田さんが「今度こそ私を殺しに来ると思います」と続けたところで今度は「殺さない!」。裁判長から退廷を命ぜられ、両腕を抱えられて退廷しながらも「殺すわけがないだろ!」と二度叫び声を上げました。

 実際の法廷でドラマや映画のようなシーンになることはめったにありません。その「映画のようなシーン」が、被告の身勝手な言動によってなされたということに吐き気を催すほどの嫌悪感を感じました。被害者に消えない傷を負わせた上にさらに心に傷つけるのか、と。

 判決後、冨田さんは代理人弁護士を通じて「17年でも短いと思っていたのに…」とコメントを発表しました。14年6か月後に岩埼被告が出所すれば「今度こそ殺しに来る」と被害者が思うのは当然のことだと思います。

 罪刑法定主義というのは、近代以前に繰り返されてきた「目には目を」的な被害者による加害者への報復が、良い結果をもたらさないことを人類が学んできた中で導き出された原則。自由主義、民主主義両方の観点から根拠があるものです。しかし、法に基づいた判決が被害者を救い切れていないというのも事実です。殺人事件での原状回復は不可能なわけなので当たり前のことですが、今回の事件は被害者が生還できたからこそ、第三者に感じさせるものが大きかったと思います。何よりも冨田さんが勇気を持って出廷し、自らの声で意見陳述をしたことは決して無駄ではなかったのではないでしょうか。

 被害者は、どうすれば救うことができるのか。考えても解決策は見つからないことですが、答えがなくても考え続けなくてはいけないのだと思います。冨田さんが体と心に負われた傷が、これから少しでも消えていくように心から願っています。

2017年2月14日 (火)

金正男氏殺害

 北朝鮮の故金正日総書記の長男・金正男氏がマレーシアで殺害されました。正男氏を直接取材して「父・金正「日と私 金正男独占告白」を出版した東京新聞編集委員の五味洋治さんをインタビューさせていただいたときのブログ記事を以下、再アップします。

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▽2012年2月15日掲載ブログ

 2011年12月に急死した北朝鮮の金正日総書記の長男、金正男氏)との150通のメール対話と2度の単独インタビューをまとめて公開した東京新聞編集委員、五味洋治さんの「父・金正日と私 金正男独占告白」(文芸春秋 1470円)が20万部を超えるベストセラーになりました。

 正男氏の心は開かせたものの、出版には完全な承諾を得ぬまま踏み切った五味さん。発刊後、メール交換は途絶えていますが、五味さんの取材によると、どうやら正男氏本人もこの本を読んだらしい。

 どうやって、正男氏とメル友になれたのか。2004年9月、北京国際空港に現れた正男氏を偶然取材できた日本からの特派員は五味さんだけではありませんでした。しかし、北朝鮮の現体制への批判のみならず、お互いの家族や健康のことまで会話ができるようになった記者はほかにはいませんでした。

 「特に私に取材力とか人間的な魅力があったわけではなく、単に正男氏に関心があったということです。(後継者争いの)レースからはすでに脱落してるし(報道関係者の間で)『あんな遊び人の話を聞いても仕方ない』というムードはあった。確かにそう思ったけど、偶然会った時から礼儀正しく、義理堅く、フレンドリーな人だった。取材のチャンスがあれば何かしゃべってくれるんじゃないかな、と」。始まりは好奇心。あきらめずにコンタクトを取り続け、一冊の本にまでなるとは本人も思わなかったそうです。

  韓国・北朝鮮への関心の原点は駆け出し記者時代に赴任した川崎支局だったそうです。在日韓国・朝鮮人が多く住むコリアタウンの近くで暮らす中で興味を持ち、韓国の延世大に留学。言葉とともに隣国民の思考、生活様式、歴史を学ぶ日々は「人生で一番楽しい時期だった」と振り返りました。

 五味さんによれば「友達としての彼は本当にいい人」なのだそうです。本書には、これまで5回来日したという正男氏が新橋のおでん屋によく行ったことや、赤坂の高級クラブで遊んだエピソードが明かされています。ミサイル実験などについて父に直言したとも。しかし、メル友にはなれたものの、完全に気を許してくれたわけではありません。「父親(正日氏)の健康状態、ロイヤルファミリーや軍の人間関係とか。いくら聞いても答えないことには答えなかった」そうです。

 マカオでの生活の資金源についても正男氏は明言していませんが、五味さんは「友達としての彼は本当にいい人。北朝鮮からの送金以外にも支援してくれる人は多いのではないか」と推測しています。

 メール交換は2012年の1月3日、正男から三代世襲に反対する内容が届いたのが最後。出版については「父の死後、喪に服す100日が過ぎるまで待って欲しい」と意向を示されましたが、五味さんは刊行に踏み切りました。正日総書記が死去したタイミングで、発表したいという記者としての気持ちを正男氏も理解してくれると信じたからでした。

 五味さんが得た情報によると正男氏も一読している模様。しかし、本人からの連絡はまだありません。国家的事業となる故・金日成主席生誕100周年記念(4月15日)を過ぎたタイミングで再びメールを送ってみる考えだそうです。

 「まず謝らないといけないでしょうね。でも『たくさんの人が読んでくれてあなたのファンが増えましたよ』という報告はしたいですね」

2017年2月12日 (日)

「沈黙ーサイレンスー」の原作を読んで

カトリック信徒の作家・故遠藤周作の代表作「沈黙」(1966年)は、ユーモラスな狐狸庵先生とマンボウ先生の対談などを愛読していた高校時代に読みましたが、映画化の影響で現在は文庫本の売上ナンバー1になっているとのことで、読み返してみました。

島原の乱後の切支丹弾圧が題材。日本へ潜入したポルトガル人の若い司祭が、捕らえられて棄教するまでの内面を描いた宗教文学です。

もう30年前なので詳細は忘れていましたが、司祭が踏み絵を迫られ、棄教するシーンだけはしっかり覚えていました。

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 次々と殉教者が出ても「沈黙」し続けていたあの人(イエス)の声が、司祭の耳に届きます。

 「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」と。

 私自身は中学時代にプロテスタントの塾の先生にお世話になり、聖公会の大学に通い、そしてカトリックの妻と結婚したわけですが、度々聖書に触れ、共感しながらも結局はクリスチャンにはなりませんでした。 そんな私でもこの本を読んで考えさせられるのは、人間にとって信仰とは何か。また、価値観の異なる人とどう向いあうべきかということでした。

 作品の中では切支丹でありながら、弾圧に負けてあっけなく棄教し、役人に司祭の居場所を密告してしまうキチジローという男が出てくるのですが、遠藤さんはこの醜いはずの男までも愛情をもって描いています。遠藤さん自身は旧制灘中学を卒業して慶応大に進みますが、なんと3浪の末。エリートの中の「落ちこぼれ」という意識がご本人にあったことが反映されているのだと思いますが、作品の中では「ダメな人間」へのやさしい眼差しを感じることができます。

 思えば私が立教大2年生のときに、遠藤さんが講演にいらっしゃいました。「偏差値教育の無意味さ、入学試験のバカバカしさ」をテーマにお話されていましたが、その時の話と作品が今になってつながったように感じられます。

2017年2月 7日 (火)

さようなら時天空

天空 東京・両国の回向院で営まれた時天空関の葬儀に一般参列者として行って参りました。元気だった頃の写真や化粧まわしを見ると、やはりこみ上げてくるものがありました。

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 私がモンゴルでお世話になった喪主のお父様とは14年ぶりにお目にかかりましたが、まさかこんな形でお目にかかるとは思いま せんでした。
 同部屋の豊ノ島関の声を詰まらせながらの弔辞は思いが伝わってくるものでした。「いつかまた一緒に相撲を取ろう」と。

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 なかなか実感が沸きませんでしたが、遠い天空へと旅立って行ってしまったんだなあ。
あなたの強さと優しさはいつまでも忘れません。

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2017年2月 5日 (日)

「狂犬」マティス米国務長官の愛読書

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  初来日して安倍さんと会談した「狂犬」マティス米国防長官(66)の愛読書がローマ皇帝マルクス・アウレーリウスの「自省録」だと聞いて「へー」と思いました。私が大学に入学した読んだ2冊目の本が岩波文庫の「自省録」でした。「やる気が出るぞ」と勧めてくれた方がやる気のない方だったのですが、読んでみるとめくるめく心に響く人生訓が散りばめられていました。中国の「菜根譚」と並ぶ世界的名著だと思います。

 反乱の平定のために東奔西走していた哲人皇帝が、孤独な時間に自らの行動を点検し、ストア哲学と照らしつつ瞑想のもとに書き残したもの。私が読んだのは28年も前ですが、ところどころに線を引いています。

 「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ」(P90)

  「名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである」(P98)  

 「睡気、暑気、食欲不振。以上のいずれかのために不機嫌になった場合には、自分にこういいきかせるがよい。私は苦痛に降参しているのだ、と」(P117)

 「他人の厚顔無恥に腹の立つとき、ただにに自らに問うて見よ、『世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありうるだろうか』と。ありえない。それならばありえぬことを求めるな、その人間は世の中に存在せざるをえない無恥な人々のい一人なのだ」

 など。2000年近くたった現代でも心に響く言葉ばかりです。    マティスさんが、この書物を愛しているのならば、狂犬ではなく高潔な人物のはずなのですが。しばらくは「自省録」と照らし合わせながら観察してみたいと思います。

2017年2月 4日 (土)

岡野俊一郎さんの思い出

 元日本サッカー協会長の岡野俊一郎さんが2日、肺がんのため、東京都内の病院で85歳で亡くなりました。

 東大卒のインテリでご実家は上野の老舗和菓子屋さん。私はFW三浦知良選手の取材でクロアチア・ザグレブにいたときにザグレブのインターコンチネンタルホテルで、岡野会長とコーヒーを飲みながらお話を伺った思い出があります。1999年3月12日のことでした。
 
 当時のカズさんは、前年のフランスW杯でまさかの代表落ち。傷心のまま向かった新天地がザグレブでした。現役選手としての情熱を燃やすカズさんに対して、岡野さんは直接激励の言葉をかけたい気持ちが強いようでした。18年も前のことですが、淡々とした言葉でカズさんを気遣っていた岡野さんのことは今でもよく覚えています。

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甲斐毅彦

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