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2017年2月12日 (日)

「沈黙ーサイレンスー」の原作を読んで

カトリック信徒の作家・故遠藤周作の代表作「沈黙」(1966年)は、ユーモラスな狐狸庵先生とマンボウ先生の対談などを愛読していた高校時代に読みましたが、映画化の影響で現在は文庫本の売上ナンバー1になっているとのことで、読み返してみました。

島原の乱後の切支丹弾圧が題材。日本へ潜入したポルトガル人の若い司祭が、捕らえられて棄教するまでの内面を描いた宗教文学です。

もう30年前なので詳細は忘れていましたが、司祭が踏み絵を迫られ、棄教するシーンだけはしっかり覚えていました。

Photo

 次々と殉教者が出ても「沈黙」し続けていたあの人(イエス)の声が、司祭の耳に届きます。

 「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」と。

 私自身は中学時代にプロテスタントの塾の先生にお世話になり、聖公会の大学に通い、そしてカトリックの妻と結婚したわけですが、度々聖書に触れ、共感しながらも結局はクリスチャンにはなりませんでした。 そんな私でもこの本を読んで考えさせられるのは、人間にとって信仰とは何か。また、価値観の異なる人とどう向いあうべきかということでした。

 作品の中では切支丹でありながら、弾圧に負けてあっけなく棄教し、役人に司祭の居場所を密告してしまうキチジローという男が出てくるのですが、遠藤さんはこの醜いはずの男までも愛情をもって描いています。遠藤さん自身は旧制灘中学を卒業して慶応大に進みますが、なんと3浪の末。エリートの中の「落ちこぼれ」という意識がご本人にあったことが反映されているのだと思いますが、作品の中では「ダメな人間」へのやさしい眼差しを感じることができます。

 思えば私が立教大2年生のときに、遠藤さんが講演にいらっしゃいました。「偏差値教育の無意味さ、入学試験のバカバカしさ」をテーマにお話されていましたが、その時の話と作品が今になってつながったように感じられます。

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甲斐毅彦

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