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2017年2月 7日 (火)

さようなら時天空

天空 東京・両国の回向院で営まれた時天空関の葬儀に一般参列者として行って参りました。元気だった頃の写真や化粧まわしを見ると、やはりこみ上げてくるものがありました。

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 私がモンゴルでお世話になった喪主のお父様とは14年ぶりにお目にかかりましたが、まさかこんな形でお目にかかるとは思いま せんでした。
 同部屋の豊ノ島関の声を詰まらせながらの弔辞は思いが伝わってくるものでした。「いつかまた一緒に相撲を取ろう」と。

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 なかなか実感が沸きませんでしたが、遠い天空へと旅立って行ってしまったんだなあ。
あなたの強さと優しさはいつまでも忘れません。

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2017年2月 4日 (土)

岡野俊一郎さんの思い出

 元日本サッカー協会長の岡野俊一郎さんが2日、肺がんのため、東京都内の病院で85歳で亡くなりました。

 東大卒のインテリでご実家は上野の老舗和菓子屋さん。私はFW三浦知良選手の取材でクロアチア・ザグレブにいたときにザグレブのインターコンチネンタルホテルで、岡野会長とコーヒーを飲みながらお話を伺った思い出があります。1999年3月12日のことでした。
 
 当時のカズさんは、前年のフランスW杯でまさかの代表落ち。傷心のまま向かった新天地がザグレブでした。現役選手としての情熱を燃やすカズさんに対して、岡野さんは直接激励の言葉をかけたい気持ちが強いようでした。18年も前のことですが、淡々とした言葉でカズさんを気遣っていた岡野さんのことは今でもよく覚えています。

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2017年1月22日 (日)

祝・稀勢の里、初優勝!

祝・稀勢の里、初優勝!

 私が彼を取材したのは新弟子時代から新三役となった2006年名古屋場所まで。貴乃花以来の和製大器と期待され続けて、あれから10年以上が過ぎ、悲願の初優勝は感動的でした。

 最初に彼を大きく取り上げたのは2004年春場所9日目。東幕下筆頭・萩原(17)が勝ち越しを決めて、貴乃花の17歳2か月に次ぐ史上2位の17歳9か月での十両昇進を決めた取組でした。

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 師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)が「入門当初から大地をかみしめる天狗の団扇のような足に素質を感じていた」としみじみ話していたのを思い出します。

 この頃から本人は口数が少なかったのですが、中学時代の野球部や体育祭、合唱コンクールで指揮者をやっている写真などを入手して紙面で紹介させてもらいました。

 当時も今もなかなかマスコミ向きのサービスはしてくれないのですが「土俵で全てを語る」という姿勢が私は好きです。優勝決定後に見せた一筋の涙がすべてを物語っていました。言葉はいりません。

2016年12月13日 (火)

「みたけ山トレイルラン」

 昨年から参加し始めた「みたけ山トレイルラン」を無事に完走することができました。

 タイムは2時間18分8秒で587位。

 2時間を切って400番台に入ることを目標としていましたが、及びませんでした。

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 初出場した昨年が2時間26分5秒で739位だったので、若干は進歩したのですが、前回はなんの準備もせずに出たことを考えると合格点が付けられる進歩ではありません。

 反省点を挙げれば、ケーブルカー下のスタート地点から山頂までの標高差500メートルの急勾配が勝負を分けると分かっていながら、この対策が十分ではなかったことに尽きます。ふだんから漫然と走るだけでは不足でやはり御岳山に来てトレーニングするか、それに近い形でのトレーニングが必要だと痛感しました。

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 天気には恵まれ、快適なレースを楽しむことができました。山道を走りながらケーブルカーが追い抜くと警笛を鳴らしてエールを送ってくれたりするのは、何だか嬉しかったです。しかしロックガーデン付近では、頭から大流血して救急搬送される男性を見ました。勢いあまって何かに激突したのでしょう。我ながらなかなか危険な道楽に参加しているな、と思いました。

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 来年こそはもう少しトレーニングを積んで2時間を切ることを目標にしたいと思います。今後も年末恒例行事にして行こうと考えています。

2016年8月30日 (火)

時天空関、おつかれさまでした。

 悪性リンパ腫との闘病の末、引退を決めた大相撲元小結・時天空関は、人柄も素晴らしい力士でした。巡業先で「泊まるところがない」と雑談していたら「オレの部屋へ来なよ」と言ってくれたフレンドリーな言葉が忘れられません。写真は2005年名古屋場所前のもの。朝青龍関が横綱昇進した2003年の2月にモンゴルへ行った時には、時天空関のお父さんのロシア製ジープに乗せていただき、お世話になりました。長い現役生活、お疲れ様でした。第2の人生がさらに充実することを心よりお祈りしています。

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2016年5月16日 (月)

赤城山トレイルランに出場

 我が立教大学山岳部の先輩と群馬・赤城山トレイル・ランニング・レースに出場しました。

もうヘロヘロの状態で順位は恥ずかしくて言えないぐらい悲惨ですが、何とか32キロを完走して生還しました。

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 この大会には世界的なトレイルランナー、鏑木毅さんも参加。折り返し地点約3キロ手前ですれ違いましたが、人間離れした走りをされていました。

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 私より年長者でも猛者はたくさんいるので、きちんと体を鍛え直します。

2015年7月18日 (土)

元小結・海鵬が格闘家デビュー

 大相撲の元小結・海鵬の熊谷涼至さん(42)が18日、東京・両国国技館で開催された新格闘技「巌流島」で格闘家デビューしました。リングネームはシコ名の「海鵬」で、米国の総合格闘家、ジミー・アンブリッツ(38)とヘビー級(3分3回)で対戦。相撲で磨いた寄りで、試合を有利に進めましたが、2回2分27秒、パンチによる相手の猛反撃を受けてTKO負けを喫しましたた。試合後は「力を出し切ったんですが、スタミナ不足。でも大舞台でやれて気持ち良かったです」と苦笑いしながら話していました。両国国技館でインタビューしていると、何か私自身が相撲記者をしていた10年ぐらい前に戻ったような気持ちになってきました。

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 熊谷さんは角界を去った3か月後に東京・錦糸町に加圧トレーニングジム「ベアーズ・スタジオ」を開業。ジムを経営しながら相撲道場「小松竜道場」などで少年相撲のコーチをしています。
 今回が2度目の興行となる「巌流島」の参戦オファーを受けたのは今年4月。円形のリングで行われ、リングから1回に3度相手を転落させると一本勝ちとなるルールなどから相撲経験生かせると判断。さらに「国技館でもう一度戦いたい」と思いがこみ上げて参戦を決めました。霧の若も、星風も格闘技で勝利を収めており「相撲が一番強いと思っている。星風であそこまでできるなら」と自信も沸いてきたそうです。


 現役時代は177センチ、123キロだったが、引退後は90キロ台まで落ちていました。東京・目黒区にある総合格闘技ジム「NATURAL9」でこれまでに経験のない打撃練習を開始。しかし、あくまでも力士時代に得意だった、左を差して食いついてリング下に転落させるのが作戦。そのために坂道ダッシュなどでスタミナ強化に努めながらも体重は100㌔台に増量しました。


 会場には力士仲間やジムのお客さん、相撲道場の教え子らが集まり、国技館に海鵬コールを響かせました。 1回は、アンブリッツのパンチをかいくぐっての一気の寄りで、2度転落させて試合を優勢に進めていましたが、相手の重たいパンチを浴び、顔は徐々に腫れて来ました。2回、パンチで崩され、グラウンドで連打を浴び、レフェリーストップ。

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 ほろ苦いデビュー戦となりましたが、花道を引き揚げる背中には割れんばかりの拍手と声援が浴びせられた。「体を作り直して時間をかけてやっていきたい」と再挑戦への意欲をのぞかせていました。

 42歳。私とほぼ同世代の元力士が戦う姿に勇気付けられました。海鵬関、お疲れ様でした。まずはゆっくりお休みください。

2014年12月 4日 (木)

被災地で見かけた柳沢選手

 サッカー元日本代表FWの柳沢敦選手が引退。私はサッカー担当時代も鹿島や仙台の担当をしたことはありませんが、2011年3月、東日本大震災で仙台市内の小学校の避難所を取材しているときに偶然見かけてびっくりしたのを覚えています。誰にも告げずに一人で慰問に来たのでした。ボールにサインをしてもらう少年たちの目が輝いていたことを思い出します。キャッチした記者は私だけでしたが柳沢さんは「できれば記事にしないでください」。売名などのためではなく、ただ純粋に「できることをしたい」と思っている気持ちが伝わってきました。長い間お疲れ様でした。

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2013年2月25日 (月)

植村賞に竹内洋岳さん

  昨年5月にヒマラヤ8000メートル峰14座完登に成功したプロ登山家の竹内洋岳さん(42)が、優れた冒険に対して贈られる2012年度の「植村直己冒険賞」を受賞することが25日、発表されました。

 授賞式は6月15日、故・植村直己さんの故郷の兵庫県豊岡市で行Img_8790 われます。

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2013年1月27日 (日)

高見盛引退

高見盛関、長いことお疲れ様でした。

 右を差しての一気の寄りだけではなく、土俵際で体が伸びきった状態から体を入れ替えて逆転する技術はすごかったと思います。誰に教わったものでもなく、恐らく天性のものでしょう。写真は2003年夏、彼の地元、青森県板柳町での少年相撲教室。子どもたちへの指導もとても不器用で、子どもたちは彼の言うことがよく分からずにキョトンとしていたのを覚えています。

 今後は是非、個性豊かな力士を育てていただきたいものです。

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甲斐毅彦

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