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2008年9月27日 (土)

「小さな日記」につづられた小さな過去

 社内のちょい後輩が酒席で「フォー・セインツ」のメンバーのひとりといっしょになったらしく、その旨を教えてくれた。「フォー・セインツ」とは、団塊世代なら涙なくして歌えない(?)代表曲「小さな日記」で知られるフォークグループ。デビュー40周年を記念して今年、新曲「この街で」を発表して少し話題になった。
 懐かしさに導かれてパソコンで検索すると、You Tubeに「小さな日記」を発見。さっそく再生して2年前のNHK衛星でのライブ映像に見入った。還暦を迎えた4人の聖者が歌う姿に、泣く一員としての感慨のほか、メンバーのあるひとりに対し極めて個人的な記憶がよみがえった。

 小学生の頃からかじりついてきたテレビ中継がボクシングだ。その取材にあこがれて報知新聞に何とか入り、2年後に念願かなって担当になった。このときの先輩が秋山政司さんだ。東洋、日本ライト級の元チャンピオンであり、日本タイトル防衛記録を長く保持した名ボクサーだった。“魚河岸のチャンピオン”こと沢田二郎に敗れ、王座から陥落した試合会場で引退を表明。その潔さに感動した当時の報知新聞社幹部が「あの男を採れ」と叫んで入社が決まったと、先輩方から何度も聞かされた。
 「おれは小学校しか出てない」と言いながら、せっせと名物戦評「秋山政司の目」を書き、ニュース取材に駆け回った。現役だった輪島功一さんの控え室で取材中「ちょっと来い」と出されて怒鳴られ、「キャンバス」を「マット」と書いては「ボクシングとプロレスは違うんだ」と優しく諭された。55歳定年で退職され、その後に白血病で亡くなられた。女子大出の夫人からは「定年祝いにあなたからいただいた夫婦茶碗を、病室でも使っていたのよ」と明かされた。
 秋山さんの自慢は19回の日本タイトル防衛記録だけでなく、長男長女でもあった。正月三が日に鹿児島で世界タイトルマッチが行われた翌日、取材帰りに帰省客でごった返す中、ひとり別行動して太宰府天満宮に立ち寄って合格祈願。そのかいあってか長男は東大に合格し、JRに入社している。長女。ここでようやく「フォー・セインツ」に結び付く。彼女が結婚した相手がメンバーのひとりだった。
 長男、長女に初めてお会いしたのが秋山さんの葬儀の席だった。言葉を交わす機会はなかったが、長女の夫、ひげをたくわえた大柄な男性は記憶に残っていた。数年後、放送担当になってフジテレビ「夜のヒットスタジオ」の海外からの中継に同行。当時、ロンドンでコーディネーターを彼が務めていた。フジテレビ関連会社から社員になっており、顔に見覚えがあったので声を掛けると、どうやら長女とは離婚していたようだ。あまり語りたがらない。気まずい空気。
 「小さな 日記に つづ られた 小さな 過去」は、それぞれの日々、自分史だ。勝手な感傷と迷惑な記憶。You Tubeに記録された2年前のライブ映像の4人の中に、秋山さんの葬儀、ロンドンで声を掛けた彼がいた。現在は音楽関連の会社で要職に就いているらしい。社内のちょい後輩話が、還暦目前の小さな脳みそを刺激した。You Tubeには「若者たち」や、「『いちご白書』をもう一度」の入口がある。クリックするたびに、よみがえる人々がいて、小さな過去が呼び戻されるに違いない。記憶に浸るのは少し、少しずつにしていこう。

 

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高尾 友行

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