怪物・江川の凄みは「初速と終速の差」

 7月、全国高校野球選手権岩手県大会で花巻東の大谷翔平投手が160キロを記録した。

 スピードガンが普及し始めた1979年、作家の新宮正春さんのデータマンとして、2月のキャンプから11月の日米野球まで、巨人を中心に全国各地を回った。もちろん夏の甲子園大会もネット裏に陣取った。その夏、最速だったのは、その後、プロに進み切れ味鋭いフォークボールで中日、ロッテで通算126セーブをマークした浪商の牛島和彦投手の143キロだった。

 準決勝で池田高に敗れたが、彼以外に140キロを超えた投手は皆無。筋力トレーニングを始めとする科学的な練習で140キロ台が当たり前の昨今とは、隔世の感がある。

 さて、この年のプロ球界NO1は誰かといえば、中日の小松辰雄投手の149キロ。来日メジャーで最速はパイレーツのジム・ビビーで147キロ。11月というシーズンオフだったこともあり、物足りなさを感じたことを覚えている。

 この年、デビューした投手に作新学院―法大で一世を風靡(ふうび)した巨人・江川卓投手がいる。後に153キロまで記録したと言われるが、私が計測した中では148キロが最速だった。それでも彼のすごさは、初速と終速の差が少なかったことだ。

 現在、多くのスカウトが使用しているスピードガンは軽量化され、最速と思われる一つの数字しか出ないようだが、当時の機械はデジタル数字が変化していく。それを最初の数字を初速、最後の数字を終速としてノートにつける。ほとんどの投手が10キロ以上落ちるのに彼は8キロ前後だった。

 それがカーブとストレートという少ない球種で三振を多く奪った理由だ。彼の信条は「打者が振ったバットの上に球を通過させたい」。つまり、真っすぐと分かっていながら空振りを取る、今の投手がウイニングショットを変化球で三振を奪うのとは一線を画すピッチングだった。

 岩手県大会決勝で敗れた大谷投手は15個の三振を奪ったが、決め球はスライダーとチェンジアップ。そして中大で157キロを出したことのある巨人・沢村拓一投手もフォークボールで取るケースが多い。彼らの初速と終速の差を知りたいものだ。

 投手に対する対策が向上し、真っすぐだけでは三振が奪えない時代になったことは分かる。だが、沢村には、相手打者が待っている真っすぐを投げて空振りを取る江川のような投手になってほしいものである。

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