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2018年8月 2日 (木)

「東洋のマチュピチュ」への道

 南米ペルーのインカ帝国遺跡「マチュピチュ」。一度は訪れてみたいが、日本から見れば地球の裏側。時間と経費を考えると、簡単に行ける場所ではない。そこで訪ねたのが愛媛県にある「東洋のマチュピチュ」。大阪から5時間ほどで行けるので、訪ねてみた。

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 「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる場所は、新居浜市の山間部に残る「別子銅山跡」。松山自動車道の新居浜ICから約15分、道の駅を兼ねた「マイントピア別子」に400台収容の無料駐車場がある。

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 マチュピチュを連想させる風景が見られる「東平(とおなる)ゾーン」までは、そこから毎日午前11時と午後1時にマイクロバスで上るガイドツアーに参加するのがオススメだ。
 ちなみに「マイントピア別子」には、復元された鉱山鉄道が走り、かつての銅山の作業風景を再現した観光坑道があって、食事もできて温泉もある。時間調整や休憩にぴったりだ。
 東平ゾーンへ行ってみた。駐車場に着いて、そこから下を眺めてびっくり。小規模ながら、どことなくマチュピチュを思わせる眺めだ。そこにあったのは、採掘した鉱石を貯めておく貯鉱庫と、そこから流れてくる鉱石を選り分ける選鉱場、そして、選ばれた鉱石を精錬工場へ降ろす索道(ケーブルクレーン)停車場の遺構だった。

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 かつてのインクライン(勾配鉄道)跡は石段になっていて、下っていくと、上から眺めた遺構を目の前で眺めることができる。貯鉱庫の巨大な石積みの壁には、選鉱場へ鉱石を落とした通路が残っている。索道の停車場跡は赤レンガを積み上げた柱の一部が残る。間近に見ると廃虚のようだが、俯瞰すると遺跡のようにも見えるから不思議だ。
 さて、初めて別子銅山を知ったのは、数年前、大阪で行われた愛媛県の観光プロモーションだったように記憶している。その時は「マチュピチュ」という形容詞が使われた覚えがない。そこで今回、案内してくれた新居浜市の職員に聞いてみた。

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 「いつから東洋のマチュピチュと言われるようになったのですか」
 「10年ほど前、大手の旅行代理店が、そういうキャッチフレーズのツアーを組んだことからだと思います」
 なるほど。「別子銅山」ではあまり注目されなくても「マチュピチュ」なら興味を引く。それがきっかけで注目度が上昇し、市が2次アクセスの整備や「マイントピア」設置などの観光開発に取り組んだ結果、現在では人気観光地になった。
 江戸時代の初期から採掘が始まり、1973年に閉山するまで、日本の近代化を支えた産業遺産に、別の角度からスポットライトを当てた発想には学ぶところも多い。

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 かつては、伐採され尽くしてはげ山だった周囲の景観も、閉山後の植林でかつての姿を取り戻しているという。「自然の中に産業遺産があって、季節ごとの風景が楽しめる」と市の職員。独特の風情を手軽に楽しめるのも魅力だ。別子銅山跡の観光はここを参照。
http://besshi.com/machu-pikchu/
(2018年8月2日、文と写真・鬼塚 静信)

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