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2018年9月25日 (火)

姫路城の青空

  兵庫県姫路市には戦国時代の建造物が保存された本物のロケーションが2か所ある。一番は何といっても世界文化遺産で国宝の姫路城。そして、もう1か所が書写山円教寺(圓教寺)だ。旅の企画の最後に姫路を訪ね、ご当地ブランドの「ぼうぜサバ」も味わった。

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 実は姫路城にはB-1グランプリや、会社主催のウォーキングイベントの取材で2度訪れているが、その時見上げた天守は、巨大な膜に覆われて、その膜に描かれた天守の絵しか見ていない。2009年から大規模保存修理を行っていたのだから仕方ないが、工事を終え、グランドオープンして以降は、なぜかお目にかかる機会がなかった。

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 それから3年半。ようやく姫路城の大天守、小天守が連なった連立天守を拝めることになったが、取材当日の兵庫県西部には大雨洪水警報が出ていた。絶望的な気分で雨模様の大阪駅から新快速に乗ったが、姫路に近づくにつれて空には晴れ間が見え始め、駅の北口を出て見上げると、青空を背景に真っ白な天守がくっきりと浮かび上がっていた。長年続けてきた旅の取材も今回がラスト。天も味方してくれたと心の底からうれしかった。
 さて、別名「白鷺城」とも呼ばれる現存最大の天守については、26日発行のスポーツ報知大阪本社版に書いたので、ここでは紙面では省略せざるを得なかった重要なポイントをひとつ。それは城の歴史が現れた石垣だ。姫路城は黒田官兵衛から譲渡された豊臣秀吉が改築したが、その頃の石垣は、ほとんど加工していない凝灰岩やチャートを積み上げた「野面(のづら)積み」。野性的だ。

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 関ヶ原の合戦で功績のあった池田輝政が1601年から大改築したが、その時、石垣の角に立方体に加工した石を積んで、きれいな曲線を演出している。これが「算木(さんぎ)積み」。櫓の下でその両方の違いを見たのは感動的。写真を取り忘れたが、場所によっては、どう見ても石棺と思える長方形の石も積まれていた。古代の遺跡から掘り出したのだろうか。
その後も、1617年から城主となった本多忠正が二の丸を築いた時の石垣や、江戸時代と明治以降の保存修理によるものと、石垣は5期に分類されていた=この項つづく。
(2018年9月25日、文と写真=鬼塚静信)

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