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2011年12月18日 (日)

『斎藤佑樹投手をテーマに卒論を書きたいんですが…』

 11月30日から12日間、仕事を休んでおりました。数年前から苦しんでいた慢性扁桃炎を手術するため、都内の病院に入院していたのです。手術室では全身麻酔で記憶を失い、起きたらすべてが終わって、病室のベッドに横たわっていました。ボッコリと口内に君臨していた左右の扁桃腺は切除され、特大の梅干しのように2つの小瓶の中で浮いています。

 術後は高熱にうなされました。食事は流動食。滑舌も不自由だし、得意の(?)マシンガン・トークもしばらくお預けです。起床は朝6時。売店が開くと同時に、新聞各紙を買い求め、熟読します。わたし一人を欠いていても関係なく、熱い紙面はできる。そんな当たり前のことにあらためて気づかされ、戦いの輪に加われていない自分を恨めしく思います。

 失意の中、病室に一人の学生が訪ねてきました。某大学の社会学部4年生、Nくん。昨年、よく神宮球場で見かけた顔です。早大・斎藤佑樹投手や中大・沢村拓一投手らドラフトの目玉をネット裏から追っていると、よく出くわしました。学生スポーツ新聞の記者として、プロ球団のスカウトにまで直撃取材する姿を見るたび、「アイツ、学生なのに怖いもんなしだな。何と図々しいのだろうか」と感心していました。もちろん、わたしからの彼に対する、最高の褒め言葉です。

 Nくんは卒業論文で「斎藤佑樹がメディア報道にもたらした変化」について書きたい、斎藤の大学4年間をメディアがどのように報じてきたか、「スポーツ報知」を元に考察したい、と話してくれました。それには現場の記者の証言が必要である、と。普段なら「忙しいから」と断ってしまうかもしれませんが、幸運にもわたしは病床で、時間なら十分ある。そんなわけで、病院の喫茶店でNくんからのインタビューを受けることにしました。

 彼の手元には斎藤を報じた、07年から4年間のスポーツ報知が、山のようにあります。「それ、どうしたの?」「国会図書館でコピーしてきたんです」。今よりもずっとスリムで、あどけなさの残る斎藤が1面に躍り出ている。わたしにとっても当時、何とか他紙に負けまいと、魂を燃やして制作した紙面の数々。思い入れは、たっぷりあります。

 Nくんの質問はよく練られていて、的確なものでした。「報知ではある時期から見出しが『佑ちゃん』ではなく『佑』になりますよね。これはどうしてですか?」「ああ、それはね。東京六大学野球で確かな実績を残したアスリートに『ちゃん付け』はないだろうと、オレが提案したんだよ」「斎藤報道に『特異性』はありましたか」「そりゃあ、いくつも。例えばね…」。たまには内角を鋭くえぐるようなギリギリのボールも投げ込んでくる。時間は30分ぐらいを想定していましたが、気づいたら90分を超えていました。

 人に話を訊く際に、もっとも大切なのは準備と熱意。Nくんからの『取材』には、それがありました。ロビーで彼を見送った後、病床で自問しました。果たして自分は常日頃から、準備と熱意を持って、現場に臨んでいるのだろうか。トップアスリートと対峙するひとときに、慣れ過ぎてはいないだろうか。

 あれから数日が経ち、このほど、主治医から完治宣言をいただきました。来季も引き続き、プロ野球遊軍として日本ハムと西武を中心に、取材と執筆をすることになります。Nくんから教えられた、準備と熱意。このふたつを忘れずに、今後も読者の皆様に楽しんでいただける原稿を書いていきたいと思います。Nくんもいい卒論を書いてくれ。完成の暁には、斎藤にも読んでもらおうぜ。

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