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2012年4月18日 (水)

【再録】「加藤が見た」斎藤佑樹は、ジャンボ鶴田になれるか

 名護キャンプ第1クール最終日の2月5日に書いたコラムです。気温21度。活力みなぎるこの日の斎藤佑樹の表情は、今でもよく覚えています。この原稿は、東京スポーツの記者から大絶賛していただきました。

 斎藤佑樹は、ジャンボ鶴田になれるだろうか。

 小学生の頃、ジャイアント馬場さんが好きだった。83年。その馬場さんがハワイへ遠征することになった。「エキサイトシリーズ」の興行ポスターから、馬場さんが消えた。8歳のボクは落胆した。“馬場抜きシリーズ”なんて、クリープのないコーヒーじゃん…。

 それは杞憂だった。イマイチ、メーンイベンターになりきれなかったジャンボ鶴田が急成長し、グレート・カブキは毒霧殺法で沸かせた。同年8月31日、蔵前国技館でのセミファイナルでは、ブルーザー・ブロディにリングアウト勝ち。力道山も巻いたNWAインタヘビー級のベルトを奪取した。“馬場抜き”を機に、全日本プロレスのエースは鶴田へと政権交代がなされたのだ。

 さて今季、“ダル抜き”となった日本ハムである。野球ファンのほとんどは「ど~せBクラスだ」と思っているでしょう。ボクもそうでした、名護に来るまでは…。だが、第1クールの5日間、若い力がのびのびと快活に汗を流しているのを見た。ダルビッシュの昨季年俸は5億円。活躍すればこれを分捕れる千載一遇のチャンスだ。そして、その中心に佑ちゃんがいる。

 早大の頃から取材しているが、こんなアゲアゲの斎藤を見るのは、初めてだった。ブルペンでは128球を投げながら「たいしたことないです」と笑顔で言い切った。フィーバーが吹き荒れた昨春、練習は警備員の目が光る球場の敷地内に限られたが、この日のランチ後はビーチへと“大脱走”し、15分のジョギング。見失う報道陣を慌てさせた。宿舎に戻る際には、フェンスで区切られた“花道”ではなく、公道を疾走。斎藤だと気づいたチビっ子たちが、後を追った。

 ボクは映画「ロッキー2」を思い出した。フィラデルフィアの町中を走るスタローンを、子供たちが必死に追う、有名なシーンを。ハイテンションに名護の街を駆け抜ける“佑姿”は、フィーバーの渦中で戸惑っていた昨年の表情と、別人に見えた。

 “長身エース”の渡米は、新たなヒーローが誕生する好機になるかもしれない。蛇足だが、馬場さんはダル君より13センチも巨人だった。(2012年2月6日「スポーツ報知」東京本社版掲載)

コメント

加藤さんブログの更新ありがとうございます。
特に斎藤君の記事は楽しみにしています。
勝さんは斎藤君がファイターズに入る前から似てる体格や
速球投手でなくてもエース級で活躍しているところを見ていて
斎藤君もああなれたらと気になっていた投手でした。
そして昌さんもスピードはないですが、流れるようなフォームで
キレのある球をなげるすごい投手です。いっしょにトレーニングが出来て良かったです。
二人を参考にして今年みんなに認められる主力投手になって
世間を見返してほしいと思っています。

大学3年から苦労していたけれど加藤さんの記事で
ファンも励ましてもらっていた気がします。
それに佑ちゃんと最初に呼んだのは報知の甲子園の記事だったと思います。
過去の報知の記事をまた読みたいです。
そしていつか、加藤さんに斎藤君の本を執筆してほしいです。

温かいコメント、どうもありがとうございます。

初めて斎藤佑樹を取材したのは早実2年秋の東京大会決勝・東海大菅生戦後、神宮第二のベンチ裏でした。その時のことは、今でも不思議なぐらい鮮明に憶えています。

とはいえ、長く取材していることと、読者に楽しんでもらえる原稿を書けるかどうかは、全く別の問題です。常に初取材のような意識で、地に足をつけてガツガツといきたいと、最近あらためて思っています。初心を忘れることなく、読者の皆さんにいい原稿を読んでいただけるよう、汗をかいていきます。そして、斎藤佑樹の本を書くのは、わたしの夢です。

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