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2012年4月18日 (水)

【再録】「ネタ持ってる男コラム」斎藤佑樹が偉大な「初代」にあいさつ

 日本ハム・斎藤佑樹投手が1月26日、3月10日の台湾戦(東京ドーム)を戦う「侍ジャパン」に選出された際に書いた原稿です。最初は今季初勝利の際の珠玉エピソードとして「取り置き」したかったんですが、早く報知読者の皆さんに伝えたくて、待てませんでした(笑)。私も今年、ぜひとも墓参してみたいと思っています。

 昨年末の「伊勢神宮参拝」がクローズアップされてしまった佑ちゃんのオフだが、ひそかに訪れた場所が、もう一つあった。

 プロ野球、そして巨人の創成期を支えた沢村栄治さんの墓だ。三重・伊勢市の一誉坊(いっちょぼ)と呼ばれる共同墓地に、それはある。ボールをかたどった墓石には巨人時代の背番号「14」が刻まれている。斎藤は正面から見つめると、そっと手を合わせ、頭を垂れた。

 「沢村さんのお名前を偉大なものとして感じていたので、あいさつしに行きました。お墓参りできたことは、すごく新鮮でした」。正月、早大の同級生と旅行に出掛けた福島・いわき市のホテルのカフェで、伝説のエースへの思いを私に聞かせてくれた。

 沢村さんこそ“侍ジャパン”の初代エースかもしれない。日本にまだプロ野球がなかった1934年秋、来日した全米オールスター軍団を相手に立ちはだかったのは、剛速球が武器の17歳だった。静岡・草薙での第10戦ではルー・ゲーリッグの右越えソロによる1点に抑え、9奪三振完投。0―1で敗れたが、ベーブ・ルースら球史を飾るスーパースターらをきりきり舞いさせ、一躍ヒーローとなった。

 高校、大学と日本代表として投げ続けた斎藤だが、プロでは初めての選出となる。さらなる飛躍を期待されてのことだろう。日の丸には苦い思い出もある。早大4年だった10年8月5日、熱帯夜のハマスタで行われた世界大学野球選手権準決勝・米国戦だ。先発したものの初回にいきなり満塁弾を浴び、敗戦投手となった。日本は決勝進出を逃し、責任を感じた斎藤は試合後、ベンチ裏で号泣した。

 もっとも34年の沢村さんも、第5戦の神宮では10失点するなど、実は草薙以外では打ち込まれている。それでもタダでは転ばず、語り継がれる快投を生み出した。超一流が国の威信を胸に戦う復興支援試合。斎藤はそこから何を学び、何を得るのか。突然の来訪に驚いたであろう天国の沢村さんも、楽しみにしているに違いない。(2012年1月27日「スポーツ報知」東京本社版掲載)

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